第13話 居場所


バターの香りに、シナモンの香り.

それに、りんごの香り。


テーブルの上には、焼きたてのパイと大きな水筒が並んでいた。





「これ、差し入れなの。イファたちにね」


マリナは、まだ湯気のたつパイを丁寧に包む。


「警備隊の人たち、今すごく忙しいでしょう? 最近のイファ、とても疲れてそうだから」


「渡しに行くんですか?」


「ええ。もしよかったら、リアにお願いできるかしら? 今日はお洗濯もないし、家にいても夕方まで時間を持て余してしまうから」


リアは一瞬だけ迷ったが、そっと頷いた。


「……わかりました。」


マリナは包みをリアに渡した。


「差し入れは“ありがとう”の形よ。だから、大丈夫。リアのまっすぐな気持ちは、ちゃんと誰かに届いて、きっと疲れを癒やしてあげられるわ」


そう言ったマリナは、いつもに増して穏やかに見えた。






詰所に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。



見張り塔の影で、動き回る人たち。

木材を運び、看板を取り付ける音。


詰所の前は、まるでちいさな工事現場のような騒がしさだった。





「こんにちは……。」


声をかけると、すぐに一人の男が顔を出した。


「ん? ああ、リアちゃんか!」


汗を拭いながら、笑って近づいてくるのは、警備隊長のカイ・ロウェルだ。


「久しぶりだねぇ! こんなところまでどうした?」


「マリナさんから、差し入れを、預かってきました。みなさんでって……。」


リアは少しだけ躊躇いながら、包みと水筒を差し出した。


「おおっ、こりゃありがたい! ちょうど昼休憩を取り損ねててな。助かるよ」


キラキラした笑顔を見せたカイは、詰所の中からイファを呼び出した。


「イファー! お前んちの天使が来てくれたぞ!」


「カイさん、なんすか、その言い方!」


慌てて現れたイファの顔は赤くなっており、リアは目をぱちぱちと瞬かせていた。


「……おぉ、ありがとな、リア」


頭をぼりぼりとかくイファを横目に、カイは肩を揺らして笑っていた。


「いやぁ〜にしても、ほんと助かるよ!

 なぁ、もしリアちゃんがよければなんだけど、少し手伝ってくれないかな?」


「隊長! 何言ってるんですか!」


イファが驚いた顔を向けるが、カイはにっこりと笑って見せた。


「力仕事はイファに任せてさ! 祭りのことも、知れるだろうし、せっかくだから、どうかな?」


リアは、イファの顔をちらりと見た。

リアと目が合うと、首をブンブンと横に振り、苦笑いした。


リアは、少し考えたが、「……わたしが、お役に立てるなら。」と言って引き受けることにした。


驚くイファを横に、カイは満足気に頷いた。


「よし! そう来なくっちゃな!

 じゃあ、あの灯籠の資材を詰所の奥から出してきてくれるか? 番号札が付いてるから、書かれた順に並べておいてくれたら助かる」


「はい。」




リアは詰所の奥へとまっすぐに歩いていく。

その背中が小さくなっていくのと比例して、じわりと呆れと心配がイファの胸のどこかで混ざり合っていく。


「……カイさん……!」


「はっはっは! 心配性で自由を奪う彼氏は嫌われるぞ!」


「なっ……!」


これ以上何か言っても無駄だと察したイファは、これでもかというほどの大きなため息を吐く。


そんなイファをよそに、カイがぽつりと言った。


「……ちゃんと、何かをして“誰かの役に立ちたい”って顔してたな」


リアが資材の番号を確認している姿を見ながら、イファは小さく頷いた。


「よかったです。自分の殻に閉じこもっていたリアが、少しずつ、変わってきていて。

 ……でも最近、町で少しリアの噂が広まってるんすよ……リアも耳にして、ちょっと気にしてるみたいで……」


「でもな、イファ。町の人たちが“分からないもの”を怖がるのは当然っちゃ当然なんだよ。だからな、それを悪いとは思わない」


顎のひげを触りながらカイは続ける。


「人を守るってのは、安心を守るってことだ。誰だって、“ここにいていい”って思える居場所がほしいからな。

 俺たち警備隊の役目は、その橋渡しでもある」


「……居場所か……。リアのことも、ちゃんと、守っていきたいです」


イファは、小さな声で、でも、まっすぐに言った。

そんなイファを見て、カイは目を細める。


「お前がいるから、安心だな!」


そう言うと、軽くイファの背を叩いた。






カイから頼まれた仕事はすぐに終わったが、その日は一日中、隊員たちと一緒に動いた。

灯籠の素材を詰所から運び出し、町を飾り付けて、屋台の設営に手を貸した。

手伝っていると、町の人に声をかけられることもあった。


最初はぎこちなかった挨拶も、少しずつ自然になってきた。




午後の終わり、陽が傾く頃。


イファは、警備隊の同僚たちに囲まれて、一生懸命に、でも楽しそうに仕事をしていた。

そんな姿をリアは、広場の端でベンチに腰かけながら眺めていた。


「おつかれさん、リアちゃんっ!」


背後からカイがやってきて、冷たいジュースの缶を差し出す。


「ありがとう、ございます……」


リアは少し驚きながら、それを受け取る。


「こちらこそ、ありがとうな。リアちゃんのおかげで、ずいぶん助かったよ!」


「……あの……わたしの“ありがとう”も、ちゃんと、届いていますか?」


その言葉に、カイは小さく瞬きし、意味を飲み込むと、ゆっくりと穏やかに笑った。


「ああ。ちゃんと、受け取ったよ」


リアは、安心したようにジュースを飲んだ。

冷たくて、火照った身体に染み渡る。




その様子を見ていたカイは、にっこりと笑い、リアに問いかける。


「どうだった? 警備隊の仕事」


リアは少しだけ考えてから、ぽつりと答える。


「……なんだか、町の中に、ちゃんと立っていられた気がしました。」


カイは、ふっと目を細めた。


「いい言葉だな。それがきっと、“町の一員になる”ってことさ。立つべき場所があるって、安心するだろ」


リアは頷き、ジュースの缶をそっと両手で包む。


カイはリアの隣に腰を下ろし、空を仰ぎながら言う。


「俺もさ、昔、この町の外から来たんだ」


リアは目を丸くする。


「……意外、でした」


「だろ? やっぱりな、“ここに居ていい”って思えるまでには、誰だって少し時間がかかるもんなんだ。

 探すんじゃなくて、少しずつ作ってくもんさ。大事なのは、慌てずに、ゆっくり育てていくこと。

 ひとりで全部抱えなくていいし、そばに誰かがいてくれたっていい。

 そうやって、根っこが伸びていくんだ」


リアはゆっくりとその言葉を噛み締めた。


「……カイさんも、誰かに“居ていい”って言ってもらったんですか?」


カイはニヤリと笑って答えた。


「そりゃあ、ここの町長よ! “お前、ガタイもいいし、声がデカいからちょうどいい”って言われてな!

 あの人、見かけに似合わず豪快でさ! まぁ、そのラフさがいいんだけどな!」


楽しそうなカイにつられて、リアの口角が少し、上がる。

その笑顔をしっかりと捉え、カイはゆっくりと瞬きをした。


「大丈夫だ。きっと、リアちゃんの気持ちがみんなに伝わって、ちゃんと、変わっていくよ」




夕暮れの風が吹く。


一日日頑張った身体をいたわるように。




世界が淡い金色の光で包まれていた。






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