第29話
◆現実:9月10日(水)
二学期が始まって、一週間が経った。
空は青く、雲は白い。
普通の風景。
でも、その普通さが、今は愛おしく感じられた。
8年間、
その間、何も見えなかった。
何も聞こえなかった。
何も感じなかった。
でも、今は違う。
空が見える。
風が感じられる。
生きている実感がある。
「おい、柊」
クラスメイトが声をかけてきた。
明るい声。
「放課後、一緒にゲーセン行かない?」
蒼真は、振り返った。
クラスメイトが、笑顔で立っている。
「……ごめん、用事があるんだ」
蒼真が答える。
「そっか。じゃあ、また今度な」
クラスメイトが去っていく。
蒼真は、少し微笑んだ。
友達ができた。
新しい生活が、始まっている。
蒼真は、再び窓の外を見た。
屋上が見える。
あそこに、
毎日、放課後になると、三人は屋上に集まる。
なぜか、そうしたくなる。
まるで、誰かに呼ばれているような。
「……行こう」
蒼真が立ち上がる。
教室を出る。
廊下を歩く。
階段を上る。
屋上への扉。
蒼真は、ドアノブに手をかけた。
冷たい金属の感触。
でも、どこか温かい気がする。
蒼真は、扉を開けた。
◆現実:9月10日(水)・放課後
屋上。
三人は、いつものようにフェンスに寄りかかっていた。
風が吹く。
温かい風。
9月の風。
「……なあ」
悠斗が口を開いた。
その声は、掠れていた。
「俺たち、何か忘れてる気がしないか?」
「……また、その話?」
理沙が苦笑する。
でも、その目は真剣だった。
「でも、私も同じこと思ってる」
「俺も」
蒼真も頷く。
胸に手を当てる。
「毎日、思う。……誰かを忘れてるって」
三人は、沈黙した。
風が吹く。
雲が流れる。
「……前の席」
蒼真が呟いた。
その声は、震えていた。
「え?」
「俺の前の席。……誰も座ってないんだ」
蒼真が説明する。
窓の外を見ながら。
「でも、誰かが座ってた気がする。……いつも、振り返って話しかけてた気がする」
「……私のクラスにも、
理沙が言った。
その声も、震えていた。
「窓際の一番後ろ。……誰も座ってないのに、なぜか気になる」
理沙が涙を拭う。
「そこに、誰かがいた気がする。……いつも、笑顔で手を振ってくれた気がする」
「俺のクラスにもだ」
悠斗も言った。
拳を握りしめながら。
「廊下側の真ん中。……そこに、誰かがいた気がする」
悠斗の声が、震える。
「いつも、俺を励ましてくれた気がする」
三人は、顔を見合わせた。
それぞれの目に、涙が浮かんでいた。
「……もしかして」
理沙が呟く。
「私たちが忘れてるのは、『人』?」
「……かもしれない」
蒼真が頷く。
涙を拭う。
「大切な人を、忘れてる」
「ああ」
悠斗も頷く。
空を見上げる。
三人は、空を見上げた。
青い空。
白い雲。
「……名前が、あった気がするんだ」
蒼真が呟いた。
その声は、
「優しくて、温かくて……。ここにいるはずだった、もう一人の名前が」
理沙がハッとして口元を覆った。
彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。
「私……知ってる気がする。その子のこと」
理沙が泣き崩れる。
「白いワンピースを着て、いつも笑顔で……」
「俺もだ」
悠斗が空を仰いだ。
その目尻を、光るものが伝う。
「あいつは……俺たちのために、いなくなったんだ。全部ひとりで背負って」
悠斗の声が、震える。
「俺たちを救うために……」
三人は、涙を流した。
理由は分からない。
でも、涙が止まらない。
「……ごめん」
蒼真が呟いた。
その声は、掠れていた。
「名前も顔も思い出せない。……でも、忘れてない。絶対に、忘れてない」
蒼真が拳を握りしめる。
「お前のこと、忘れてない」
「私も」
理沙が頷く。
涙を拭う。
「あなたのこと、忘れてない」
「俺も」
悠斗も頷く。
空を見上げる。
「お前のこと、忘れてない」
三人は、涙を拭った。
そして、微笑んだ。
「……行こうか」
蒼真が言った。
「どこへ?」
理沙が聞く。
「海へ」
蒼真が答える。
その目には、決意の光があった。
「なぜか、そこに行けば、何か思い出せる気がする」
「……いいわね」
理沙が微笑む。
「ああ」
悠斗も頷く。
三人は、屋上を後にした。
新しい一日が、始まる。
記憶は失っても、感情は残っている。
その感情を胸に、三人は前に進んでいく。
◆現実:9月11日(木)
翌日。
三人は、
青い海。
波の音。
ザザーン、ザザーン。
「……懐かしい」
理沙が呟く。
「ああ」
蒼真も頷く。
「ここに、来たことがある気がする」
「俺も」
悠斗も頷く。
三人は、砂浜に座った。
波を見つめる。
「……なあ」
悠斗が口を開いた。
「俺たち、ここで何かしたんじゃないか?」
「……そうね」
理沙が頷く。
「大切な何かを」
「ああ」
蒼真も頷く。
その時、風が吹いた。
温かい風。
まるで、誰かが微笑んでいるような。
そして、三人の耳に、かすかな声が聞こえた気がした。
『ありがとう、みんな』
誰の声かは分からない。
でも、その声は、とても優しかった。
「……どういたしまして」
蒼真が微笑む。
三人は、空を見上げた。
青い空。
白い雲。
「……さあ、帰ろう」
理沙が言った。
「うん」
蒼真が頷く。
「ああ」
悠斗も頷く。
三人は、立ち上がった。
砂を払う。
背後で、波の音が続いている。
ザザーン、ザザーン。
それは、永遠に続く時間の音のようだった。
◆現実:9月11日(木)・夜
蒼真は、自分の部屋にいた。
ベッドに座り、窓の外を見る。
空には、星が瞬いている。
その一つ一つが、誰かの願いのように見えた。
蒼真は、机の引き出しを開けた。
中には、スケッチブックが入っている。
開いてみると、一枚の絵があった。
白いワンピースの少女。
笑顔で、こちらを見ている。
「……誰だ?」
蒼真が呟く。
思い出せない。
でも、この絵を描いたのは自分だ。
それは確かだ。
「お前は、誰なんだ?」
蒼真が絵に問いかける。
返事はない。
ただ、絵の中の少女が、微笑んでいるだけ。
でも、胸の奥が温かい。
その温もりだけは、確かに残っている。
「……ありがとう」
蒼真が呟く。
「お前が誰だか分からないけど、ありがとう」
蒼真は、スケッチブックを閉じた。
そして、ベッドに横になった。
明日も、学校に行く。
屋上で、理沙と悠斗に会う。
それだけで、なんだか嬉しかった。
「……おやすみ」
蒼真が呟く。
そして、眠りについた。
部屋の隅で、かつてカウントダウンの数字があった場所が、ほんの一瞬だけ金色に光った。
そして、完全に消えた。
ループは、終わった。
新しい時間が、動き出す。
記憶は失っても、
それが、三人の物語だった。
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