細胞戦線

いしもん

episode1 .地獄



細胞戦線 episode1


 崩壊する東京の街並み。

 白い化け物の群れから、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。

噛まれ、引き裂かれ、化け物に変えられ、

言葉にできないほどの悲惨な光景が広がる


 ——この惨事に至るまでには、少し時間をさかのぼる必要がある。


 この物語は、突如として現れた正体不明の生物と、人類存亡をかけた、残酷な戦いのストーリーである。



 ——練馬区のとあるコンビニ。


 ある日、神城シンジは、その彼女・小沢由ユカと友人を待っていた

 程なくして、古賀リュウジと、その彼女・長谷川モカがコンビニに姿を現す。


「よう、待たせたな」


 と、古賀が片手を上げる。


「お、来たか。腹減ったからとりあえず飯いこうぜ!」


 神城が、いつも通りの調子で笑う。


「そうだな。油そばの麺珍亭でも行くか。モカとユカもいいか?」


「「うん! 食べたい!」」


 モカとユカが、顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。


 何気ない会話。穏やかな休日。

 四人がコンビニを出て、いつものように笑い合いながら交差点へと向かった——その時だった。


 交差点の先から、突き刺さるような悲鳴が聞こえた。


「逃げろ!」「なんだあの化け物は!」


 人の波が、こちらへ向かって押し寄せてくる。

 四人は思わず足を止め、交差点の先を見つめた。


 視線の先。

 そこでは、大量の“何か”が人々を襲っていた。


 形は人間に近い。だが、体表は不気味なほど白く、頭部はサメのように尖っていたり、槍のような形をしていたり——明らかに、人間ではない“異形”だった。


 さらに、その中でもいくつかの個体は、頭部の先端から黒い“矢”のようなものを生成し、それを人間めがけて撃ち出していた。

 その黒い矢が当たった人間は、苦悶の叫びとともに、同じ白い化け物へと変わっていく。


「……逃げないと。絶対まずい」


 最初に口を開いたのは、神城だった。

 背筋に冷たいものが走り、条件反射のようにそう口にする。


 だが——


「待ってくれ。子供が倒れてる、助けねぇと」


 古賀が、交差点の端でうずくまる小さな影を見つけ、ためらいなく駆け出した。


「竜ちゃん!?」


 モカの制止も届かない。

 古賀は走りながら、近づいてくる化け物を、拳で殴り飛ばしていく。


 格闘技の心得がある彼は、決して無謀なだけの素人ではなかった。

 それでも、相手が“何なのか”もわからないまま、ただ子供を守りたい一心で前に出ていく姿は、あまりにも無防備で、そして——眩しかった。


「大丈夫か!」


 古賀は倒れていた幼い女の子を抱き上げると、すぐ後ろまで追ってきていたモカに託した。


「モカ! この子、頼んだ!」


「う、うん!」


 もかが子供を抱きしめた、その瞬間だった。


 足元のアスファルトが、ぐにゃりと波打つ。

 ヒビ割れた道路の隙間から、白い腕がぬるりと伸び、そのまま化け物の群れが地中から湧き出してきたのだ。


「……地面から!?」


 神城が絶句する。


 そう——奴らは、どこからともなく現れたのではない。

 地中から“発生していた”のだ。


「やるしかねぇ……!」


 古賀が、短く息を吐き、構えを取る。

 拳が、次々に化け物を打ち据え、なんとか四人と子供の逃げ道を作ろうともがく。


 あと少し——そう思った矢先。


 もかの背後から、空気を裂く音が響いた。

 槍のような頭部を持つ個体が、群れの中から顔を出し、何本もの黒い矢を一斉に放つ。


 狙いは——もか。


「!」


 もかは振り向く間もなかった。

 だが、その視界を、黒い影が遮る。


「————っ!」


 古賀だった。


 十本以上もの黒い矢が、古賀の背中に突き刺さる。

 肉が裂ける鈍い音と、血飛沫。神城とユカ、モカは、声すら失った。


「古賀!」「竜ちゃん!」


 三人の叫びが、ようやく空気を振るわせる。


 膝をつきかけた古賀は、苦悶の息を吐き出しながら、笑った。


「この矢を受けちまったなら……俺は、もうダメだろうな」


 苦しそうな声で言う古賀

 ただ、その覚悟だけが、瞳の奥に揺らめいた。


 古賀はふらつきながらも立ち上がり、

血だらけの手で最愛の人モカの頬を撫で、神城の方へと振り返る


「神城……みんなを頼む」


 息が荒い。

 胸の奥から血がこみ上げ、それを押し殺すように古賀は続ける。


「意識があるうちに、俺がまだ“俺”なうちに、少しでも戦って食い止める……だから——逃げろぉっ!」


 叫びとともに、再び前へ踏み出す古賀。

 その背中に、さらに黒い矢が突き刺さっていく。


「やだ……やだよ! 一緒に逃げようよ! 置いていけないよ!」


 モカが泣き叫ぶ。

 伸ばした手は、古賀の背中に届かない。


「神城ぉぉお!!」


 古賀の怒鳴り声が飛ぶ。


 神城は、奥歯を噛みしめる。

 拳を握り、血がにじむほど強く握り——そして、決断した。


「……分かった」


 震える声でそう返すと、神城はモカとユカ、そして子供の手を取った。


「行くぞ。絶対に、無駄にしない」


 それは、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。


 泣き崩れながらも、四人は古賀の背中に背を向ける。

 近くの朝霞駐屯地を目指し、化け物が徘徊する街を、息を殺して駆け抜けていった。



 程なくして、視界の先に駐屯地のフェンスが見えた、その時だった。


 曲がり角の向こうから、再び白い化け物たちの群れが溢れ出す。

 前方も、後方も、逃げ道が塞がれていく。


「……最悪だな、これ」


 神城が顔をしかめる。

 ユカが恐怖をごまかすように、半ばキレた声を上げた。


「今度は何よ……!」


 冗談を言える状況ではない。

 だが、何か言っていなければ、心が折れてしまいそうだった。


「あと少しで駐屯地だ。あっちだ、路地に入る!」


 神城が路地裏を指さし、四人は再び走り出す。


 その時——


「きゃっ!」


 モカが手を引いていた女の子が、つまずいて転んだ。


「大丈夫!?」


 モカはすぐにしゃがみ込み、女の子を助け起こそうとする。

 だが、その背後に——白い影が立っていた。


「モカちゃん!」


 神城の叫びと、モカの振り返りが同時だった。


「え……?」


 目の前には、口を裂いて笑う白い化け物。

 今にも振り下ろされようとする腕。モカは女の子を庇うように抱きしめ、目をつぶった——絶命を覚悟して。


 ——しかし、その瞬間。


 別の“何か”が、白い化け物の頭部を横から掴み、そのまま地面へ叩きつけた。


 轟音。

 粉々に砕け散る白い頭部。


 呆然とする四人の前で、それは立ち上がった。


 モカを助けたそれは、獣のような雄叫びを上げながら、近くにいた白い化け物たちへ突っ込んでいく。

 拳で、爪で、牙で、次々に屠っていくその姿は——


「……なんだ、あれ」


 神城が息を呑む。


 人間を襲う白い化け物たちとは、明らかに違っていた。

 そいつは全身が黒く、頭部には鬼の仮面のような角付きのシルエット。体躯は人間に近く、右手には、いつの間にか刀を握っている。


 白い群れの中で、黒い影だけが異様な存在感を放っていた。


「よく分からないが……とにかく、今のうちに逃げよう」


 神城が小さく呟く。


 黒い化け物が敵をなぎ倒している隙をつき、四人は再び駆け出した。

 やがて、朝霞駐屯地のゲートが目の前に迫る。



 なんとか駐屯地内部に保護された四人は、自衛隊員に状況を説明し、逆に問い返した。


「……あの化け物は、いったい何なんですか?」


 神城の問いに、隊員は首を振る。


「我々にも分からんのだ。ただ一つ言えるのは——もうすぐヘリが来る。君たちはそれで沖縄の米軍基地に避難してもらう。関東一帯は、もう化け物にやられた。我々も撤退命令が出ている」


 あまりにも現実離れした説明に、四人は言葉を失った。


 その時だった。


「もう無理です! 防衛線、突破されます!」


 外から怒号が飛び込んでくる。

 駐屯地の外周を守っていた部隊が、次々と押し込まれ、白い化け物が内部へ雪崩れ込もうとしていた。


 終わりだ——誰もがそう思った、その瞬間。


 黒いエネルギーを帯びた斬撃が、轟音とともに戦場を薙ぎ払った。


 見渡す限りの白い化け物たちが、一瞬で両断され、地面に崩れ落ちていく。


「な……」


 神城たちが目を凝らすと、先ほど路地裏で見た、あの黒い“鬼”が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。


 少し落ち着いたようにも見える。

 右手には、血に濡れた刀。

 自衛隊員たちは、一斉に銃を向けた。


 だが、その瞬間——


(撃ちたければ撃て)


 頭の中に、低く野太い声が響いた。神城たち四人だけでなく、周囲の隊員たちにも等しく届いている。


(だが私は、味方だ。今はとにかく、私があの化け物を片づける。その間に——負傷者の救助と、撤退を)


 黒い化け物——鬼のようなそれは、そう告げると、踵を返して再び白い群れへと突っ込んでいく。


「あ、あの……さっきは、ありがとう」


 もかが、思わずその背中へ声をかけた。


 黒い化け物は、一瞬だけ振り返る。

 もかをしばらく見つめ——何も言わずに、再び戦場の奥へと消えていった。


 その間に、四人を含む避難民は、朝霞駐屯地からヘリに乗せられ、後にした。



 ヘリの中。

 窓の外に広がるのは、燃え続ける東京の街。


 誰もが口を閉ざし、ただ今日の出来事を思い返していた。


 ——家族の安否や古賀のこと。

 背中に矢を受けて、それでも前に進んだ背中。

 自分たち生きてくれと言うように叫んだ顔。


 なんでアイツが死ななきゃいけないんだ。

 もっと一緒に馬鹿やって、笑って、メシ食って——そう思えば思うほど、喉の奥が熱くなり、胸が締めつけられる。


 しばらくして、ヘリは沖縄の米軍基地に到着した。

 四人はその日、基地内の一角で、ほとんど眠れないまま一夜を過ごした。


 翌日。

 基地内放送が、無機質な声で響き渡る。


『避難民の皆さんに、お願いがあります。ひどく疲弊しているところ申し訳ないが、聞いてほしい。——単刀直入に言う』


 総司令と思わしき男の声だった。


『皆にも、一緒に戦ってほしい。我々は捕獲した化け物を元に、最新兵器を開発した。だが、それを扱うには、若い力が必要だ。——この戦いに加わってほしい。ここに、義勇兵を募る』


 放送が終わる頃には、広場にはざわめきが広がっていた。


 その中で、神城はただ下を向いていた。

 握り締めた拳が震えている。


「……やってやるよ」


 ぽつりと、神城が呟く。

ユカとモカは不安そうに神城を見つめる。


「俺たちから、全部奪ったアイツら。古賀……あいつを殺した化け物どもを、ぶっ殺してやる。——そして、今度こそ、古賀のように俺がみんなを守ってやる」


 顔を上げた神城の瞳には、静かな狂気にも似た炎が宿っていた。


「俺は——入隊する」


 その宣言を皮切りに、何人もの若者が、義勇兵への参加を申し出ていく。


 ——この日、一人の英雄が生まれ物語が、動き出した。


 


細胞戦線 episode1 地獄  完

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