【作中小説】えッ、犯人はまさかの艦長! 親不知の虫歯で一発逆転の軍事ミステリー。少尉のバナナは甘くない!!(原題 齲蝕)

【第一話】少尉のバナナは甘く無い!!


 正月休み明け、藤澤芳樹海軍歯科少尉は戦艦『伊予』の歯科治療室でやる気なく机に伏せていた。

 海軍士官になってまだ1年。小柄で笑うと少年の様に見えるが、今日はまだ笑顔がない。


「少尉、まだ年末のこと引きずっているんですか? いい加減に気持ちを切り替えて仕事をしてください」  


 藤澤より八つ歳上の野々山太郎看護二等兵曹は、器具を消毒しながらあきれた視線を藤澤に投げかけた。


「だって年末に予約していた甘味詰め合わせが買えなかったんだぜ? もう俺は働く気が起きない……」  


 藤澤は机に右頬をつけたまま口を尖らせ拗ねている。野々山が深いため息をついた。


「芳樹坊ちゃんは昔からすぐ拗ねますよね。子どもの頃からちっとも進歩がない」

「その呼び方はやめろ。俺ももう大人だ」

「私にとっては本家の芳樹坊ちゃんですよ」


 不貞腐れる藤澤とは対称的に、野々山は黙々と手を動かしている。藤澤は野々山の大人びた横顔を眺めたあと、ふいっと逆を向いた。


「太郎にぃが歯科医になれば良かったんだ。俺なんかより器用だし」

「馬鹿なこと言わないでください。私は女中の息子ですよ? 旦那様のお情けで中学に行かせてもらっただけでもありがたい」


 二人の会話が途切れたとき、野々山がぴたりと手を止めた。彼の視線は、治療室の重厚な鉄の扉をじっと見つめている。


「どうした、太郎にぃ?」

「少尉。足音が近づいてきます。仕事の時間ですよ」


 三秒後、口を押さえた下士官が治療室へと入ってきた。甲板作業中に転倒し、歯が欠けたらしい。藤澤の顔がキリリと引き締まる。


「小さな欠損だな。セメントを補填しておこう」  


 ユニットに横になった下士官の口を覗きながら藤澤が言った。

 野々山はすぐにセメントを用意する。治療が始まると、何も言わずとも藤澤の欲しい機材が欲しいタイミングで手渡される。まさに阿吽の呼吸だった。


「セメントが固まるまで、二時間は飲み食いをしないように」

「はっ、ありがとうございました」


 治療はすぐに終わり、下士官が部屋を出ていく。扉が閉まった瞬間、藤澤は直ぐにダラダラしはじめる。


「俺は甘味が食べたかった……取り置きを横取りした奴は絶対ゆるさん」


 藤澤は治療器具を適当に置くと、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。表紙には雑な字で『甘味横取リ犯探シ帳』と書いてある。


 野々山は、またため息をついて、カチャカチャと器具を片付け始めた。


「芳樹坊ちゃん、甘味くらい良いじゃないですか。次の停泊の時に私が買ってきてさしあげますよ」

「全然良くない。あの甘味詰め合わせは水交社で数量限定のものだ。補給艦船『間宮』の羊羹も入っていたというのに……」   


 藤澤は目に涙を浮かべてノートを睨みつけている。


「俺は三ヶ月前からずっと楽しみにしていたんだ。それを……取り置き棚にあった俺の甘味を……横取りして現金で買った奴がいる」   


 藤澤の目から涙がぽとりと落ちた。野々山がそっと藤澤の横に寄り添うように立った。


「坊ちゃん……」  


 野々山の手が、そっと藤澤の白い頬に伸びた。


 一呼吸のあと、野々山は藤澤の頬をぶにっと引っ張った。


「いい加減にして下さい。これから歯科検診ですからね!」

「ひゃ……ひゃい。ひょめんなしゃい」


         *


「右上、七から一、ヨシ。左上、一から六、ヨシ……七が、バツ。抜去済みだな」  


 検診がはじまる。藤澤は迷いなく口述し、野々山はそれに合わせて正確に略号を書き込んでいく。


「右下、七ヨシ、六 C2、五から一、ヨシ、左下、全てヨシ。以上だ。川本兵曹、六 C2 は次の停泊中に処置する。野々山兵曹、記録しておけ」

「承知いたしました」


 藤澤の専門医としての迅速な判断と、野々山の記録・補助の阿吽の呼吸が、再び治療室に満ちた。

 しかし、受診者が途切れると、藤澤の集中は見事なまでに崩れさる。


「太郎にぃ、俺もう疲れた」  


 藤澤は、歯科ユニットに腰掛け、背もたれを深々と倒すと大きく伸びをして、また愚痴の続きをこぼしはじめた。 


「甘味セットは『伊予』の棚に置いてあったんだから、犯人は間違いなく艦にいるはず! 水交社の社員の話だと、太った奴だったと……しかし、うちの士官に肥えたやつなんて居ねえ!」

「坊ちゃん、次、艦長ですよ?」  


 野々山が手際よく器具を並べながら言う。藤澤は慌ててユニットから起き上がり、白衣の襟元を正した。  

 戦艦『伊予』の艦長、島豊作しま ほうさく大佐は、海軍内でも有名な色男であった。  

 顔の造作は中の上といったところだが、何故だか女性にモテる。各地の鎮守府に愛人がいるだとか、めぼしい料亭の女将おかみとはすべて懇ろな仲だとか、その手の艶聞えんぶんに事欠かない人物であった。

 しばらくして、歯科治療室に島艦長が姿を現した。小脇に紙袋を抱えている。


「藤澤少尉お手柔らかに頼むよ」

「今日は治療でなく検診ですから、痛いことはしませんよ」


 島がユニットに横になり、口を大きく開けた。


「右上、八、欠(ケツ)七から一ヨシ。左上、一から七、ヨシ。……八は……抜去済」

 藤澤がハッとした顔をした。

「右下、七から一、ヨシ。左下、全てヨシ」


 藤澤の声は心なしか震えていた。

 野々山を手招きし、カルテを確認した。そこには左右の第三大臼歯の抜歯が必要で海軍病院に紹介状を書いたと記されていた。日付はつい最近、昨年末である。甘味のショックで忘れていたが、確かに紹介した覚えがある。


「犯人は、かん……ッ!?」  


 そう叫びかけた藤澤の口を、野々山の分厚い手がむんずと塞いだ。


「……犯人?」  


 島はきょとんとした後、すぐにその意味を悟って破顔した。歯科ユニットから颯爽と立ち上がると、傍らの荷物置き場から紙袋を掴み、藤澤に差し出した。


「いやあ、バレたか。君の予約分を私が代わりに引き取ったんだ。それを伝える前に休暇に入ってしまってね。ははは、悪かったな」  


 藤澤が慌てて受け取り紙袋を覗くと、そこには憧れの『間宮』の羊羹と、バナナが一房入っていた。


         *


 診療が終わり、野々山が片付けをする横で、藤澤はすっかりご機嫌だった。


「甘味セットの代わりに羊羹とバナナか。悪くないな」  


 藤澤はバナナを房から一本ちぎり、半分皮を剥いて野々山の口元へ差し出した。


「手が塞がっています」

「このまま齧りつけばいいだろ?」  


 野々山は軽くため息をついたあと、バナナに顔を近づけ、端を一口齧りとった。


「坊ちゃん、まだ硬いですよ。……まだ青いですね」  


 野々山は咀嚼しながら、ニヤリと笑う。


「少尉のバナナは甘くない、といったところですね」

「ふーん、未熟で悪かったな」

「おや、私はバナナの話をしたつもりですが?」


 不貞腐れる藤澤の頭を、野々山がポンポンと無遠慮に撫でた。 


「しかし、坊ちゃん。先ほどは名推理でしたね」

「……ふん。年末は智歯の炎症で頬がひどく腫れていたんだろう。それを店員が『太った男』と見間違えただけだ」


 藤澤はそう吐き捨てると、まだ青く固いバナナを、意地になったようにガリリと齧った。  

 戦艦『伊予』の歯科治療室には、少し渋いバナナの香りと、凸凹コンビの妙な活気が満ちていた。


⭐︎第三大臼歯は智歯、親知らずとも呼ばれています。


★★★★★★★

出来心で書きました。続きません。


真面目な戦時ミステリーはコチラをどうぞ。

ミステリー週間1位獲得

「天空の糸」

(短編4000字)


空に散った同僚が残した写真の謎を追う話です。


https://kakuyomu.jp/works/822139840762421898/episodes/822139840762640761

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