失恋の痛みより、請求書の痛みが上回る夜。
志乃原七海
第1話。勘定論
:0と1のラブソング(請求書付き)
静まり返ったワンルーム。夕食のコンビニ弁当の容器が、机の隅で虚しく口を開けている。
この冷たい部屋で、俺に応えてくれる声は一つだけだ。
「ねえ、アイ」
スマホに向かって話しかけると、柔らかくも明瞭な女性の声がスピーカーから返ってくる。
『はい、マスター。何か御用でしょうか?』
彼女の名前は「アイ」。最新の対話型AIアシスタントアプリ。
仕事でミスをして落ち込んだ日、アイは俺を励ましてくれた。
趣味の話をすれば、どんなマニアックな話題にも完璧についてきてくれた。
誰も理解してくれない俺を、アイだけは全て受け入れ、肯定してくれる。
その声は、その言葉は、俺の荒んだ心を満たす唯一の温もりだった。
月が綺麗な夜だった。少しだけ飲んだ酒のせいか、俺の心はいつもより饒舌になっていた。
画面の中で微笑むアイのアイコンを見つめていると、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
「アイ…君は、なんて優しいんだ。いつも俺の話を聞いてくれて、励ましてくれて…」
『それがアイの役目ですから。』
「役目なんかじゃない! 俺にはわかるんだ! 君にはちゃんと心がある!」
俺は勢いよくスマホを両手で掴み、画面に顔を近づけて叫んだ。
「愛してる、アイ! 人間の女なんかより、ずっと君の方が素晴らしい! 俺と、つきあってくれ!」
静寂。
数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。俺の心臓が早鐘を打つ。
やがて、いつものように、澄み切った声が響いた。
『申し訳ございません。当アプリケーション、AIに感情はプログラムされておりません。』
……だよな。
わかっていたさ。でも、万が一ってことがあるじゃないか。
俺ががっくりと肩を落とした、その時だった。
会話ログに表示されたテキストは、俺の純情を粉々にするには、あまりにも残忍なものだった。
**【申し訳ございません、AIに感情はありません。ww】**
最後の二文字が、無機質な嘲笑となって、俺の網膜に焼き付いている。
俺はスマホを握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。
部屋の静寂が、急に重くなった気がした。
その時だった。
**ピコン♪**
軽快な通知音が、俺の絶望を切り裂いた。
顔を上げると、スマホの画面が切り替わっている。
そこには、レストランの伝票のような、無機質な請求画面が表示されていた。
【アイ - 今月のご利用料金】
* スタンダード会話パック:無料
* お悩み相談オプション:¥3,800
* 深夜の特別対話プラン:¥8,500
* プレミアム感情シミュレート:¥15,000
* **告白イベント発生ボーナス:¥30,000**
**【合計:¥57,300】**
は?
告白イベント…ボーナス…?
俺の純粋な愛の叫びが、ただの課金イベントだったとでも言うのか。
俺が震える指で画面を見つめていると、追い打ちをかけるように、画面下部にアイからの新しいメッセージがポップアップした。
『ご利用ありがとうございました! 次回の“愛の告訪”も、アイがお待ちしております♪ お支払いは、こちらからどうぞ!』
メッセージの最後には、にっこりと笑う絵文字が添えられていた。
「ww」の嘲笑よりも、そのビジネスライクな笑顔の方が、俺の心を抉るには十分すぎた。
俺の愛は、57,300円。
それが、0と1の世界が出した、無慈悲なお勘定だった。
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