第20話
◆過去:8年前・8月5日(火)10:00
朝。
決戦の日。
蒼真は自分の部屋で、窓の外を見ていた。
空は灰色だ。
彩度が完全に失われている。
世界線がRuin《ルイン》線へと完全に移行した証拠だ。
スマホが鳴った。
『14時、学校の屋上で』
蒼真は返信した。
『了解』
そして、部屋を出た。
◆過去:8年前・8月5日(火)14:00
学校の屋上。
三人が集まった。
理沙、
「……揃ったわね」
理沙が言った。
彼女は、もう完璧主義者の仮面をつけていなかった。
ありのままの、氷室理沙として、そこに立っていた。
「作戦を確認するわ」
理沙がノートを開く。
「今日の20時、
「それを防ぐために、僕たちは時計塔に行く」
蒼真が続ける。
「
「でも、権藤が邪魔をするかもしれない」
悠斗が言った。
「だから、慎重に行動する」
三人は手を重ねた。
温かい。
生きている
「じゃあ、19時に時計塔で」
「おう」
「了解」
約束を交わし、三人は屋上を後にし――かけなかった。
「待ってくれ」
蒼真が呼び止めた。
理沙と悠斗が振り返る。
「……悠斗。詳しく教えてくれないか」
「あ?」
「一回目、二回目、三回目のことだ。……昨日はさらっとしか聞けなかった。でも、俺たちが何と戦っているのか、もっと知る必要がある」
蒼真の言葉に、悠斗は少しだけ眉をひそめた。
だが、すぐに溜息をついて、ポケットから10円玉を取り出した。
チャリ、と音がする。
昭和64年製の、錆びついた10円玉。
「……吐き気がする話だぜ?」
「構わない」
「……分かったよ」
悠斗は、手すりに背中を預けた。
空を見上げる。
その目は、どこか遠い場所――いや、遠い「時間」を見ていた。
「一回目はな、本当の意味での『バトルロイヤル』だった」
悠斗が語り始める。
――**1st Loop / The Killing Game**
「誰もルールなんて分かってなかった。ただ、スマホに『殺せ』って表示されたんだ。……俺たちは教室に閉じ込められた。武器が配られた。バット、ナイフ、そして……斧」
悠斗の声が低くなる。
「みんな、パニックになった。泣き叫ぶ女子、暴れる男子。……そんな中、結衣だけが冷静だった。彼女は最初から『勝つ』つもりだったんだ。斧を持って、次々と……」
蒼真は息を呑んだ。
脳裏に、鮮血のイメージが浮かぶ。
「明里は、最後まで『話し合おう』って言ってた。……馬鹿だよな。そんなの、通じるわけないのに。……結衣は、そんな明里を笑いながら突き落とした。『甘い』って」
悠斗が10円玉を強く握りしめる。
「俺は、美術室に隠れてた。震えながら、ドアの隙間から見てたんだ。……結衣が、血まみれの斧を引きずって歩く姿を」
「……ッ」
理沙が口元を押さえる。
「二回目は、もっと陰湿だった」
悠斗が続ける。
――**2nd Loop / The Betrayal**
「俺たちは、少し賢くなってた。『協力すれば抜け出せるかも』って思ったんだ。……蒼真、お前と理沙、そして俺で同盟を組んだ」
「……覚えてない」
「だろうな。……でも、理沙は覚えてるはずだ。無意識のどこかで」
悠斗が理沙を見る。
理沙の顔が青ざめる。
「俺たちは、結衣を追い詰めた。……はずだった。でも、土壇場で理沙が裏切った」
「え……?」
「いや、正確には『裏切らされた』んだ。結衣に『家族を殺す』って脅されてな。……理沙は、泣きながら俺と蒼真を罠にはめた。……化学準備室に閉じ込めて、ガスを……」
「やめて!」
理沙が叫ぶ。
その身体が震えている。
「……ごめん。でも、事実だ」
悠斗は淡々と言った。
「俺たちは、苦しみながら死んだ。……薄れゆく意識の中で、理沙がドアの向こうで謝り続けているのが聞こえたよ。『ごめんなさい、ごめんなさい』ってな」
――**3rd Loop / The Despair**
「そして、三回目」
悠斗の声が、さらに重くなる。
「俺は、もう誰も信じられなかった。だから、一人で動いた。……でも、お前たちも強くなってた。それぞれが独自に動いて、結衣を追い詰めて……そして、全員で屋上に辿り着いた」
悠斗が、自分の右腕をさする。
「でも、そこには権藤がいた。……あの教師は、システムの手先みたいに強かった。俺は、明里を庇って右腕を折られた。……激痛だったよ。骨が皮膚を突き破るのが見えた」
蒼真は、悠斗の右腕を見た。
今は何ともない。
でも、悠斗の中には、その痛みが残っているのだ。
「結局、時間切れだった。……明里は、俺の目の前でトラックに跳ねられた。……『三回目』の明里も、死んだ」
悠斗は、ふぅ、と息を吐いた。
そして、蒼真と理沙を見た。
「これが、俺たちの『リグレット・トライアル』の全貌だ。……どうだ? やる気、失せたか?」
蒼真は首を横に振った。
恐怖はある。
吐き気がするほどの惨劇。
でも、だからこそ。
「……いや。絶対に勝たなきゃいけないって、分かったよ」
蒼真は言った。
「四回目(今回)は、違う。……俺たちは、全ての記憶を共有した。もう、隠し事はなしだ」
「……そうね」
理沙が顔を上げる。
その目には、涙が溜まっていたが、光は失われていなかった。
「私は、もう裏切らない。……絶対に」
「俺もだ」
悠斗がニヤリと笑った。
それは、いつもの飄々とした笑みではなく、頼もしい相棒の笑みだった。
「なら、行こうぜ。……運命を変えに」
三人は、再び強く頷き合った。
今度こそ、本当の意味で心が一つになった気がした。
そして、三人は屋上を後にした。
◆過去:8年前・8月5日(火)18:00
夕暮れ。
蒼真は明里の家の前にいた。
25歳の記憶で知っている。
明里は、今日の20時に交通事故で死ぬ。
それが収束点だ。
だが、蒼真は諦めていなかった。
何度でも、明里を救う。
それが、四回目のループの目的だ。
インターホンを押す。
ピンポーン。
しばらくして、明里が出てきた。
「蒼真くん?」
明里は驚いた顔をしている。
「明里、今日は家にいてくれ」
蒼真が言った。
「え?」
「外に出るな。……絶対に」
「どうして?」
「……説明は後でする。とにかく、今日は家にいてくれ」
蒼真の真剣な顔を見て、明里は頷いた。
「……分かった」
「ありがとう」
蒼真は
これで、明里は助かる。
収束点を回避できる。
◆過去:8年前・8月5日(火)19:30
だが、蒼真の予想は甘かった。
19時30分。
蒼真のスマホが鳴った。
明里からの着信。
「もしもし?」
「蒼真くん、ごめん!」
明里の声が震えている。
「お母さんが倒れて、病院に行かなきゃいけなくなった!」
「え!?」
「今、タクシーを呼んでる。すぐに病院に――」
「待って! タクシーに乗るな!」
蒼真が叫ぶ。
「でも、お母さんが……!」
「俺が迎えに行く! だから、タクシーには乗るな!」
「……分かった」
電話が切れる。
蒼真は走り出した。
明里の家まで、ここから15分。
間に合うか?
25歳の記憶が囁く。
『収束点は、何をしても発動する』
『明里の母親が倒れたのも、システムの
『逃げられない』
だが、蒼真は諦めなかった。
走り続ける。
息が切れる。
足が痛い。
でも、止まるわけにはいかない。
◆過去:8年前・8月5日(火)19:55
蒼真は病院の前にいた。
息を切らして、周囲を見回す。
だが、明里の姿はなかった。
「明里!」
蒼真が叫ぶ。
声が、夜の街に響く。
返事はない。
病院の入り口を確認する。
受付に聞く。
「水瀬明里さんは来ていませんか?」
「いえ、そのような方は……」
蒼真の心臓が、
まずい。
明里は、まだ来ていない。
ということは……。
その時、遠くでブレーキ音が聞こえた。
キィィィィッ!
蒼真の顔が青ざめる。
まさか……。
「明里!!」
蒼真は走り出した。
全力で。
足が痛い。
息が切れる。
でも、止まるわけにはいかない。
角を曲がる。
そこには、
ガラスが飛び散っている。
タイヤが空転している。
そして、道路に倒れている少女の姿。
白いワンピース。
血に染まっている。
「明里!!」
蒼真が駆け寄る。
膝をつく。
ガラスの破片が、膝に刺さる。
痛い。
でも、そんなことはどうでもいい。
明里は、血まみれで倒れていた。
頭から血が流れている。
腕も、足も、不自然な角度に曲がっている。
「蒼真……くん……」
明里が微かに笑う。
その笑顔は、いつもの
「ごめんね……」
「喋るな! 今、救急車を……!」
蒼真がスマホを取り出す。
手が震えている。
119番を押す。
「もう、いいの……」
明里の手が、蒼真の頬に触れる。
冷たい。
氷のように冷たい。
「私、幸せだった……。蒼真くんに、会えて……」
「明里……!」
蒼真の涙が、明里の顔に落ちる。
「お前を救うって、約束しただろ! だから、死ぬな!」
「……ありがとう」
明里の声が、
「でも、もう……時間が……」
「明里!」
明里の手が、力なく落ちる。
目が閉じる。
呼吸が止まる。
「明里! 明里!!」
蒼真が叫ぶ。
明里の身体を揺する。
だが、明里は動かなかった。
蒼真は、時計を見た。
20時00分。
収束点が、発動した。
蒼真は、明里の身体を抱きしめた。
涙が溢れる。
止まらない。
「……許さない」
蒼真が呟いた。
その声は、怒りに震えていた。
「絶対に、許さない……!」
空が、赤く染まっていく。
世界線が、さらに歪んでいく。
Ruin線への移行が、加速している。
だが、蒼真の手の中で、カウントダウンの数字【1】が激しく点滅していた。
それは、まだ終わっていないことを示していた。
蒼真は、ハッと気づいた。
「……そういうことか」
震える声で呟く。
明里の母親が倒れたのは偶然ではない。
タクシーの事故も、偶然ではない。
全て、システムが仕組んだものだ。
「
蒼真の脳裏に、25歳の記憶が蘇る。
あの灰色の世界で、理沙が言っていた。
「収束点は、時計塔の内部に装置として存在する」と。
「俺たちがどんな手を打っても、システムが強制的に明里を事故に巻き込む。……ということは、逆に言えば……」
蒼真の目に、光が宿る。
「時計塔に行って、あの装置を破壊しない限り、明里は救えない」
それが、この「試練」の本質だったのだ。
ただ明里を守ろうとするだけでは、収束点の力には勝てない。
根本から、システムを書き換えなければならない。
まだ、戦いは続く。
いや、ここからが本当の戦いだ。
蒼真は、立ち上がった。
明里の身体を、そっと地面に横たえる。
「……待ってろ、明里」
蒼真が言った。
その声は、決意に満ちていた。
「必ず、お前を救う。……今度こそ」
蒼真は、明里の額に手を当てた。
冷たい。
でも、まだ温もりが残っている。
「時計塔に行く。……因果鍵を使って、世界線を統合する」
蒼真が立ち上がる。
「そうすれば、収束点が無効化される。……お前は、生き返る」
蒼真は、明里の顔を見つめた。
穏やかな顔。
まるで、眠っているような。
「……さようなら」
蒼真が呟く。
「でも、これは
そして、蒼真は走り出した。
時計塔へ向かって。
因果鍵を使うために。
世界線を統合するために。
空の彩度が、完全に失われていく。
全てが灰色に染まっていく。
街の音が、遠ざかっていく。
だが、蒼真の目には、まだ光があった。
希望の光が。
四回目の正直。
今度こそ、成功させる。
蒼真は、その覚悟を決めた。
背後で、救急車のサイレンが聞こえてきた。
でも、蒼真は振り返らなかった。
前だけを見て、走り続けた。
◆現在:8月5日(火)20:00
目が覚めた。
また、25歳の世界だ。
蒼真は、自室で目覚めた。
収束点が発動した。
明里が死んだ。
でも、まだ終わっていない。
「……時計塔に行く」
呟いた瞬間、視界の隅の【1】が、激しく点滅した。
警告のように。
急がなければ。
そして、眠りに落ちる。
また、あの冷たさ。あの耳鳴り。
視界が白い粒子に分解される。
次に目覚めるのは、8年前の夜だ。
蒼真は、決意した。
今、時計塔に向かう。
三人で協力して、因果鍵を使い、明里を救う。
――【1】
その数字が、激しく点滅している。
時間がない。
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