第2話 カエルの神
ここ半月、夜、僕が布団に入ると、トイ君は押入れへと四つに這って行く。
僅かに襖を開け、身をかがめて猫のようにするりと入って行く。
押入れは二段に仕切られているから、頭を下げないと入れないのだ。
半月前、上段に収納されていた布団は、トイ君によって部屋の隅に運び出された。
それ以降、起床後に布団を押入れに仕舞うことはトイ君の抵抗によってできなくなった。
ついさっき、もうすっかり慣れた慣習として、僕は部屋の隅に出しっ放しの布団を広げてもぐりこんだ。
トイ君がぴしゃりと閉めた襖の隙間から懐中電灯の光が漏れている。
やがて、トントン何かをぶつけ合う音や、金属を擦り合わせる音がし、それらの合間に例のカスタネットを叩く音が割り込んでくる。
「トイ君、うるさいよ。何してるの?」
布団の中からこの半月、何度となく声を掛けた。
その直後音はピタリと止むが、襖は閉ざされたまま、くぐもった声が返ってくる。
何と答えたかは不明瞭で聞き取れない。
そしてまた思い出したようにガンガン、カンカン、カタカタ鳴り始める。
地上の全てがつまびらかに照らし出される日中、僕は毎夜押入れの中で何をしているのかと、トイ君に問い質した。
トイ君は机に頬杖を突いて、うつらうつらしていたが、え? と聞き返した。
僕が繰り返した質問も居眠りしながら聞いていた。
言い終えて、何の反応もないため返答を諦めていたら、三十秒程経ってから、え? と目を開けたけれど、すぐに閉じた。
そして崩れるように身を横たえた。
「こりゃ駄目だ」
僕は畳の隅に寝転がったトイ君を呆れ顔で眺めていたが、ふいと押入れに視線を転じた。
トイ君が眠りこけているのを確認しながら、僕は襖へと手を掛けた。
音をたてないよう、五センチばかり、そっと開けてみた。
片目だけで中を覗くと、薄暗い中に、ドライバーやコードが散らかっているのが確認できた。さらに目を凝らすと、机代わりの段ボールの上に、人形のような影が横たわっている。
僕は人形に光が届くまで、さらに襖を開けた。
そして襖をそれ以上開けずに、閉めてしまえば良かったと後悔した。
光の中に浮かびあがったのは、三十センチくらいの、上向きに横たえられた一体のロボットであった。
ロボットのおもちゃの見本のようなロボットである。
長方形のブリキの胴体には機能があるのか疑わしいカラフルなボタンが幾つか。
胴を支える足も頑丈な長方形。
腕もブリキだが、排水ホースを鋳型にしたような段々がある。
長く伸びた腕のその先にはU字型の手。
ここまでは完ぺきなおもちゃのロボットだ。
しかし、頭が頂けない。
長方形を乗せておけば良いところに、例のカエル型カスタネットが据えられている。
頭がとれたロボットに、その辺にあった適当な物をさしあたり乗っけておいたような雑さがあった。
間に合わせのようなカエル頭は不気味であったが、それよりも気味悪いなのは、ロボットから何本も伸びているコードである。
黒や白や赤のコードがカエル頭の胴体や足から四方八方に伸び、五本まで数えたが、まだまだあるのでそれ以上数えるのを止めた。
コードの先を辿ると、パソコンやモニターや電源装置につながっている。
トイ君は連夜、これを作成していたのであろうが、なぜ押入れの中で?
いつの間に持ち込んだのか不明のパソコンや電源装置のために、締め切ったこの空間では、屈みこんだ体を方向転換するのさえ不自由であろう。
窮屈な思いを我慢してまで、こんな場所でこんなロボットを作る動機とは何なのだろう。
瀕死の重病人のように何本もの管につながって横たわるカエルロボットへと、もう一度眉を顰めてから、ゆっくりと襖を閉めた。
こんな不気味な光景は遮断しておくに限る。
でも、目には入らずとも、こんな空間が自分の部屋に存在しているのは嫌な気分だ。
こんな物を作ってどうするつもりだ、とトイ君に尋ねたいが、きっとまた夢心地の中に、え? と言われるだけだ。
トイ君は己の頭の中だけの存在なので、好きにさせておけば良い。
突き放してやった思いで、締め切った押入れに背を向けたが、僕は大層不愉快であった。
カエル頭が背後に潜んでいるからもあるが、そんなことよりも、トイ君が僕の知らない理由の下、僕の知らない間にロボットを作成していたことが誠に心外であった。
この反発心の発露により、僕はもう決して押入れは開けないし、その中のことはトイ君に尋ねまい。
僕が干渉しなくなったことで、トイ君の作業は着々と進んだのだろう、数日後の深夜、押入れからの騒音がぴたりと止んだ。
僕は布団の中でまどろみながら、ついにあのカエル頭のロボットが完成したのだと感づいた。
今頃、カエルロボットは何本もの管を抜かれ、堂々と直立していることだろう。
僕の耳に、ひそひそと話すトイ君の声が聞こえた。
ロボットとお話しているのだろうか。
僕は夢見心地に考えながら眠りに落ちた。
ロボットは完成したはずであるのに、翌日の夜も、僕が布団を敷き始めると、トイ君はいそいそと押入れに入って行った。
眠りに落ちかけた時、囁く声が耳に付いてきて僕の意識はすっきり冴えた。
トイ君がまたあのロボットに話し掛けているのだ。
僕はそっと起き出すと、押入れににじりよって、襖に耳を当てた。
「……α波……だよ。1/fゆらぎ……。喚起させる……。とにかくα波……」
「人によって……。波の音……。虫……。α波……」
「郷愁……α波で……」
トイ君の声しかしない。
ロボットに応答できる機能はないようだ。
トイ君は一人で話し続けている。
僕は息を詰めて、さらに耳を澄ませた。
「やはり1/f……。喪失させて……」
「α波が出れば……。脳が……」
「そうなるように……、α波……」
やたらα波という言葉を連発しているが、こんな言葉をロボットに吹き込んでどうするつもりなのだろう。
どういうつもりもないのだろう。
トイ君は僕の心の中だけの存在であるから、カエル頭のロボットや、脈絡なくα波が出てきた以上、僕の精神が疲労していることが伺える。
疲れから来る思考の混乱だ。
僕はさっさと寝た方が良い。
そう結論付けて布団に這い戻った。
薄い掛布団の下で、ぎゅっと目をつむったが、α波云々の声はまだ耳の奥で語り続けている。
トイ君の声が催眠的効果を発揮したのだろう。
僕はカエル頭のロボットの夢を見た。
夢の中ではロボットの正体は明白であった。
カエル頭はレジスタンスの象徴であると同時に、テポシカ神の偶像であった。
テポシカ神の名は初めて聞いたが、その実体は世界のあらゆる理不尽な暴力を戒める神である。
故に神はお怒りであった。
三年以上に及ぶ遠い国の闘争は未だ終結しないどころか、連合軍まで参戦する事態に至ったからだ。
テポシカ神が荒ぶる前に、戦争を終わらせねばならぬ。
さもなくばテポシカ神が全世界に天罰を下すだろう。
トイ君はテポシカ神の神託を受け、地下工作を押入れ内で開始した。
まずはテポシカ神の偶像作りから……。
目覚めると、トイ君がお花を活けていた。
公園から失敬してきたらしいサルスベリの枝を、コップやペットボトルや丼をとっかえひっかえ、挿し心地を試していたが、僕の水筒でようやく落ち着いた。
ピンク色の花は、大学生の下宿には場違いに派手だ。
妙に際立つピンク色が強すぎて、僕は目を細めた。
誤解したのだろう、
「この水筒じゃないと、倒れるんだよ」トイ君が言い訳がましく苦笑した。
「別に良いけど」
僕は布団の上に座ったまま、彼がサルスベリをどうするのか観察していた。
トイ君は壁際に置いた台代わりの段ボールの前に水筒を置くと、サルスベリの枝をちょっと動かして、納まり良く整えた。
僕はぼんやりと段ボールの上のカエル頭ロボットを眺めながら、こいつは花なんぞを喜んだりするのだろうか、と考えていたが、ここでついに、はっと目が覚めた。
いつの間にロボットは明るみに姿を現したのだ?
今や日の光を受け、ブリキの体が神々しく輝いているではないか。
「それ……」
これ以上、僕は言葉が出なかった。
「それ?」
カエルロボットを正面に正座して、まだサルスベリの角度を調整していたトイ君が振り向いた。「テポシカ神のこと?」
「そう……」
夢と現実の境界が判然としない。
「分かっているだろう」
トイ君はなかなか素敵に笑ってみせた。
「いや、分からない」
「あれ? そうなの?」
トイ君は考え深げに数回瞬き「なぜ杜鵑は分かっていないだろう」さも不思議そうに呟いた。
トイ君は僕の一部であるから、トイ君の行動原理は僕にはお見通しであると信じているのだろう。
それなのにテポシカ神のことが分からないため、僕は少し苛ついた。
「それ何なの?」尖った声で尋ねると、
「え?」物思いに耽っていたトイ君は、忙しく瞬いて気を取り直した。
彼は僕の苛立ちには気づかず、
「こうやって使うんだよ」畳に散らばったコードの一本を手に取ると、ロボットの背中に差し込んだ。
続けて残りのコードもロボットのあらゆる箇所に接続した。
ロボットはまた重病人のように何本もの管に繋がれたが、太陽の光の中では至って壮健そうであった。
襖越しに見た時のように横たわっておらず、不動明王の如き安定感で直立しているためだろう。
僕が見守る中、順々にコードが繋がれると、トイ君はロボットに接続されたノートパソコンをカチャカチャ操作した。
なぜ電源と機器の間にロボットを介さねばならないのか僕は理解できなかった。
胴体部分で電圧の変換でもしているのだろうか。
それとも重大なシステム上の役目を担っているのか。
もしくは飾りめいた儀式的意味合いだろうか。
考えている間、トイ君はヘッドホンをつけて、パソコンの画面を凝視していたが、ヘッドホンを外しがてら振り向いて、僕においでおいでした。
僕は寝床から這って、トイ君の肩越しにパソコンを覗いた。
画面には映像が流れていた。
廃墟と化した街に、戦車が列をなして進んでいる。
僕は真横にあるトイ君の横顔を伺った。
「戦地の光景だよ。通信機器を設置しているんだ」
トイ君がキーボードを操作すると、画面は四等分されて、それぞれに異なった場所が映し出された。
さっきと同じ街と、他三か所の街角であるが、全てに破壊された家屋や瓦礫が映り込んでいた。
「同胞が設置した通信機器からの映像だ。こうやって監視しているんだ」
「うーむ」と、僕は身を引いて、腕組みをした。
空想の存在であるトイ君に同胞がいたとは初耳である。
先夜、押入れからトイ君の声が聞こえたが、彼は同胞と話していたのかもしれない。
相手の声はヘッドホンを通していたため、僕にはトイ君が一人で話しているように聞こえたのだ。
僕以外の他人の脳内の存在と、意思疎通しているとでも言うのだろうか。
そんなことは想像の暴走だ。
僕は収まりつつあった苛立ちを再燃させた。「同胞って何人?」
トイ君は、おや、というように眉を上げた。
疑問にすべきは戦地の光景がパソコンに映し出されていることであり、その目的であろうが、僕にとっては己が把握しておらぬトイ君の同胞とやらが最優先の気掛かりであった。
「十一人だよ」
「ふうん」十一人が多いのか少ないのかは分からない。
数は関係ないのだ。
「誰?」
「誰って……。色々だよ」
「色々とは?」
「うーん」
「うーんじゃ分からない」
独占欲の強い恋人のような僕の詰問に、トイ君は困ったように笑ってみせた。
「皆、学生だよ。学会で知り合った色々な国の学生。戦地の隣の隣の隣くらいの国の学生らが、通信機器を仕掛けたんだ」
恐れ入ってしまった。
トイ君が世界規模の人脈を有していたとは。
僕は嵐の中の風車よろしく、目まぐるしく思考を回転させた。
僕が人工衛星の翼の材質に関するポスター発表などを、宇宙工学国際学会などでしている間、トイ君はtelepathy的能力によって、自分と同じように、他者の中に存在する独立した個性と意思疎通していたのだ。
どうやって?
本体である僕に気づかれぬままどういった手法でやってのけたのだ?
しかも継続して関係を持続させている。
僕は片手で前髪を掻きむしった。
断じて嫉妬からではない。telepathy的能力が解明できないためだ。
「ねえ、トイ君。その人たちはちゃんとした善人? 真面目な人々?」
自らの足を引っ張るような、低レベルの質問であることを自覚しつつ、僕は問わずにはいられない。
「うん」トイ君はパソコンを操作しながら上の空で答えた。
「君を騙したりしないんだね?」
「え?」
トイ君は不思議そうに、疑り深くなっている僕を見つめた。
「僕らは同胞だから、大丈夫だよ」
僕ら!
僕らという言葉をトイ君が用いる時は、トイ君と僕のペアを指していなければ辻褄が合わない。
トイ君は僕の中の存在だからだ。
それなのにトイ君は勝手に同胞をこしらえて、僕を除け者にした。
「杜鵑、彼らは僕の仲間だよ。心配ない」
僕の非難がましい視線をトイ君は好意的に捉えたようだ。
彼は僕に向かって一度頷いてみせると、
「杜鵑、今は重大な時期なんだ」パソコンに向き直り、厳しい視線を廃墟の映像へ投げた。
「戦争を止めないと。連合軍まで参加するようじゃ、いよいよ剣呑だ。このままでは近い内に我が国も参戦する。他の国も同様の動きをすれば、世界大戦だ。それは悲劇だろう? 悲劇を止めるにはどうすれば良いかを、同胞と模索しているんだ」
「我が国は参戦しないよ。平和憲法があるから」
僕はいつぞやと同じことを繰り返した。
トイ君が淋しげに微笑した。
「平和憲法か……。悲劇を止める堰になれば良いが。時代の力は恐ろしいよ。ぐいぐい皆を一つの方向へと引っ張ってしまうんだ」
「時代?」
「うん。濁流みたいなものだ」
「どういうこと?」
「どういうこと……」
トイ君はしばし頬杖を突いて考えていたが、ふいと思考を脇道に逸らした。
「杜鵑のように恒久の平和を信じられれば良いんだけどな」
「信じるも何も、そうなんだから」
「そう願いたいね。でも僕は黙って流されて行くつもりはない。自分に出来ることはしないと」
「テポシカ神の崇拝者たちと?」
「まあね。テポシカ神は僕だけのまあ、遊びみたいなものだけど」
「その同胞はどんな人たち?」
「学生だって話したよ」
「人柄だよ。同胞は……」
堂々巡りだと思ったのだろう。
トイ君は少し目を見開くと、僕をその気にさせる魔術的眼差しを向けた。
僕は彼と同胞の企みを詳しく知りたかったため、捉えられた視線を無理矢理に引き剥がそうとした。
押し付けられるような圧迫に、僕はどうしても目を逸らすことができかった。
力を振り絞ったが、蛇に睨まれた蛙のように、動きたくとも動けない。
硬直した身体とともに、心臓も止まるのではないかと生存の危機を感じた。
指一本でも動かすことができれば、この呪縛から解放されるのに。
僕は焦りに焦っていたのだが、気づけば、時代の力に対抗するには、カエル頭のロボットによる神業が必要なのだ、と考え始めていた。
そして金縛りから呆気ない程に解放されていた。
トイ君は僕に横顔を向け、パソコンの画面を見つめながらキーボードを忙しく打っている。
画面からは廃墟の映像が消え、代わりに暗号のような文字が羅列し、トイ君の指に合わせて文字は増えて行く。
この文字で平和を手繰り寄せようとしているのだろうか。
カエル頭の偶像が神業を発揮するための呪文かもしれない。
容赦なく猛り狂う濁流のような時代の力に、トイ君と同胞は抗おうとしているのだろうが、全ては僕の頭の中の出来事だ。
トイ君が同胞といかに工作しようとも、夢幻の楼閣だ。
現実の戦争は治まらず、時代は悲劇へ向かって行く、そんな予感に心はざわめいて止まない。
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