第6話 花の名前を知る日

数日が経ったある日、小さな瓶に飾られていた白い花は、うつむいて元気をなくしていた。


少し乾いた花弁は、もう透き通るような白さを失っている。

光の中で咲いていた昨日までの姿が懐かしい。



リアは、その花を黙って見つめていた。

まるで何か、大切なものが静かに失われていく瞬間を、じっと見届けているかのように。


そんなリアの隣にマリナがそっと立つ。


「……枯れてしまったのね」


リアは小さく頷いた。


「はい。……昨日までは、咲いていたのに。」


指先で触れようとして、そっと手を止める。

どうしてか、触れてはいけないような気がした。


「花の命は短いです…。」


「そうね。綺麗に咲くお花も、いつか必ず、死んでしまうわ。強く、美しく咲いて、そして……終わりを迎えるの」


リアはマリナの言うことを理解しようと、再び白い花へ視線を移す。

その瞳の奥は、かすかに揺れていた。


「どうして、死んでしまうのでしょうか?……こんなに、綺麗なのに。」


マリナは、リアの隣にしゃがみ込んで、ゆっくりと語りかけた。



「それはね……命には、終わりがあるからよ。終わりがあるからこそ、咲いている瞬間に輝けるの」




「……輝く……」




マリナの言葉を反芻するように、繰り返す。



「ええ。ずっと咲き続ける花なんてないし、人だって誰も、永遠には生きられない。でも、だからこそ、今咲いている、その姿が美しく、愛おしいのよ。限りあるものは、時として、無限よりも素晴らしい」




リアはその言葉を、時間をかけて何度も心の内で繰り返し、静かに心に落としていく。



「イファがくれたこの花…とても、とても、きれいでした。」



「ええ。とても大切にお世話をしていたものね」


穏やかに微笑むマリナは、花瓶からそっと一輪の花を取り出し、リアに手渡す。


「お別れのときは、自分の手でしてあげて。そうすれば、次の何かを受け取る準備ができるから」


リアはゆっくりと頷いて、その花を胸に抱えた。




「……この花に名前はあるのでしょうか?」



「この花はね、アネモネというのよ。ギリシャ語で、風、という意味なの。風に揺れて咲き、風に運ばれて種を残し、また新たな場所で花を咲かせる」


リアはそっと視線を落とす。


「お花にはね、それぞれに花言葉という託された意味や込められた思いがあるの。白いアネモネの花言葉……いつか自分で見つけられるといいわね」


力なく手に収まる小さな花。

その言葉を胸に抱くように、柔らかく風に揺れた白い花びらを思った。







陽が傾きはじめた夕暮れ、リアは家の裏手、小さな庭の隅にアネモネを埋めた。

ひとさじの土をかけながら、ぽつりとつぶやく。



「……あなたが、ここにいてくれたから……。とても、綺麗でした。」



風がそっと、リアの頬をなでた。



──アネモネはとても美しく、生きていた。

──私も、今ここで生きている。




その夜、ベッドに横たわるリアは、胸に手を当てて、マリナが教えてくれたことを何度も、何度も考えた。




限りある命だからこそ、美しい。




胸がきゅっと締め付けられる感覚を忘れないように。


そして、次に咲く花に出会ったとき。


今度はきっと、

もっと、素直に、

綺麗だと言えるように。





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