13話 毒華と孤児の誓い

廃倉庫の扉が、悲鳴のような音を立てて閉じられた。

中には甘ったるい香りが漂い、空気がどこか粘りつく。


柚葉は手首に巻いた布を固く握りしめ、静かに呼吸した。


――この匂い……間違いない。

――華蔓の“毒”だ。


倉庫中央に、まるで舞うように佇む女――華蔓。


薄く笑いながら、小瓶を指で転がした。


「ねぇ柚葉。あなたさ、まだ“あの日”のことを根に持ってるの?」


柚葉の瞳が鋭く光る。


「あの日……子どもたちが泣き叫んでる前で、

 あんた、笑ってたよね?」


「だって……泣き顔、可愛いんだもの」


華蔓は楽しげに肩をすくめた。


「あなたを壊す瞬間……ずっと見たかったの」


柚葉の手が震えた。

でも、その震えは「恐怖」ではなく――「怒り」だった。


◆ 幻覚が花開く


華蔓が指を鳴らした瞬間、香水の霧が一気に拡散した。


倉庫の壁が溶け、景色が歪む。


目の前に広がるのは――燃える孤児院。

柚葉がかつて守れなかった、小さな子どもたちの泣き顔。


「やめろ……っ!!」


柚葉は額に手を当て、必死に幻を振り払う。


華蔓は楽しそうにクスッと笑った。


「逃げなさいよ、柚葉?

 あなたの弱点は“心が優しいこと”。

 だから簡単に操れるの」


瞬間、幻覚の中から小さな手が柚葉にすがってくる。


『ゆ、ゆずはおねえちゃん……助けて……』


「っ………!」


心臓を掴まれるような痛み。

柚葉は膝をつきそうになるが――自分の頬を強く叩いた。


「……違う。

 あの子たちは、あんな風に頼ってこない。

 これは、全部“嘘”だろ」


幻覚が一瞬揺らいだ。


華蔓の表情に、初めて小さな焦りが走った。


「へぇ……正気を保てるなんて、やるじゃない」


◆ 柚葉の反撃


柚葉は腰の短剣を抜いた。

その刃には、御影が渡した“毒消しの粉”が薄く塗られている。


「ここで終わらせる。

 あの日みたいに……もう誰も泣かせない」


華蔓は楽しそうに指を舐め、毒の香水を纏いながら近づく。


「“誰も泣かせない”?

 ならあなたが泣けばいいのよ。

 泣き顔は……特別に可愛いから」


次の瞬間、床が溶けた。

香水が落ちて金属が溶解している。


柚葉は軽い身のこなしで飛び退き、幻覚の薄いエリアへ移動する。


「こんな空間……全部あんたの遊び場かよ!」


「そうよ? 死ぬなら華麗にね」


華蔓の袖がひらめいた瞬間、

無数の“毒の針”が霧とともに放たれた。


柚葉はたった一呼吸の差で壁の陰に飛び込み――

床を蹴り、駆け上がり、柱を回って高速で接近。


華蔓の眉が跳ね上がる。


「動き……速い!」


「孤児院で鍛えたんだよ。

 子どもたちを抱えて、毎日走り回ってたからな!」


回し蹴りが華蔓の腕をかすめ、香水瓶が宙に舞った。


華蔓は袖を振り、毒の霧を纏ったまま後退する。


「……ふぅん、もう一度見せてもらおうかしら。

 本気のあなたを」


◆ 最後の幻覚――心を抉る攻撃


華蔓は最後の小瓶を砕いた。


すると、世界が真っ白に染まり――

目の前に、炎の中の「幼い自身」が現れた。


『どうして助けてくれなかったの……?』


柚葉の身体が震える。


「やめろ……それだけは……」


『わたしを置いて逃げたんでしょ?』


「やめろ!!!」


華蔓の笑い声が響く。


「ほら、泣きなさいよ柚葉。

 あなたの涙は、最高の毒より甘いわ」


涙がこぼれそうになった――が。


柚葉は天井へ跳び上がり、幻覚の中心に向けて短剣を投げた。


刃が毒霧を裂き、小瓶へ一直線に突き刺さる。


――パァンッ!


幻覚が一気に砕け散った。


華蔓は驚愕の表情で目を見開く。


「まさか……“核心”を狙って……!?

 あなた……何者なの……」


柚葉は床に降り立ち、息を切らしながら言った。


「私は……あの日の自分みたいに、

 誰も置いていかないって決めたただの柚葉だよ」


◆ 決着


華蔓が毒針を構え――

柚葉が短剣を逆手に持ち――


空気が、一瞬止まった。


「泣かせてあげる……!」


「もう二度と……泣かない!!」


二人がぶつかる瞬間――

倉庫の外から轟音が響き、天井が揺れた。


黒蓮会の総攻撃は、まだ終わりではなかった。

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