第2話 冒険者ギルドでの屈辱
翌朝。
日の光が昇るころ、俺は王都の冒険者ギルドへ向かっていた。
道路の両脇には露店が並び、パンや野菜を売る声が飛び交う。空気の匂いも昨日より鮮やかに感じる。
肩の上では、青いスライム──ルナがぴょんぴょんと弾んでいた。
「ぷるる♪」
「お前、朝から元気だな」
昨日、たった一つのスライムを契約しただけで、世界の見え方が変わった。
魔物図鑑スキルの真価に気づいた以上、ここからが本番だ。
まずはギルド公認のクエストを受けて、実績を積んでいく。それが目的だった。
だが、現実はそう甘くなかった。
*
「えっと、新人登録からお願いしたいんですが」
受付カウンターの奥に座る金髪の女性が、愛想笑いを浮かべながらカードを手に取った。
昨日とは違う受付嬢だが、彼女の目もステータスを見た途端に曇る。
「……テイマーさん、ですか」
「はい。一応、従魔のスライムがいます」
俺の肩でぷるりとルナが揺れてみせる。
けれど彼女は困ったように目をそらした。
「申し訳ないですけど、テイマーの方は依頼を受けるときに制限がありまして」
「制限?」
「単独行動禁止と、依頼の難易度制限。それに、討伐系の報酬も半減になります」
まったく優遇されていない。
いや、むしろペナルティに近い扱いだ。
俺は内心舌打ちしながらも、低ランクの依頼書を眺めた。
掲示板には、「薬草採取」「スライム駆除」「下水清掃」など、掃除や補助作業ばかりだ。
「まるでアルバイト扱いだな……」
「その、テイマーさんは自衛が難しいですから……。戦闘職の人と組んでみては?」
「そうですね、誰か見つかれば」
そう言いつつ、周囲を見渡す。
昼前のギルドは賑やかで、鎧姿の男たちが木のテーブルで談笑していた。
だが、俺に気づくとすぐに視線を逸らす。
「テイマー?」
「おい見ろよ、肩にスライム乗せてるぞ」
「マスコット気取りか?」
ひそひそと笑いが漏れる。
昨日の王城と同じだ。
どこに行っても、“外れ職”の烙印は消えないらしい。
*
それでも諦めるわけにはいかない。
俺は医薬素材の採取依頼を受け、ギルド外の平原に出た。
指定の草を摘むだけの簡単な仕事だが、ルナにとっては初めての外仕事だ。
「ルナ、警戒お願いな。何かいたら教えてくれ」
「ぷるっ!」
ルナが前方を跳ねながら、まるでスカウトのように動く。
かわいい見た目とは裏腹に、彼女の感知能力は案外高い。
魔物図鑑を見ると、“敵感知:低”というサブパラメータも付いていた。
昨日までは表示されていなかった欄だ。たぶん進化の影響だろう。
俺が夢中で草を摘んでいると、後ろから声がかかった。
「おい、そこの新人。薬草採取か?」
振り返ると、三人組の冒険者パーティが立っていた。全員が銀のランクプレートを下げている。
中心の青年が長剣を肩に担ぎ、威圧的に笑った。
「そのスライム、もしかしてお前の従魔?」
「そうですが……何か?」
「ははっ、冗談みてえだな。スライム連れて依頼とか、命知らずかよ」
取り巻きの二人も笑い、俺を上から下まで見渡した。
不快だったが、無視するのが得策だろうと顔を背けた。
「関係ないなら放っておいてください」
「まあ待てよ。俺たち今、手が足りねえんだ。薬草採取の納品ノルマがある。お前が集めた分、少し分けてもらえるか?」
「……依頼人が決まってる仕事なんで、無理です」
「生意気だな。新人のくせに口答えか?」
剣の切っ先がわずかにこちらを向いた。
ギルドでは武器を抜くのが禁則だが、外では自己責任。
嫌な汗が背中を伝う。
その瞬間、ルナがぴちっと鳴いた。
「ぷるっ!」
俺の前に飛び出し、水弾を放つ。
飛沫が青年の顔をかすめ、驚いたように目を見開いた。
「うわっ……テイマーのスライムが攻撃した、だと?」
「お前、従魔をけしかけたな……!」
「いいや、ルナが勝手にやっただけだ」
「屁理屈言うな!」
剣を抜かれる寸前。俺は咄嗟にスキルを起動した。
魔物図鑑──編集モード。
ルナの欄に、昨日気づいた小さな余白がある。そこに“防壁スライム(進化試作)”と入力した。
光が広がり、ルナの体が淡く輝いた。
次の瞬間、透明な膜が俺の周囲を包み込む。
「な、なんだこの壁っ!?」
青年の斬撃が膜に弾かれる。軽い振動はあったものの、傷一つつかない。
「なるほど……条件を編集すれば、進化形も即座に適用されるのか」
思わぬ手応えに俺は心の中でガッツポーズを取った。
しかし周囲の冒険者たちは唖然としている。
騒ぎを聞きつけたギルド職員が駆け寄り、事態を仲裁した。
「そこの三人、武器の抜刀は禁止です! 違反扱いで罰金です」
「ふざけんな、俺たちは……!」
「言い訳は結構です」
職員の冷静な声とともに三人は渋々引き下がる。
残された俺に、職員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。テイマーの方はよく絡まれるんです」
「まあ、慣れました」
「念のため、ギルド内では能力の使用を控えてくださいね。いろいろ騒がれますので」
「了解です」
彼女は笑って去っていった。
振り返ると、ルナがぷるぷると震えていた。
小さな体で俺を守ろうとした様子が、なんだか胸に刺さる。
「ありがとうな、ルナ。助かったよ」
「ぷる、ぷる〜♪」
まるで得意げに鳴くルナを見て、思わず頬が緩む。
*
夕方。
依頼を終えてギルドに戻ると、受付嬢が目を丸くした。
「お疲れさまでした。……えっ、この量すごいですね! 一日で規定の三倍も!」
「ルナが頑張ってくれたんです」
「スライムが、ですか?」
「はい」
驚く受付嬢の前で、俺はカードを差し出す。
手続きが終わると銅貨数枚と、少し高い評価値がカードに刻まれた。
これでようやく「Eランク冒険者」として正式に登録されたらしい。
「本当に変わったテイマーさんですね。応援してます」
「ありがとうございます」
ギルドを出ると、夕暮れの影が長く伸びていた。
街路の屋台からは肉の焼けるいい匂いがする。
ルナが鼻を鳴らすようにぷるると揺れた。
「腹減ったか? よし、今日はご褒美に甘草の蜜を探そう」
「ぷる!」
肩の上でルナが弾み、空色のしずくがこぼれた。
風に揺れるそれは、まるで希望の灯のように見えた。
わずかな成功。けれど確かに一歩進んだ。
俺は拳を握る。
この世界で、最弱職だからこそ掴める力がある。
“編集できる図鑑”――それはもはやただのスキルではない。
「次は、戦闘依頼でも挑戦してみるか」
ルナが短く鳴き、俺の頬を弾いた。
小さな相棒とともに、俺は夕暮れの街を歩き出した。
最弱の名を背負って、最強への一歩を踏みしめながら。
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