第2話「理解者は、優しい幼馴染ただ一人」

「というわけで、堆肥を作るぞ!」


 屋敷の裏庭で高らかに宣言した俺に、リナはこてんと首を傾げた。


「たいひ……ですか?」


「ああ。簡単に言うと、土を元気にするための特別な肥料だ。これを畑に混ぜれば、カチカチの土がふかふかになって、作物がびっくりするくらい元気に育つんだ」


 俺は意気揚々と説明するが、リナの表情はまだ疑問符でいっぱいだ。まあ無理もない。この世界に土壌改良なんて概念があるとは思えない。

 それどころか、俺のやろうとしていることは他の使用人たちから見れば、ただの奇行でしかなかった。


「三男坊様が、また何か変なことを始めたぞ」

「雑草だの、馬小屋の糞だのを集めて、一体何をなさるおつもりだ……」


 遠巻きに聞こえてくるひそひそ話。完全に不審者を見る目だ。まあ気にしない。結果を出せば全員黙るはずだ。


『まずは材料集めだな』


 俺はリナに手伝ってもらい、領内のあちこちから材料を集め始めた。畑の雑草、森の落ち葉、そして一番重要なのが家畜の糞だ。これらは微生物の餌となり発酵を促す。


「うっ……カイ様、本当にこれも集めるのですか?」


 馬小屋で鼻をつまみながらリナが尋ねる。彼女にとっては、ただの汚い排泄物だろう。


「ああ、これが一番の宝物なんだ。見た目は悪いが最高の肥料になる」


 俺はクワを手に、慣れた手つきで馬糞を山にしていく。前世では毎日やっていたことだ。懐かしさすら覚える。

 集めた材料を、屋敷の裏に掘った穴の中に交互に積み重ねていく。枯れ草、家畜の糞、生ゴミ、そして土。これをミルフィーユみたいに層にするのがポイントだ。


『あとは適度な水分と空気。これで微生物が活発に働いて、有機物を分解してくれる』


 最後にジョウロで水をかけて作業は完了だ。あとは定期的に切り返して空気を送り込みながら、数ヶ月間じっくりと発酵させるだけ。


 しかし俺の行動は、ついに父親であるアースガルド辺境伯の耳にも入ってしまった。

 その日の夕食後、俺は父の書斎に呼び出された。


「カイ。お前、最近奇妙なことをしているそうだな」


 厳格な顔つきの父、ルドルフ・アースガルドが机の向こうから低い声で言った。隣には嫌味ったらしい長男のゲオルグと、意地の悪そうな次男のハンスもいる。完全に三者面談の空気だ。


「領民たちの前で、ゴミや糞をかき集めていると聞いた。我がアースガルド家の恥だ。すぐにやめなさい」


「父上、あれはゴミではありません。土地を蘇らせるための『堆肥』です。これがあれば、必ずやこの領地を豊かにできます」


 俺が必死に説明しても、父の眉間のしわは深くなるばかりだ。


「堆肥だと? 意味の分からんことを。土は女神様からの授かりもの。人の手でどうこうできるものではない」


 この世界の人間は、農業を神頼みか何かだと思っているらしい。これじゃあ技術が進歩するはずもない。


「兄さん、カイは熱で頭がおかしくなったんじゃないのか?」

「全くだ。貴族が糞尿にまみれるなど、聞いたこともない」


 兄たちがあからさまに俺を嘲笑う。

 悔しさで拳を握りしめた。だが今の俺には実績がない。何を言っても、ただの戯言にしか聞こえないだろう。


「……分かりました。ですが屋敷の裏の、あの小さな区画だけはお許しください。必ず結果をお見せします」


 俺が頭を下げると、父は大きくため息をつき、「勝手にしろ」とだけ言って俺を追い出した。


 書斎から出ると、リナが心配そうな顔で待っていた。


「カイ様、大丈夫でしたか?」


「ああ、何とかな。まあ信じてもらえないのも無理はないさ」


 俺は空元気で笑ってみせる。

 貴族の家に生まれても、理解者がいなければ孤独なものだ。この世界で俺のやろうとしていることを信じてくれるのは、目の前のこの優しい少女だけ。


「リナ、ありがとうな。お前だけは、俺の言うことを信じてくれるんだな」


「もちろんです! カイ様がやろうとしていることは、きっと正しいことだって私には分かりますから。だってカイ様はいつも、どうすればみんなが笑顔になるかを考えてくれています」


 彼女のまっすぐな言葉が、ささくれだった心に染み渡る。

 ああ、そうだ。俺は一人じゃない。リナがいてくれる。


『見てろよ、父上、兄上たち。あんたたちが腰を抜かすような、最高の畑を作ってやる!』


 俺はリナと共に堆肥の山へ向かった。発酵が進み始めたそれは、ほんのりと温かい。

 この温かさが、この死んだ土地を蘇らせる希望の光だ。

 俺はクワを握りしめ、堆肥の切り返し作業を始めた。今は笑いたければ笑えばいい。数ヶ月後、誰もが俺の前にひざまずくことになるのだから。

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