『世界監査官に転生した俺は、バグだらけの異世界をロールバックします』

あちゅ和尚

第1話 ブラック企業デバッガー、世界システムに転生する

 その日も、俺はバグと一緒に死にかけていた。


「……またクラッシュかよ」


 深夜二時。

 ゲーム会社の薄暗いデバッグルームで、モニターには真っ赤なエラーコードとフリーズしたゲーム画面。

 リリース三日前とは思えないほど、バグの嵐だった。


「佐倉くん、そっちのステージはどう?」


 背後から、上司――プロデューサーの声が飛ぶ。


「はい、致命的エラーがあと三件ほど……」


「三件“も”!? なんとか朝までに潰しておいて。明日の朝会で『問題ありません』って言いたいからさ」


 問題は山ほどあるのに「ありません」と言わせる世界。

 日本のブラック企業のテンプレみたいな現場で、俺――佐倉 直人(さくら なおと)、二十八歳は、眠気と戦いながらコーヒーをあおった。


 その瞬間、世界がふっと暗くなる。


(あ、やばい……)


 視界がぐにゃりと曲がり、耳鳴りが世界を埋め尽くす。

 キーボードを打つ指先から力が抜けていく感覚。


 がちゃん。


 床に倒れる音が、自分のものだと気づいたのは、意識が完全に途切れる直前だった。


 ──そして、次に目を開けたとき。


 俺は、真っ白な空間に立っていた。



 上下左右、どこを見ても真っ白。

 その中央に、場違いなオフィスチェアと、巨大なディスプレイが一枚。


 そして、その前には──


「ようこそ、世界システム監査局へ」


 淡い金髪に、空色のスーツ。

 清楚なお姉さん……もとい、美人OL風の女神が、名刺を差し出してきた。


「初めまして。第三世界管理課・神界等級A、アルテリアと申します」


 名刺には、信じがたい肩書きが並んでいる。


> 世界監査官担当女神

転生プロジェクト統括マネージャー




「あの……ここ、どこですか?」


「あなたが勤務中に過労で倒れて亡くなられたので、こちらの“転生ロビー”にお越しいただきました」


 軽い調子で、とんでもないことを言うな、この女神。


「……俺、死んだんですか?」


「正確には“心停止してから三十二分経過”ですので、はい、死亡判定です」


 さらっとひどい。


 でも、不思議と実感がない。

 ブラック企業でデバッグを続けていた俺には、「あ、やっぱり」という妙な納得感しかなかった。


「で、ですね」


 女神アルテリアは、ぱん、と手を叩く。


「今回は女神側の“ミス”もありまして。あなたは本来、ここまで追い込まれずに済んだはずなんです」


「ミス?」


「はい。あなたが関わっていたゲーム、『ダンジョン・クロニクル・オンライン』のリリーススケジュール、本来は半年余裕がある計画だったんですよ」


「半年……?」


「ええ。ところが、上層部と私ども神界のシステムスケジューラーの齟齬により、時間線がバグりまして。結果、あなたの世界線だけ“締切が三か月前倒しされる”という不具合が発生しました」


「時間線がバグるって何?」


「私たち、あなた方の世界の“システム”も管理していまして。俗に言う『運命』とか『巡り合わせ』とか、そのへん全部ソフトウェアなんですよ」


 女神は、さらっととんでもない設定を開示した。


「要するに、あなたは世界システム側の不具合で、過労死ルートに強制的に押し込まれてしまった。

 ……というわけで、こちらとしては“補填”が必要になります」


 補填。

 ゲーム会社でよく聞いた単語だ。


「補填って……もしかして、異世界転生とか?」


「はい。異世界ファンタジー世界への転生、チート能力付与、もれなく付きます」


 テンプレ来た。

 俺は思わず、苦笑する。


「……本当にあるんですね、そういうの」


「最近、異世界側の人材不足が激しくて。特に“システムに強い人材”が欲しかったんですよ。そこであなたの経歴を見て、白羽の矢が立ちました」


 女神は、俺の履歴書らしきホログラムを表示する。


> ・オンラインRPGデバッグチームリーダー

・不具合再現の早さ、社内トップクラス

・仕様書よりログを信じるタイプ




「世界システム監査官として、これほど適性が高い人材はなかなかいません」


「世界システム……監査官?」


「はい。あなたに転生していただく異世界は、現在“バグまみれ”なんです」


 画面が切り替わる。


 剣と魔法の世界。

 ドラゴンが空を飛び、塔の上から魔法陣が輝いている。

 王国、冒険者ギルド、魔王城──お約束のファンタジー風景が、次々と表示されていく。


 だが、その上に重なるように、赤い警告ウィンドウがいくつも浮かんでいた。


> 【警告】経験値テーブルに異常値

【警告】勇者候補の死亡率:98.7%

【致命的エラー】魔王討伐フラグの不整合

【致命的エラー】神託サーバー接続タイムアウト




「……なにこれ」


「ここ百年ほど、“勇者召喚”や“転生者召喚”をやりすぎまして。システムが完全に破綻しかけている状態です」


 女神は肩をすくめた。


「勇者は短期間でインフレするし、転生者はチート能力で世界のバランスを壊すし、神々の間では“もう一回、世界を作り直したほうが早いのでは?”という意見も出ています」


「作り直すって、全員消すってことですよね」


「はい、このままだとそうなります。

 そこで──あなたにやっていただきたい」


 女神は、俺をまっすぐ見つめた。


「世界システム監査官として、バグだらけの異世界を“修正”しながら生きてください。

 できれば“世界リセット”が必要ない程度に、正常運用できるように」


「いや、ちょっと待ってください。俺一人で世界直せって?」


「もちろん、それ相応の“権限”はお渡しします」


 女神が指を鳴らすと、俺の目の前に半透明のウィンドウが現れた。


> 【職業】世界システム監査官(Temporary)

【パッシブスキル】

・バグ看破:世界システムの不具合箇所を可視化する

・ログ解析:過去のイベントログを閲覧可能

【アクティブスキル】

・ロールバック:特定範囲の時間と状態を巻き戻す(使用回数制限あり)

・デバッグモード:一定時間、自身と周囲のステータスを参照・調整可能(制限付き)




「……チートというか、完全に運営サイドの権限じゃないですか」


「ええ。なので、“悪用は厳禁”です。

 あなたには世界の“監査”と“修正”をお願いしたいのですから」


「悪用したらどうなるんです?」


「その場合は──」


 女神は、にっこり微笑んだまま、声だけをすっと冷たくした。


「あなたごとロールバックします」


 怖いことをサラッと言うな、この女神。


「ただし、あなたの裁量の範囲は広く取ります。

 誰を救うか、どのバグを優先して直すか、どこまで踏み込むか……それは、あなたが決めてください」


 世界の命運を、元ブラック企業デバッガーに投げるなよ。


 そう言いたかったが、言葉は喉の奥で消えた。


 だって──


 画面に映る世界は、どこかで見たゲームのようでいて、明らかに“生きている”世界だったからだ。

 そこに暮らす人々の、笑顔や涙。

 ログの片隅に表示される“死亡:村人A”“死亡:勇者候補B”の文字列が、急に重く感じられる。


(ここで「面倒くさいからリセットでいいっすよ」なんて言ったら……)


 多分、俺は一生、自分を許せない。


 ──いや、もう死んでるけど。


「……わかりました」


 俺は、女神を見据える。


「その世界、バグ取りしながら生きてみます。

 本職ですから。バグと一緒に生きるのは慣れてます」


 女神は、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。では、転生先の“詳細設定”に入りましょう」



 転生設定画面は、俺が散々見てきたキャラメイク画面にそっくりだった。


「まず、年齢。

 成人からでもいいですが、システム観察の観点から、幼少期から始めるのをおすすめします」


「じゃあ、十歳くらいで」


「了解です。種族は人間でよろしいですね? エルフやドワーフ、魔族も選べますが」


「人間でいいです。あまり特殊だと、普通の基準がわからなくなりそうですし」


「職業は……初期職、“村役人見習い”なんてどうでしょう。村の記録を扱う仕事なので、世界の変化を観察しやすいです」


「勇者とかじゃなくていいんですか」


「勇者はシステムの“前線”ですから、どうしてもバグの影響を直接受けすぎるんですよ。監査官には、少し引いた位置から世界を見ていただきたいんです」


 なるほど。

 前線デバッガーではなく、全体のログを見るポジション、というわけか。


「ただし」


 女神が、ほんの少しだけ表情を曇らせた。


「ひとつだけ、正直にお伝えしておきます」


 画面に、新たなウィンドウが浮かぶ。


> 【重要】転生先ワールドステータス

・世界崩壊危険度:91%

・魔王復活まで残り:3年

・勇者候補の生存者:0名

・神界からのリソース供給:制限中(バグにより)




「──今、あの世界は、ギリギリで持ちこたえている状態です」


「勇者候補ゼロって、詰んでません?」


「詰んでますね」


 即答か。


「なので、あなたの“ロールバック”スキルは、初期状態で一回だけ“世界規模”に使えるようにしてあります」


「世界規模……?」


「はい。一度だけ、“世界全体”を三年前の状態に巻き戻せます」


 画面に、カウントダウンのような表示が現れる。


> 【ロールバック(世界)】使用可能回数:1/1

使用期限:魔王完全復活まで




「ただし、一度使えば、その後は二度と使えません。

 それに、あなた以外の全員は記憶もろとも巻き戻されます。

 ──あなたの選択だけが、世界の未来を変えます」


 責任が重すぎる。


「最初から使っちゃダメですか?」


「ダメではありませんが、ロールバックしても“原因”を直さなければ、同じ未来に収束します。

 あなたはバグの“原因”を見つけ、それを潰さなくてはならない」


 原因を特定して潰す。

 デバッガーとして、嫌というほどやってきた仕事だ。


「……了解です。

 世界がクラッシュする前に、原因を見つけて、直します」


「ありがとうございます」


 女神は、安堵したように微笑む。


「最後に──個人的なお願いをひとつだけ」


「なんですか?」


「どうか、自分の幸せも忘れないでください」


 意外な言葉に、俺は目を瞬いた。


「あなたはきっと、バグを全部背負い込もうとするタイプです。

 世界を救うために、自分の心を犠牲にしがちです。

 でも、それではまた“バグだらけの人生”になってしまう」


 女神は、真剣な眼差しで続けた。


「世界を監査し、修正しながら──あなた自身の“幸せルート”も、きちんと確保してください。

 それが、このプロジェクトの最重要KPIです」


「KPIって言うな」


 思わずツッコんでしまう。

 でも、その軽口が少しだけ、緊張をほぐしてくれた。


「……わかりました。

 世界も、俺も。両方バグらせずにやってみます」


「はい。それでは、転生処理を開始します」


 女神が、手元のコンソールに触れる。

 足元に魔法陣のような光のリングが形成され、俺の身体が徐々に透けていく。


「佐倉 直人さん、いえ──これからは、“世界監査官”としてのあなたに、幸多からんことを」


 視界が白に溶けていく。

 最後に見えたのは、女神アルテリアの、どこか申し訳なさそうで、けれど確かな期待を込めた笑顔だった。



 ──冷たい。


 目を開けると、そこは真っ暗な森の中だった。


 頭上には、見慣れない星空。

 息を白く染める冷気。

 周囲には、木々のざわめきと、遠くで吠える獣の声。


(ここが……異世界)


 立ち上がろうとした瞬間、自分の身体の小ささに驚く。


「手……ちっさ」


 十歳設定、ガチだった。


 服装は粗末な麻のシャツとズボン。

 腰には小さな木の杖と、布袋。

 ゲームで言えば、完全に初期装備。


 そのときだった。


> 【チュートリアルメッセージ】

転生おめでとうございます。

あなたは現在、王国西端の辺境村「リエナ村」のすぐ外にいます。

この村は、三十分後に魔物の襲撃を受け、壊滅する予定です。




「は?」


 突然、視界に浮かぶウィンドウに、俺は固まった。


> 【世界システム監査官専用ログ】

イベントID:#A-02344 “辺境村リエナ襲撃”

発生確率:99.8%

参加NPC:村人23名 → 生存予定者:0名

備考:バグの疑いあり(魔物出現パターンが仕様を逸脱)




 心臓が、嫌な意味で高鳴る。


(三十分後に、村が壊滅……?)


 さらに、新しいウィンドウが重なる。


> 【ロールバック】

現在位置から半径1キロメートル以内の時間を、“一時間前”の状態に巻き戻せます。

使用しますか?

[はい]/[いいえ]




 世界規模のロールバックではない、小規模版らしい。

 使用回数は──


> 【ロールバック(局所)】

使用可能回数:3/3(チュートリアル期間中)




(チュートリアルで村壊滅イベントって、どういうゲームバランスだよ)


 だが、自嘲している時間はない。

 今、この瞬間にも、村では何も知らない人たちが、いつも通りの夜を過ごしているはずだ。


(これは……“監査官としての、最初のテスト”か)


 俺は、ぐっと歯を食いしばる。


 選択肢は、目の前に浮かんでいる。


 このまま、予定通り壊滅イベントを眺めて原因を特定するか。

 それとも、ロールバックを使って、襲撃自体を何度もやり直し、最適解を探るか。


 世界は、俺の選択を待っている。


 コントローラーも、セーブ&ロードもない。

 あるのは、“監査官権限”と、自分の判断だけだ。


「……ログを見せろ」


 まずは、原因を知る。

 それが、デバッガーとしての基本だ。


> 【ログ解析】スキルを使用しますか?

[はい]/[いいえ]




「はい」


 そう呟いた瞬間、視界いっぱいに無数の文字列が流れ出した。


 村人の会話ログ。

 今夜の見張り交代の記録。

 森の奥で異常な動きを見せる魔物の行動パターン。


 その中に、一行だけ、真っ赤なエラー行が混じっている。


> 【エラー】スポーンテーブル:不正な乱数値が混入しています




「……やっぱり、バグかよ」


 思わず、口元が笑った。


 世界がバグっている?

 上等だ。


 バグ取りは、俺のフィールドだ。


「ロールバック」


 俺は、半透明のウィンドウに手を伸ばし、**[はい]**を押した。


 世界が、一瞬だけ逆回転する感覚に包まれる。

 星空が巻き戻り、風の音が逆再生され、森の影が再配置されていく。


 ──世界は、確かに“巻き戻った”。


 そして、俺の異世界デバッグ生活が、静かに始まった。


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