第33話 崩れゆく神話

 第33話 崩れゆく神話


 爆破されたサーバー室の壁から、白煙と共に現れた黒い影たち。

 警視庁捜査一課、およびSIT(特殊捜査班)の混成部隊だ。

 その先頭に立つ堂門剛三課長は、ハンドガンを構えたまま、鋭い眼光で室内を一瞥した。


「……確保しろッ!」


 堂門の号令と共に、隊員たちが雪崩れ込む。

 意識朦朧としながらもナイフを振り上げようとした108号に対し、複数の隊員がテーザー銃を発射した。

 バチバチッという放電音。

 電極が彼女の体に突き刺さり、電流が流れる。

 彼女はビクリと痙攣し、糸が切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。


「……小野寺くんか?」


 堂門が、座り込んでいる小野寺に歩み寄った。

 小野寺はPCを抱きかかえたまま、放心状態で頷いた。


「は、はい……」

「東風代表から話は聞いている。……よくやった」


 堂門の低く太い声には、普段の厳しさの中に微かな労いの色が混じっていた。


「自爆装置は?」

「止めました。……資金も、奴らの手が届かない場所へ飛ばしました」

「よし。……あとは我々の仕事だ」


 堂門は部下に目配せをした。

 隊員が小野寺を保護し、担架に乗せようとする。

 その時、小野寺は108号の方を見た。

 手錠をかけられ、拘束されている少女。その瞳は虚ろで、口元からは泡を吹いている。

 彼女もまた、被害者だった。合田という悪魔に心を作り変えられた、哀れな犠牲者。


「……彼女を、頼みます。化け物じゃないんです。……ただの、壊された子供なんです」

「ああ。司法の場で、適切な処置を受けさせる」


 堂門は短く答え、無線機に向かって叫んだ。


「サーバー室制圧! これより本隊は地下ホールへ突入する! 一人も逃がすな!」


 ◇◆◇


 同時刻。地下三階の大ホール。

 そこは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


 ドォォォン!!

 天井の強化ガラスが砕け散り、ロープをつたってSAT(特殊急襲部隊)の隊員たちが次々と降下してくる。

 同時に、四方の扉が爆破され、機動隊が盾を構えて突入してきた。


「警察だ! 武器を捨てろ!」

「抵抗する者は撃つぞ!」


 閃光弾(スタングレネード)が炸裂し、強烈な光と爆音がホールを揺らす。

 私兵たちは次々と制圧されていく。彼らは訓練された兵士だが、圧倒的な物量と国家権力の正当な武力の前には無力だった。


「ひぃぃぃっ! 悪魔が来た! 警察という悪魔が!」

「お救いください、教祖様!」


 信者たちはパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 だが、彼らが崇める祭壇の上には、もう誰もいなかった。


 教祖・金嘉月は、SATの隊員に取り押さえられ、地面に這いつくばっていた。

 黄金の法衣は泥にまみれ、聖母のような微笑みは消え失せ、醜い形相で喚き散らしている。


「放せ! 私は外交特権を持っているのよ! これは宗教弾圧だ! 国際問題になるわよ!」

「黙れ! お前には殺人教唆と外為法違反、テロ準備罪の容疑がかかっている!」


 捜査員が冷徹に手錠をかける。

 その光景を見て、信者たちは呆然と立ち尽くした。

 絶対的な神の代理人だと思っていた女が、ただの中年女性として無様に捕縛されている。

 その瞬間、彼らの中にあった「神話」が音を立てて崩れ去った。


 だが、俺の目は、捕まった教祖ではなく、別の場所を探していた。

 いない。

 白いスーツの男、合田総一郎の姿がない。


「……逃げたか」


 俺は柱の影から飛び出し、祭壇の裏へと回った。

 そこには、隠し扉が開いたままになっていた。

 専用の緊急脱出路だ。


「待て、合田ァァッ!」


 俺は隠し通路へと飛び込んだ。

 コンクリートの細い通路が、地下のさらに奥、海側へと続いている。

 奴は海路で逃げる気だ。小型のボートか潜水艇を用意しているに違いない。


 足音が聞こえる。革靴が床を叩く、焦ったような不規則なリズム。

 俺は全速力で追いかけた。

 肺が痛い。足が鉛のように重い。

 だが、怒りが体を動かす燃料だった。

 香菜を殺し、小野寺を苦しめ、多くの少女を食い物にしてきたあの男だけは、絶対に逃がさない。


 通路の先、重い鉄扉が開いている。

 その向こうに、潮の匂いと、波の音が聞こえた。

 地下ドックだ。


 俺が飛び出すと、そこには小型の高速ボートが係留されていた。

 合田が、慌てて係留ロープを解こうとしている。

 その白いスーツは油汚れと埃で汚れ、いつも完璧だった髪は乱れ、眼鏡はズレていた。


「そこまでだ、合田!」


 俺は銃を構え、叫んだ。

 合田の手が止まる。

 彼はゆっくりと振り返った。その顔には、今まで見せたことのない、剥き出しの焦燥と憎悪が浮かんでいた。


「……赤城。しつこい男だ」


 合田は舌打ちをし、ボートに飛び乗ろうとした。


「動くな! 次は頭を撃つぞ!」


 俺は威嚇射撃をした。

 銃弾がボートの船外機に当たり、火花が散る。

 合田はビクリと足を止め、諦めたように両手を上げた。

 だが、その口元にはまだ、侮蔑的な笑みが残っていた。


「……撃てるのか? 刑事さん」


 合田は、ゆっくりとこちらに向き直った。


「私を殺せば、貴方はただの殺人犯だ。……だが、私を生かしておけば、私は優秀な弁護士団を使って無罪を勝ち取る。証拠不十分でな」

「証拠ならある。小野寺が全て押さえた」

「ハッ、たかがハッカーの捏造データだろう? 裁判になれば何とでもなる。……私にはバックがついているんだ。某国も、そして日本の政治家たちも、私が口を割ることを恐れて全力で守るだろう」


 合田は余裕を取り戻そうとしていた。

 自分は「システム」の一部であり、替えが効かない重要人物だという自負があるのだ。


「残念だったな、合田」


 俺は銃を下ろさず、一歩ずつ近づいた。


「お前の『価値』は、もうゼロだ」

「何……?」

「さっき、小野寺が送金を止めた。……お前が必死にかき集めた数千億円の裏金は、今頃すべてユニセフに寄付されている」


 合田の表情が凍りついた。

 彼は慌てて懐からタブレットを取り出し、画面を確認した。

 指が震えて、何度もタップミスをしている。

 そして、画面に表示された『送金完了:受取人 UNHCR』の文字を見た瞬間、彼の喉から空気が漏れるような音がした。


「……嘘だ」

「本当だ。お前は、雇い主である某国に送るはずの金を失った。……金のない工作員に、価値があると思うか?」


 俺は冷酷に告げた。


「お前を守るバックなんて、もういない。……お前は組織にとって『失敗作』であり、口封じのために消される対象だ」


 合田の手からタブレットが滑り落ち、コンクリートの床で砕けた。

 それは、彼が築き上げてきた虚構の王国が崩壊した音だった。


「あ……あぁ……」


 合田は膝から崩れ落ちた。

 プライドも、野望も、未来も、すべて消え失せた。

 残ったのは、ただの惨めな犯罪者としての現実だけ。


「なんでだ……。私は選ばれた人間だぞ……。愚かな大衆を支配し、この国を導くエリートのはずだ……!」


 彼は子供のように喚いた。


「なんで……たかがアイドルの亡霊ごときに、私の人生が……!」

「亡霊じゃない」


 俺は合田の胸ぐらを掴み、引きずり起こした。


「人間だ。……お前が『道具』『数字』と呼んで見下してきた、一人一人の人間の意志が、お前を追い詰めたんだ」


 天野香菜。小野寺晴斗。春川早紀。東風蓮士。そして、名もなき数百万人のファンたち。

 彼らの怒りと悲しみが、巨大なシステムを食い破ったのだ。


「……ぐっ、殺せ……! いっそ殺せ!」


 合田は錯乱し、俺に掴みかかってきた。

 俺の銃を奪おうと暴れる。


「死んでやる! 失敗作として処理されるくらいなら、ここで……!」


 俺は、彼の顎に強烈なアッパーカットを叩き込んだ。

 ゴッ! という鈍い音が響き、合田が後方に吹っ飛ぶ。


「逃げんじゃねぇよ」


 俺は倒れた合田を見下ろした。


「死んで楽になろうなんて甘えだ。……生きて、罪を償え。香菜が味わった絶望の時間を、お前は冷たい独房の中で一生かけて味わうんだ」


 合田は血を吐きながら、虚ろな目で天井を見上げていた。

 その目からは、かつての爬虫類のような冷徹な光は消え、ただの怯えた小動物のような色が浮かんでいた。


 背後から、足音が近づいてくる。

 堂門率いる捜査員たちだ。


「……確保だ」


 俺は銃をホルスターに戻し、堂門に道を譲った。

 捜査員たちが合田に手錠をかける。

 カチャリ。

 冷たい金属音が、長い戦いの終わりを告げた。


「終わったな、赤城」


 堂門が俺の隣に立ち、短く言った。


「ああ。……長かった」


 俺はポケットから、折れ曲がったセブンスターを取り出した。

 火をつけようとしたが、ライターのオイルが切れていた。

 堂門が無言で自分のライターを差し出す。


「……すまん」


 紫煙を深く吸い込む。

 肺に染みる苦さが、今だけは甘く感じられた。


 要塞は陥落した。

 カルトの神話は崩れ去り、悪魔は鎖に繋がれた。

 だが、まだ一つだけやり残したことがある。

 政治という名の、もう一つの「聖域」に巣食う巨悪。

 門前清一との決着だ。


 第34話、舞台は法廷、そして国会へ。

 社会的な裁きの鉄槌が下される。


(続く)

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