それにつけても夏の暑さよ

永多真澄

序文:それにつけても夏の暑さよ

 本作『それにつけても夏の暑さよ』は、筆者が以前に詠んだ三十一首の短歌を出発点とし、それぞれの一首を副題に据えて綴った、三十一篇から成る「夏」の連作短編集である。

 一首ごとに一篇、小さな詩形に封じ込められた光景や心情を、別の角度から照らし直すように物語へと展開していく試みである。


 本書の制作にあたっては、対話型AI「ChatGPT」を用いている。筆者はまず自作の短歌と大まかな方針を提示し、それをもとにChatGPTに翻案を依頼し、物語の骨格となるプロット案を生成させた。

 その過程で、筆者とは全く異なるAI独自の視点が現れ、発想の方向性が大きく揺さぶられる場面も少なくなかった。その「ずれ」が解釈の幅を大きく広げてくれたことは、筆者にとっても予想以上に新鮮な経験であった。最終的な各篇は、そうして得られた案をたたき台として執筆したものである。


 もとになった三十一首の短歌は、別途、歌集としてまとめられている。筆者の公開作品に同名の短歌集があるのがそれである。本作から興味を持たれた読者諸氏には、ぜひその原型たる短歌集にも目を通していただきたい。

 先に短歌を読み、あとから小説を辿るもよし、小説を読み終えてから短歌に立ち返り、「この一首から、どうしてこの物語が生まれたのか」と静かに首をかしげてみるもよしである。二作を往還する読み方こそ、本作をもっとも贅沢に味わう手立てとなるだろう。


 ここに収められた各篇は、原作短歌の「解説」でも「忠実な翻案」でもない。一つの語感、一つの比喩、あるいは季節感だけを手掛かりに、まったく別の人物や時代が立ち上がることもしばしばである。そのずれや飛躍を含めて、三十一音から散文世界へと橋を架ける過程そのものを、ひとつの遊びとして味わっていただければ幸いである。


 短歌という定型詩は、しばしば古めかしく、敷居の高いものと見なされがちだが、三十一音という小さな器は、現代に生きる私たちの生活と言葉の手触りを、今なお鋭くすくい上げてくれる。

 炎天下のアスファルトの照り返しや、冷房の効いた部屋の窓ガラスにかかる露のような、一瞬で失われる感覚を、そっと掬いとめてくれる形式である。「短歌っていいよね。大好き」と、あえて平易な言葉で記しておきたい。

 本作が、読者諸兄のそれぞれの胸の内に眠る「忘れていた夏」の記憶を、少しでも呼び覚ます一助となれば、これにまさる喜びはない。


永多 真澄

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