第7話 猫好きの後輩ちゃん

 沙也加が振り返った先にいたのは、サラサラボブヘアが特徴の倉下由紀、二十五歳。


 沙也加の所属する営業管理課の後輩だ。

 性格はとても明るく、沙也加と同じように動物が好き、そして犬より猫派である。


「えっ?! そんなに怪しかった? ……私」

「めちゃくちゃ怪しかったですよ〜! だって、一人でブツブツ言ってましたし! それに――」

「そ、それに?」

「パソコンの画面を見てる時なんて、縄張り争いをする野良猫並みの眼力でしたしね!」

「まじかー……」

「はい♪ あとあと、急いで閉じましたよね? パソコン……?」


(す、鋭い……)


 その猫愛あふれる独特の言い回しはともかく、可愛がっていた後輩の名推理に額から伝った汗が一滴、たらりと落ちた沙也加。


 けれど、そんなこと知ってか知らぬか、ズイッと由紀は距離を詰めて、


「先輩……内緒にしますから、言って下さい。一体、なに見ていたんですか……?」


 耳元でそう呟いた。


「な、なんのことかな〜?!」


 悟られないように、視線を逸らして知らぬ存ぜぬのフリをする。


 けれど、


(由紀ちゃん……どこから見ていたんだろう……)


 内心、ドキドキの沙也加である。

 それもそのはずで、どこからどこまで聞かれていたのか、これによって、この後の対処が変わるのだ。

 

 例えば、初めからだった場合。

 犬の画像を見ていた理由と、宇宙人とか妖を検索していた理由の紐付けをしないといけないのである。


(朝、会話した時に、たぬきち本人に答えて貰うんだった〜!)


 後悔したところで、もはやあとの祭りである。


 そもそもたぬきち本人だって、きっとたぶんよくわかっていないであろう。


 そんな今いないシゴデキママたぬきの話は置いておいて、今対処しないといけないのは、疑い深く見つめてくる後輩、倉下由紀だ。


 置かれている状況に気付いた沙也加は、拳を握り締めて、その瞳に光を宿す。


(そ、そうだよ! また帰った時に聞けばいいんだし! 今は由紀ちゃんをどうにかしないと!)


 自分で種を蒔いたかと思えば、自分で納得する……なんとも騒がしい人間である。


「いや、あのほら! 私、犬飼ってたって言ってたでしょ? ちょっと気になることがあって調べ物をしてたんだ〜!」


 これが朝会議を終えた沙也加のベストアンサーである。

 敢えて自分から事実(たぬき≒犬)ということを提示して、流れを作る。


 こうなれば、もし初めから聞いていたとしても、どうとでも誤魔化せるのだ。


(これなら、問題ないはず!)


 心の内でガッツポーズを決めて、問い掛けてきた由紀を見つめる。


 一体、どこからその自信は来るのだろうか? そんな声がどこからともなく聞こえてきそうだが、沙也加本人は全く気にしない。


 自信たっぷりである。


 けれど、そう上手くいかないのが人生である。


「あー、そういえば言ってましたね! とても芸達者なワンちゃんだとか―ー」


 その話に頷いたかと思えば、由紀は、一度話を切って心配そうに沙也加を見つめ返した。


「って……もしかして、体調悪いとかですか?」

「いや―ー」


 嘘はよくない。

 そんなごくごく当たり前のポリシーから沙也加は、反射的に否定しそうになる。


 だが、そのあとの言葉が出てこなくなった。


(どうしよう〜! 心配かけちゃったよぉ〜!)


 不可抗力とはいえ、可愛い後輩を騙してしまった。

 その事実にショックを受けてしまったのだ。


 まぁ、これもかなり今更感が否めないのだけれど。


「先輩……? 大丈夫ですか?」


 なにも知らない由紀は、頭を抱えたりかなしそうな表情を見せるという、どう考えても挙動不審な沙也加に声を掛けた。


「だ、大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから」

「はぁ……良かった〜! てっきり良くないことを聞いてしまったのかと思いましたよ〜!」

「全然! 良くないことなんてないよ! 心配してくれてありがとう!」


 びっくりって何に?! なんてことは聞かない由紀に、成長を間近で見てきた可愛い後輩、その好意に胸を打たれる沙也加。


 良いか悪いかは別として、どちらも天然なのだ。

 類は友を呼ぶといういい証明であろう。

 

 違うことがあるとすれば、シゴデキママたぬきに支えてもらっているかどうかということ、犬派ではなく猫派というくらいである。


「あ、じゃあ、本当はなにを調べていたんですか?」

「あー、あのうちのたぬ――犬ね! 凄く芸達者だから、ちょっと不思議になってね――」

「なるほどー! 最近とかよくショート動画で回ってきますもんね!」

「そうそう! 犬種によって、そういうの多いのかなーってふと思ったんだよ〜!」


(あ、危なかったぁ〜! たぬきっていうところだった〜!)


 認識としては、犬≒たぬき。

 だから、たぬきちの話をする時は、犬と口にすればいいだけ。だが、そんな簡単なものではないのだ。

 三年間も過ごしたことで、犬を浮かべようとしても、ペットショップで本当の犬を見ても、さらには散歩中の犬を見ても、たぬきに見えてしまうのである。


 もはや、たぬき病と言っても過言ではない。


(って、たぬき病ってなんだろう……)


 沙也加は、突如として浮かんだよくわからないワードに小さくため息をついた。

 

「もう、先輩ったら! 会議を終えたからって、はしゃぎ過ぎですよ!」

「あははは〜……だよね〜」


 たぬきにすっかり毒されている自分と、可愛い後輩の的確な指摘を浴びた沙也加は、まるで絵に描いたようなぎこちない笑みを浮かべて、応じるのであった。

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