第2話 世界最底辺で目覚めた転生者

 朝焼けの赤が、古びた神殿の壁を染めていた。

 あの夜、闇の女神クロエと契約を結び、俺の中に流れ込んだ黒い力は、眠っていたはずの記憶を呼び覚ます。

 かつての――前世の記憶。

 現代日本で、ゲームプログラマーとして生きていた頃の断片。終電を逃し、徹夜続きでコードを書き、会社に心を削られていた日々。

 その最期に、突然の事故で命を落とした。

 だからこそ、俺は――“転生者”なのだ。


 だがその記憶には、まだ霧がかかっていた。

 この世界に来てから十七年。リクトとして育ち、冒険者になり、勇者の仲間として戦い、裏切られて捨てられた。

 転生者としての“自覚”も、“使命感”も一度は消えていた。

 けれどあの夜、クロエの権能と混ざった時、思い出してしまったのだ。

 ――俺が元いた世界の知識と、この世界の理を、構築する力を。


 神殿の外に出ると、灰色の空が広がっていた。

 ここは王都から遠く離れた辺境、忘れ去られた廃墟地帯。数百年前の戦争で焼け落ちた都市の跡地だ。

 石畳の隙間から雑草が伸び、家だったはずの建物は瓦礫と化している。

 人の気配がまるでない。

 最底辺――まさにそう呼ぶのがふさわしい。


 クロエは神殿の階段に座り、黒い外套を翻して小さく笑った。

「いい朝ね、リクト」

「……いいかどうかは微妙だな」

「あなたの気配が、この地に馴染み始めている。世界は、わたしたちを排除できなかったようね」

 彼女の声は鈴のように澄んでいたが、その内容は重かった。

 排除――つまり、神の権能を人が得たことで、世界の法則が俺を“異物”として拒絶していたということか。


「クロエ、お前が言ってた“権能”って、具体的に何ができる?」

「容易に言葉では説明できないけれど、強いて言うなら――“存在の複製”」

「存在……」

「あなたのスキル【権能コピー】は、もとより模倣の力だった。けれど神の権能と混ざり、いまや“概念そのもの”を写せる。想像、理、法則、記録……それらを、あなたの意識が理解する形として再構築できる」


 つまり。

 理屈を理解すれば、魔法も、スキルも、神器も、神そのものも――“再現できる”。

 理不尽な力の源を、自分の中に取り込むことが可能ということだ。

 頭の芯が痺れる感覚に近い。

 だが同時に、戦慄するほどの高揚感があった。


「危険だとは思わんのか?」

「……ええ、危険よ。なにせ“世界の根本に足を踏み入れる”行為だもの。

 でもあなたは、すでに戻れない。ならば進むしかないわ」


 クロエの言葉は甘美な毒のようだった。

 この女神は俺を導こうとしているのか、それとも堕とそうとしているのか。

 どちらにせよ、俺にはもう選択肢など残っていない。

 何もかも奪われたなら、奪い返すまでのことだ。


 俺は拳を握り、深呼吸した。

 空気の冷たさが、覚悟を形に変えてゆく。

「まずは……生きていける基盤を作らないとな」

「基盤?」

「住処と、食料と、情報。それから金だ」

 前世でゲーム設計をしていた時の癖が出る。いくら力があっても、データもリソースもなければ戦えない。

 計画を立てること――それが俺の“戦い方”だ。


*****


 その日の午後。

 俺は神殿の中を徹底的に調べ回った。

 瓦礫の奥から錆びついた宝箱を発見し、中から古びた地図とギルド通信用の水晶片が出てきた。

 地図はこの辺境一帯のもので、今なお残る集落や廃坑の位置も記されている。

 そして水晶片――これは古代通信魔術の端末だ。

 ギルドネットワークに接続できれば、情報収集が容易になる。


 問題は電力、いや、この世界で言うなら魔力供給だ。

 俺は両手をかざし、頭の中でイメージを描く。

 回路、エネルギーフロー、転送比率。

 前世で慣れ親しんだシステム構築の思考法を、魔法理論に置き換える。

 魔導回路の構造を理解し、クロエの権能でその理を“コピー”した。

 淡い光が走り、水晶片が息を吹き返す。


 表示されたのは、冒険者ギルドのメインネットワークに接続するためのアクセス制御陣。

 だが、今の俺の立場ではログイン権限がない。追放の際に登録データごと消去されたからだ。

「不正アクセス、か。昔を思い出すな」

 かつて開発中のオンラインゲームにこっそり潜り込んでデバッグしたことを思い出す。

 あの時も、誰にも見つからないように裏口を作り、管理権限を奪取した。


 脳裏に閃く。

 同じ発想でいける。

 俺は魔法陣の構造を再構成し、管理者認証を“模倣”する。

【権能コピー:管理権限構造】

【模倣完了】

 水晶が高く鳴動し、接続が通った。


 画面のような魔導投影が宙に浮かび、ギルドデータが次々と流れる。

 世界最大ギルド連合ヘヴンズ・ライン。そこから派生する各地域の支部。冒険者登録数、魔物分布、魔鉱資源、そして――

 勇者ユリウスの名が表示された瞬間、胸が熱くなった。

 現役勇者パーティー、王都直属聖剣の盟約

 リーダー:ユリウス=アーク。

 メンバー:リゼ=セイル、バルド=グロス、その他2名。

 “魔王討伐遠征中”と記されている。


 遠征。

 つまり、奴らはいま王都を離れている。

 この隙に、俺は動ける。


 データの奥に隠されたサブネットを辿る。

 そこにはギルドが封印した“失敗作スキル”の研究データがあった。

 規格外すぎて危険と判断され、封印されたスキル群。

 【分解】【時流操作】【魂希釈】……どれも通常では扱えない。


 俺は思った。

 この中から、模倣可能なものを抽出すれば、最短でギルド上層へ食い込める。

 求めているのは、成り上がりの足場。

 ただの復讐だけでは終わらせない。

 世界の構造そのものを掌握するための準備だ。


 クロエが背後から覗き込み、目を細める。

「人間の知識は、いつも興味深いわね」

「お前の力がなければ、ここまで辿り着けなかった」

「いいえ、これはあなた自身の力。わたしはただ、少し扉を開いただけ」

 女神の微笑は、どこか危うい。

 だがその笑顔に、奇妙な安心を覚えている自分がいた。

 孤独な復讐劇のはずなのに、今はひとりではない。


*****


 夜、廃墟の空気は一段と冷え込む。

 焚き火を囲みながら、俺は新しい術式を試していた。

 【権能コピー】で得た「模倣」の応用――それは“融合”。

 前世のプログラム構築の論理をもとに、スキル同士の相互干渉を設計していく。

 たとえば【魔力強化】と【空間操作】を組み合わせれば、簡易的な浮遊が可能だ。

 さらに【身体強化】と【構造解析】を掛け合わせれば、筋肉の動きを極限まで制御できる。


 実験の末、手をかざすと空間が淡く揺れる。

 指先に黒い魔方陣が現れ、地面の小石がふわりと浮き上がった。

「成功、か」

「あなたの融合は、原理さえ理解できれば無限大に拡がる。だけど、代償を忘れないように」

「代償?」

「力は、等価を求める。模倣するということは、オリジナルと繋がることでもあるの」

「……つまり、コピー元に影響を及ぼす可能性があるってことか」

「そう。あなたが強くなれば、元の勇者パーティーも何かしらの変化を感じ取るかもしれない」


 少し考えた。

 それでもいい。

 むしろ、俺の存在を思い出させてやるには好都合だ。


 焚き火の火が高く上がり、影が揺れる。

 クロエはその明かりを背にしながら言った。

「リクト。あなたはどこまで行くつもり?」

「頂点まで。俺を試した世界の法則ごと、書き換える」

「ふふ、それを“神”と呼ぶのよ」

「なら、俺は神になる」


 夜風が吹き、灰が舞う。

 焼け落ちた世界の底で、俺は小さく笑った。

 かつての勇者たちが見捨てた“無能”が、いま世界再構築の礎に立とうとしている。


 焚き火が消えるころ、空には満天の星が広がっていた。

 目を閉じる。

 遠い記憶の中で、電車の振動とキーボードの音が重なる。

 “記録を改変できる者が、世界を掌握する”――プログラマーとして信じていたあの理念。

 それを今、この異世界で証明してみせる。


 最底辺からの逆襲は、まだ始まったばかりだ。

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