セキニンテンカ!カルマのブーメラン!

御園しれどし

第一幕:自己欺瞞の日常とシステムの加速

 1. 市長の「悪役ポイント制」発表


 それは、逃上 悟の日常が崩壊する、わずか一週間前のことだった。ツケマワシ市庁舎のホールでは、市長が壇上に立ち、厳かに新しい条例の施行を発表していた。市長は、妙に真面目な顔で、市民の意識改革を謳う。「親愛なる市民の皆さん、私たちは本日より、世界初の試みである『責任転嫁の可視化システム』、通称『悪役ポイント制』を導入します。」ホールはざわめいた。市長は続けた。


「これは税金ではありません。これは、自己欺瞞という名の無責任な精神エネルギーを、科学的に数値化する画期的な仕組みです。誰かが『〇〇のせいだ』と口にし、その言葉に本気の無責任な感情が込められた瞬間、その『〇〇』にポイントが加算されます。」


 壇上の大型スクリーンに、システム概要が映し出される。ポイント対象: 他人、モノ、環境、社会構造、景気、運など、自己責任以外すべて。ペナルティの基準: 転嫁された責任の重さ、すなわち責任を転嫁した人間の心の奥底にある醜い感情を反映。


「このシステムは、あなたの『虚栄心』や『無力さ』を鏡のように映し出し、最も醜い己の姿を、社会全体に具現化させます。罰則はランダムではありません。罰則は、あなたが心の中で他人に向かって放った毒を、滑稽な形であなた自身に跳ね返す『カルマのブーメラン』なのです!」


 市長は拳を握りしめ、力説した。「このシステムにより、私たちは、呼吸をしたり食べたり働いたりするのは自分でするしかないのだという、最も基本的な真理に目覚めるでしょう!悪いのはみんな他人だという事が、どんなに自分をみじめにまさけなくさせているか、市民一人ひとりが発見するのです!これは、ツケマワシ市から始まる、全人類の『自己責任』への回帰なのです!」この日、ツケマワシ市は、全市民の自己肯定感の低さと虚栄心を、物理法則として組み込んだ、世界一滑稽な町へと変貌した。


 しかし、逃上 悟は、この演説をテレビで見て、鼻で笑っていた。(くだらない。こんなシステムで、この世の不条理が正されるわけがない。どうせ、設計者の悪意か、既存体制の怠惰のせいだろう)


 悟の心の中で、甲高い『ピポッ』という電子音が鳴り響いた。


 彼は気づかなかった。彼の「悪役ポイント」システムとの戦いは、既に始まっていたのだ。


 2. 悲劇のヒロインとコーヒーの味


 逃上 悟(にがみ さとる)、42歳、万年係長。彼の朝は、毎日午前7時15分に、世界に対する深い不満から始まる。舞台はツケマワシ市にある築30年の自宅マンション。テーブルには、妻の真純(ますみ)が用意した、普通に美味しいトーストとコーヒーが並んでいる。


「ふう……」悟はコーヒーカップを口に運び、重々しくため息をついた。「このコーヒーの苦さだ。真純、お前の無理解のせいで、俺は外で戦う気力を失う! なぜ、俺のこの繊細な魂に寄り添った一杯が淹れられないんだ!?」


 真純は、慣れたように新聞を読みながら答えた。


「普通のブラジル豆ですよ。あと、繊細な魂がカフェインを過剰摂取したら戦えなくなるんじゃないでしょうか。」悟の神経が、乾いた薪のように燃え上がった。


 この妻の『冷静な正しさ』こそが、彼の持つ虚栄と無力さの哀れさを最も刺激する毒だった。悟が心の中で強く「悪いのは真純だ」と決意した瞬間、部屋の隅で、悟の心臓に響くような、低く思い電子音――「悪役ポイント」加算の通知音が『ズゥン』と鳴った。


【ペナルティ発動:妻・真純へ】

 悟の心の奥底(投影): 悟の孤独と、世界一理解されたいという被害者意識。


 真純は突然、手に持っていた新聞を放り投げ、両手で顔を覆った。

 彼女の肩が震え、嗚咽が始まった。それは単なる泣き方ではなかった。まるでオペラ歌手がクライマックスで歌い上げるような、オーバーな慟哭だった。


「ああ、悟さん!あなたはなんて孤独で、世界で最も偉大な、不遇な天才なの!この私ときたら、あなたが外で戦っている苦痛を、コーヒー一杯で癒やすことすらできない!この世の不条理!神よ!」


 真純はテーブルに突っ伏して、涙と鼻水を出しながら、悟が心の中で欲していた「究極の自己肯定」と「自己憐憫」の言葉を、大音量で叫び続けた。


「待て、待て!」悟は椅子ごと後ろに倒れこみそうになりながら叫んだ。

「マイルドな味が良い、と一言、言っただけだろ」


 真純はさらに体をよじり、


「なんて謙虚なの!悟さん!あなたは自分の偉大さすら認めない!その奥ゆかしさこそ、あなたが世の中に理解されない理由なのね!ああ、私には、その悲劇の深淵が、今、ようやく見えました!」


 悟は自分の部屋で、世界一の被害者である自分を世界一理解して大泣きする妻を前に、コーヒーを飲み干すのが精一杯だった。


「……わかった。もういい。もういいから、普通に戻ってくれ。遅刻する。これも、お前のパフォーマンスのせいで俺の出勤時間が狂った環境のせいだ」


 真純はピタリと泣き止み、鼻水を拭いながら


「いってらっしゃいませ」と無表情に戻った。

 しかし、その顔は、ほんのり赤く腫れ上がり、今日の化粧が崩れているという、ささやかなペナルティの痕跡を残していた。


 3. 金色に輝く上司と嫉妬のブーメラン午前10時。


 逃上 悟はいつものように、ツケマワシ市役所・市民相談課の係長席にいた。デスクには、山積みになった業務資料に紛れて、彼が夜な夜な書きためた『この世の不条理』を論じたノートが隠されている。


そんな中、市長肝いりの『市民融和プロジェクト』に関する会議が始まった。課長である完璧田 責任(かんぺきだ せきにん)が、市長に向けて穏やかに報告を行っている。


悟の提案はすでに却下済みだ。悟は心の中で炎上していた。完璧田課長は、容姿端麗、仕事も有能、家庭も円満。悟が「最も醜い己の姿」として抱える「無力さ」を、すべてにおいて否定する存在だ。(世の中が悪いというより、この完璧田の無能なくせに偉そうな顔が悪いのだ。あいつの存在こそが、俺の足を引っ張っている。俺の虚栄心を傷つける!)


悟が極限まで嫉妬と虚栄心を高めた瞬間、悟のデスクの下で、二度目の低くて重い電子音が『ズゥン』と鳴った。


【ペナルティ発動:上司・完璧田へ】

悟の心の奥底(投影): 悟の劣等感と、自分こそ評価されるべきという虚栄心。「……以上が、プロジェクトの進捗となります」


完璧田課長が報告を終え、市長が一言褒めようとした、その時だった。完璧田課長の頭上から、突如スポットライトが降り注いだ。


そして、彼の全身がまるで誰かの結婚式かのように、大量の金色の紙吹雪に包まれた。完璧田課長は、視界を塞ぐ金色の大量の紙吹雪を払いよけようとしながら、戸惑いを押し殺して市長に頭を下げた。


だが、次の瞬間、彼の口が勝手に動き出した。


「私は…!逃上係長が嫉妬するほど有能です!」


会議室は静まり返った。悟は冷や汗をかいた。自分の心の中の醜い本音が、上司の口から電波に乗って発せられたのだ。しかし、市長は目を見開いて立ち上がった。


「さすが完璧田くん!そのユーモアと謙遜!そして、この演出!自己紹介のポーズも完璧だ!君の仕事ぶりは、周りの同僚の嫉妬をも力に変えている!素晴らしいぞ!」


悟の虚栄心が完璧田を評価させた結果、皮肉にも完璧田のカリスマ性はさらに増してしまった。悟の悪役ポイント転嫁は、すべてブーメランのように自分を苦しめる形で返ってきている。4. 第一幕の終わり:システムへの責任転嫁会議後、悟はトイレの鏡に向かい、自分の顔を叱責した。(なぜだ?なぜ俺の正義は、いつも他人を利する形で発動するんだ?悪いのは真純ではない、完璧田でもない。悪いのは、このペナルティシステムの設計者の悪意だ!)悟は、システムの存在そのものに責任を転嫁することで、自分が間違っているという可能性を頑なに否定した。


「俺の言っていることは正義だ!このシステムこそが、俺の正義の光に耐えきれず、エラーを吐き出す、欠陥品なのだ!」


悟は、自分の無力さと傲慢さを、さらに巨大な独りよがりの正義で包み込み、第二幕の舞台へと向かっていく。彼の次の標的は、自分を尊敬しない若手の部下、そして、彼自身の承認欲求だった。

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