第3話 小烈士の武 その3
二日目の昼にしてようやくまともな食事にありついた事になった烈心の食欲は旺盛だった。
平らげたばかりの器には蓮香の手がすぐに伸びて、鍋から次の一杯が注がれる。
「英紗は汁物が旨いとは聞いてましたが、凄いですね。まさかこんな山奥で御馳走になるとは思いませんでした」
「あちらでは良い塩と麦が獲れますので、それを使った料理が数多くあります。
すると口が乾きますでしょう?自然と汁物にも工夫がされるようになったんです」
「成程……」
ふつふつと煮える鍋の中身は、鳥などでだしをとった物に、野草や茸などに加えて、さらに麦の粉をつなぎにし、香草を加えた肉団子が入っていた。
硬くなりがちな獣の肉団子も、こうすると汁を吸って柔らかくなり、味も良くなるという訳だ。
食べながらいくらかお互いの身の上を話し合った蓮香と烈心は、互いを案じてどちらともなく霊薬を押し付ける様な雰囲気を作っていた。
「烈心君」
それでは困る、と決断をした朴天は一つ提案をする。
「古城のあたりまで行ったら、二手に分かれてはどうだろうか」
「あ……俺もそれがいいかも知れないと思っていました」
箸を止めた烈心が続ける。
「朴天さんは、蓮香さんを背負っていても、俺と同じくらいには動けますよね」
「ああ。速度は落とさず進み、遅くとも夕方には古城に着けると踏んでいる。体は大丈夫かね?」
「お気になさらず。遅れるようなら先に行って下さい。兎に角、博寿柳を見付けなければ話にはならない訳ですし」
湯気ごしの蓮香の顔が、申し訳なさそうに見えた。
「量が足りれば、融通し合う。足りなければ、見つけた者の物とする。それでいいだろうか?」
「俺はそれで大丈夫です」
器を持った手に力が入った。
蓮香の異様な肌の白さは、恐らく重度の血虚によるもの。毒による血虚とは、即ち造血を行う機能の破壊を意味している。
毒に詳しい訳ではないが、天然の物とは思えなかった。これは、暗殺などに用いられる類のものではないかと読んでいた。
何れにしろ命を奪う毒だ。ゆっくりとだが確実に蓮香を蝕み、殺す。
それと引き換えれば、自分の内傷は放っておいても死ぬようなものじゃない。
ならば、答えは他にない。
地に頭を擦って「譲ってくれ」と頼むべき場面である。しかし朴天はそれをしない。
烈心がどういうつもりかを、朴天も蓮香も悟ってしまっている。なのにそれを拒む余裕が二人にはない。
「すまないがよろしく頼む」
「はい」
頭を下げるしかない朴天は正直、烈心の顔を見られないでいた。
この状況で、晴れやかに笑っている心優しい青年の未来が、少しでも良い物であってくれと天に願うしかなかったからだ。
昼食の後、後に続く者達に備えて慎重に火の痕跡を消した烈心と朴天は、顔を見合わせて頷き合う。
朴天の背には腰紐同士を括り付けた上で背負われた蓮香が居り、その腕が朴天の太く逞しい首に回っている。
並んでみると意外にも朴天の上背は六尺あるかないかで、烈心と殆どどっこいであった。
それがどうにも大きく見えるのは、彼の境地の為なのか、人物の大きさ故なのか。
「では、は……」
言いかけた朴天は咳払いを一つして、蓮香を背負い直す様に肩を上下させた。
「蓮香、しっかり捕まっているのだぞ」
「はい、父上」
そう答える蓮香の顔色は、先程までよりは幾らか良さそうに見える。
「行きましょう」
烈心は自然と先導する様に位置取って駆け出した。
破れた靴は朴天に道具を借りて繕い直し、豆の潰れた足にも薬を塗ってある。
長旅の為か、朴天の準備は余念がなく、荷も道具もとても実用的にまとめられていた。
それらの荷物が背ではなく胴の前に括り付けられている。
さぞ動きにくいであろうに、朴天の足取りは実に軽く、烈心が若干気を遣って慎重に進んでいるのを差し引いても迅速といえた。
「速度を上げても?」
「構わない。急ごう」
返事を待たず、烈心の足先に力が籠る。
「ほう」
と漏らして朴天はそれに続いた。内功の不足を外功で補っているのは分かるが、驚くべきはその精度の高さだ。
人体の構造や力学的な仕組みへの高い理解が、効率の良い運動を実現している。野生の獣が本能でやっているそれを理屈で自分の身体に落とし込んでいるような動きだ。
「師門はどちらかな?」
「門人ではありませんが、宗氏鉄鎖脚の大長老から少しばかりの手ほどきを受けました」
それを聞いてか、前からの風を避けるように身を丸くしていた蓮香が僅かに顔を覗かせた。
「成程、鉄鎖脚の歩法を元に独自の軽功に仕上げた訳か」
「御存じで?」
「この先にある古城がまだ機能していた頃……三十年ほど前には、この地方では第一人者であったと聞いている」
「あの方は、亡くなった父とは年の離れた友人であったそうです」
朴天の背中で聞いていた蓮香の目が細められる。
「素晴らしい才能をお持ちなのですね」
言われても当人はしっくり来なかった。それに近い事は東悟も口にしていたが、自覚出来た事は無い。
それ以降は他愛のない話が続くが、うっかりと烈心は二人の素性を掘り下げる様な事を言ってしまう。
「あ、と。すみません」
「いや、気にしないでくれ。話すのが筋とも思うが、聞かない方が為になるかも知れないのでね」
その通りだと考えて、烈心も話を逸らす。悲しいかな博寿真露を渡した後は、関わらない方がお互いの為になってしまう身の上だという事だ。
「どうお礼をすればいいのやら――」
烈心には聞こえない、しかし朴天には聞こえる程の小ささで蓮香は唇を震わせ――固く結んだ。
やがて古城を含む険しい岩山が姿を現し、二つの影の動きは高く跳ね飛ぶ様なものへと変わっていった。
山脈の裾野に口を開いた峡谷は、昼なお薄暗い。
その奥にひっそりと沈む古い城砦は、もう誰の旗も掲げていなかった。
古くは範城関とも呼ばれていたこの一帯は、小さな集落も伴う国境警備の要所であったが、それも紛争が起きるまでの事であった。
国境を守るため築かれた石壁は崩れ、今にも崩れ落ちそうな見張り台は、蔦を含む草木の支えで立っているように見えた。
霧がゆっくり這い寄り、山風は屋根の裂け目を吹き抜け、かつての兵の声をどこか遠くへ攫っていく。
踏みしめるたびに枯れ枝が折れ、湿った空気が衣にまとわりつく。
外郭はとうに土砂に呑まれ、正確な高さと範囲を分からなくしていた。
しかし、崩れゆくその姿には、かつてこの地を守り抜こうとした人々の気迫がかすかに残っている。
「とんでもない荒れ方ですね」
「我等英紗の仕業である故、何とも言い難いな」
朴天はかつての戦いについて詳しくはない。親から話を聞いた気がするという程度の知識である。
しかし、この破壊は話に聞いていたよりも激しく、戦いの苛烈さを物語るようだ。
城内に踏み入ってまず目を引いたのは鉄製の城門の壊れっぷりだった。
半尺ほど厚みのあるそれが雑巾の様に捩じれ曲がった状態で、四丈は後方の壁面に突き刺さっている。という凄まじい光景。
錆びていくらか風雨に削られながらも、確かに残っているそれは、間違いなく人間の足の形……蹴り跡である。
「こんな事が出来るものなのですか?」
人間がこの蹴りを食らえば、恐らく人の形を留めないばかりか、一里先まで弾き飛ばされるであろう。それだけの脚力を感じさせた。
「界命の境地に達していれば、可能でしょう」
一旦腰紐をほどいて下ろされた蓮香が、言う事を聞かない膝を抱え、横に倒しながら言った。
ぞっとしない。絶対的境地はそれほどの物なのか、と烈心は戦慄する。
武人の境地において、星神境地は伝説上の物とされ、ここ百年は到達した者もいないと言われている。
それ故、当代おいて天下に名を轟かす大達人は、その多くが界命境地と霊祭境地にある。
特に真武十三傑と呼ばれる十三人の武人はそれぞれが極めて優れた武魂を有する事からも他と隔絶しており、実質的な武の頂点に君臨している。
朴天の境地は――ひょっとすると霊祭境地に達してはいないか、と烈心は読んでいる。
大陸最大国である天遊に忍び込み、足の悪い娘を背負っての旅というのは相当に厳しい。どこかで必ず自身の強さに頼らねばならない局面があった筈である。
それでもなお、天遊国に囚われる事も無く今日こうしていられるのは、運や偶然だけで済む話ではない。
市井とは一線を画した高い武の境地の裏打ちがあったのではないか、そう考えたのだ。
「私の顔に、何かついていますか?」
「あ、いえ。何でもありません」
それに蓮香の反応だ。あれほどの武威の痕跡を前に、さほどの驚きを感じていない様子。
知識か経験かで、近しい物を識っている者の反応であろう。
であれば、朴天の境地にもある程度の察しが付く。
そして朴天の方も、烈心の送る視線の変化に気付いて、やれやれという雰囲気を醸し出している。
「日が暮れる前に手掛かりを掴みたい所だ」
「城内に記録は残っていないでしょうか?
ここが国境防護の要として運用されていたのなら、周辺の調査は定期的あったかと思います」
「道理ではあるが、博寿柳ほど稀少な木であれば、すでに中央が把握していておかしくない。
それが今頃騒ぎになるのであれば、三十年前の時点では誰もその存在を確認していなかった可能性がある」
これもまた道理であった。城主が知りながら秘匿した可能性もあったが、城兵を始め相当数の人間からその存在を隠し通せたのかという疑問も湧く。
「後の可能性は、三十年前にそれらに関わっていた人物が戦禍にあった……でしょうか」
烈心は城の荒れ具合から、ここに長らく人の出入りが無い事を確認していた。
遺物の回収等もなく、本格的に放棄されたという事であろう。
「そうだな。その前提であれば状況とも矛盾しない」
「兎に角探してみましょう、あまり時間がありません。何も無ければ虱潰しになります」
「すみません。私はお役に立てませんからここに残ります」
申し訳なさそうに頭を下げる蓮香に目配せして、二人はもう少し城の奥へと歩を進めた。
土砂に半ば埋もれた通路を抜け、崩落した天井の下へ踏み入ると、舞い上がった灰の匂いが鼻をかすめる。
瓦礫の散らばる中で、不自然に固まった影が一つあった。
「書庫のようですね」
「当りと考えてよさそうだな」
朴天の丸太のような腕が、朽ちた梁を軽々と持ち上げる。
その下で護られるように転がっていたのは、焼け残った書棚だった。
棚板は崩れ落ち、外側は焦げて黒ずんでいる。それでも内部には木箱入りの書簡が詰められていた。
指先で瓦礫を払い、慎重に書簡を取り上げると、端は熱にやられていて触れただけで崩れ落ちるほどに脆い。
だが、中央の文字はまだ力強い筆致を宿していた。
「思ったより数があるな」
「朴天さん、天遊の文字は」
「問題ない」
「では半分お願いします」
手分けして読み進める。
そこに記されていたのは、丁度紛争のあった三十年ほど前の記録だった。
山の北側斜面で伐採が行われ、戦に備えて補修や兵糧確保を行った事が何とか読み取れた。
次の紙片に移ると、筆運びが少し柔らかくなる。書き手が変わったのであろう。
そこには伐採の後について触れられていた。
──珍しい柳の苗を移し植えた、と。
古城の少し西、いよいよ英紗との国境に近い川に滝があり、その近くに住む住人から美しい柳を譲り受けた旨が記されていた。
「……これだな」
朴天は僅かに聞いた覚えのある昔話との一致を感じ取り、頷いた。
「見付かりましたか?」
「ああ。そちらは何かあったかね」
「近くの滝の裏に洞窟があるとか、確認しに行ったらそんな物は無かったとか……」
「こちらも滝に触れる話はあるが……その辺りかね」
「道中にそれらしきものは無いですし、やはりもう少し英紗によった辺りでしょうね」
更なる情報を得られないかと、別の書簡を探してみるが、状態は兎も角として内容は全く関りが無さそうな物ばかりである。
「時間が惜しい。ここからその滝の方を目指せば道すがら見つかるかも知れん」
「そうですね。完全に日が落ちる前に出ましょう」
古城の屋根を借りて夜を明かすのも一つの手であるが、何分あとがつかえている。
一応、件の書簡を懐に仕舞って朴天は来た道を戻り始めた。
烈心もそれに続こうとしたが、ふと朽ち果てたこの書庫の在りし日の姿が目に浮かんだような気がして足が止まる。
砦の静寂が、急に厚みを増した。
石の下に眠る兵達の記憶が、時を越え、わずかな声となって流れ出してくるようだった。
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