第8話 再会と、チキン南蛮と、異世界への招待状

地上に戻ってから一週間が経った。


その間、私の生活は完全に変わった。登録者数は百万人を突破し、毎日のように企業からオファーが届く。大学では有名人扱いされ、街を歩けば声をかけられる。


でも、私の心は、ずっとあの場所にあった。


深層の邸宅。縁側から見える静かな庭。浩さんの作る料理。リリアの無邪気な笑顔。


「……もう一度、行こう」


私は決心した。


---


配信開始の通知を出すと、瞬く間に視聴者が集まった。


開始三分で十万人を超える。画面の向こうには、世界中の人々がいる。


「みんな、こんにちは。あかりです」


私はカメラに向かって微笑んだ。


「今日は――もう一度、深層に行きます」


コメント欄が爆発した。


【きたああああああ!!!】

【待ってた!!!】

【浩さんに会える!】

【リリア様に会いたい!】

【投げ銭10000円 絶対全部見る】


私はバックパックを背負い、Hダンジョンへ向かった。


---


ダンジョンの入口には、相変わらず人だかりができていた。


でも、前回とは違う。今回は冒険者ギルドが警備を強化していて、一般人は入れないようになっていた。


ギルド職員が私を見つけて、近づいてきた。


「あかりさん。お待ちしていました」


「あの……今日も、行ってもいいんですか?」


「ええ。ただし、いくつか条件があります」


職員は真剣な表情で告げた。


「浩さんと接触した際は、我々からの調査依頼を伝えてください。それから、可能であれば、影の国についての情報をもっと集めてほしい」


「わかりました」


私は頷いて、ダンジョンへ足を踏み入れた。


---


浅層、中層を抜け、深層へ。


前回よりもスムーズに進むことができた。道を覚えていたのもあるが、何より、あの場所に帰るという目的があったから。


薄暗い石壁の通路を抜けると、見慣れた景色が広がった。


和風の平屋邸宅。黒い瓦屋根、白い土壁、そして静かな庭。


「……ただいま」


私は小さく呟いた。


縁側には、浩さんが座っていた。


相変わらずの作務衣姿で、お茶を飲んでいる。


彼は私の姿を見て、くすっと笑った。


「おかえり。早かったな」


「……会いたかったので」


私は素直に答えた。


浩さんは少しだけ驚いたような顔をして、それから穏やかに微笑んだ。


「そうか。まあ、上がれ。ちょうど昼飯の準備をしてたところだ」


コメント欄が温かいメッセージで溢れる。


【再会!!!】

【おっさん嬉しそう】

【あかりちゃん素直すぎる】

【この二人の関係性好き】


私は靴を脱いで、縁側に上がった。


そして――


「あかりー!!!」


甲高い声とともに、銀髪の少女が飛びついてきた。


リリア。


魔王の彼女は、私の首に腕を回して、嬉しそうに笑った。


「会いたかった! また来てくれるって信じてたよ!」


「リリアさん……!」


私も思わず抱きしめ返した。


小柄な体は温かくて、ほのかに甘い香りがした。本当に、魔王なのだろうかと思うほど、無邪気な存在。


「ほら、リリア。あんまりくっつくな。あかりが困ってる」


浩さんが苦笑しながら、リリアを引き剥がした。


リリアは不満そうに頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻った。


「ねえねえ、今日は何食べるの?」


「チキン南蛮だ」


「やったー! 浩のチキン南蛮、大好き!」


リリアは目を輝かせた。


私も興味津々だった。


「チキン南蛮……ですか?」


「ああ。今日は特別にな、深層の奥に棲むエンペラーコカトリスを狩ってきた」


「エンペラー……コカトリス?」


「鶏型の最上位モンスターだ。肉質が最高でな。普通のコカトリスの十倍は美味い」


浩さんはそう言って、厨房を指差した。


そこには、巨大な鶏肉が置いてあった。


いや、巨大というには生々しい。明らかに、普通の鶏肉ではない。淡いピンク色で、細かい霜降りが入っていて、魔力を帯びているのか、微かに光を放っている。


「これ……本当に、モンスター……?」


「ああ。でも、調理すれば最高の食材になる」


浩さんは慣れた手つきで、鶏肉を切り分け始めた。


---


調理が始まった。


浩さんの手つきは、まるで芸術家のようだった。


まず、鶏肉を一口大に切り分ける。繊維に沿って、丁寧に。包丁が滑るように動き、肉が美しく切り離されていく。


「チキン南蛮はな、肉の下ごしらえが全てだ」


浩さんは独り言のように呟きながら、切り分けた肉に塩胡椒を振る。


次に、溶き卵にくぐらせ、小麦粉をまぶす。その手つきには、一切の無駄がない。


「油の温度は百七十度。高すぎても低すぎてもダメだ」


鍋に油を注ぎ、温度を確認する。そして、鶏肉を静かに投入した。


ジュワアアアア……


油が跳ねる音が響く。


瞬間、邸宅中に、とてつもなく美味しそうな香りが広がった。


「うわあ……」


私は思わず鼻を押さえた。


リリアも目を輝かせている。


「この匂い……! もう我慢できない……!」


「待て。まだだ」


浩さんは冷静に鶏肉を揚げ続ける。


表面がきつね色になったところで、一旦取り出す。そして、油の温度を上げて、もう一度投入する。


「二度揚げすることで、外はカリッと、中はジューシーになる」


ジュワアアアア……


再び油が跳ねる。


そして、完璧なきつね色になったところで、取り出した。


次に、タレを作る。


醤油、みりん、酢、砂糖。そして――


「影の国の果実の果汁を少し加える。これで、深みが出る」


浩さんは小さな瓶から、紫色の液体を垂らした。


タレが煮立ち、甘酸っぱい香りが立ち上る。


揚げたての鶏肉を、熱々のタレにくぐらせる。


ジュウウウ……


タレが染み込んでいく音。


最後に、タルタルソースを添える。


刻んだゆで卵、玉ねぎ、ピクルス、マヨネーズ。全てが完璧に混ざり合っている。


「――完成だ」


浩さんは皿に盛り付けた。


黄金色に輝くチキン南蛮。その上に、真っ白なタルタルソースがたっぷりとかかっている。


私は、息を呑んだ。


コメント欄が完全に暴走していた。


【やばい】

【やばい】

【やばい】

【これ絶対美味いやつ】

【飯テロの極致】

【投げ銭50000円 俺も食わせろ】

【同時視聴者20万突破wwww】


リリアは既に箸を持って、待機していた。


「いただきます!!!」


彼女は一番大きなチキンを掴み、一口で頬張った。


その瞬間――


リリアの表情が、蕩けた。


「んっ……! んんんっ……!!!」


言葉にならない声を上げながら、目を閉じて、幸せそうに咀嚼する。


「やばい……やばいやばいやばい……! 美味しすぎる……!」


タレの甘酸っぱさと、タルタルソースのまろやかさと、そして鶏肉のジューシーさ。全てが完璧に調和している。


私も恐る恐る一口食べた。


――世界が変わった。


外はカリッと香ばしく、中はとろけるように柔らかい。噛むたびに肉汁が溢れ出し、タレの甘酸っぱさが舌を刺激する。そしてタルタルソースが、全体をまろやかに包み込む。


「これ……これ……!」


私は言葉を失った。


ただ、次の一口を口に運ぶことしかできなかった。


「美味しい……美味しすぎる……!」


涙が出そうになった。


これが、エンペラーコカトリスの力なのか。それとも、浩さんの料理の腕なのか。いや、両方だ。最高の食材と、最高の技術が合わさって、この奇跡のような味が生まれている。


コメント欄はもはやカオスだった。


【あかりちゃんの顔wwww】

【魔王様完全に堕ちてる】

【これもう麻薬だろ】

【俺も食いたい人生だった】

【日本政府、これ輸入してくれ】


浩さんは二人の様子を見て、満足そうに頷いた。


「まあ、エンペラーコカトリスは滅多に手に入らないからな。今日は特別だ」


「とくべつ……」


リリアは幸せそうに呟きながら、二個目に手を伸ばした。


私も、もう止まらなかった。


---


食事が終わり、お茶を飲みながら寛いでいると、リリアが突然立ち上がった。


「ねえ、あかり」


「はい?」


「影の国、来ない?」


私は、お茶を吹きそうになった。


「え……影の国……?」


「うん! あかりに見せたいところがたくさんあるの! お城とか、街とか、魔法の森とか!」


リリアは目を輝かせながら、私の手を掴んだ。


「でも……私、異世界なんて……」


「大丈夫だよ。浩も一緒だし、ハイネもいるし。絶対安全だから」


私は浩さんを見た。


浩さんは少しだけ困ったような顔をしたが、すぐに肩をすくめた。


「まあ、リリアがそう言うなら、大丈夫だろ。俺も付き添う」


「本当に……いいんですか?」


「ああ。どうせ、お前はいつか行くことになる」


浩さんはそう言って、立ち上がった。


「ただし、配信は一旦切れ。向こうの許可を取ってからじゃないと、トラブルになる」


「わかりました」


私はカメラに向かって告げた。


「みんな、ここで一旦配信を切ります。でも――また、すぐに再開するから。その時は、影の国からお届けします」


コメント欄が爆発した。


【マジで!?】

【影の国!?!?】

【これ歴史的瞬間だろ】

【絶対見る】

【世界初の異世界配信】


私は配信を終了した。


そして、深呼吸をした。


「……行きましょう」


---


浩さんが居間の奥にある障子を開いた。


その向こうには――


何もなかった。


ただ、暗闇だけが広がっている。


でも、その暗闇には、微かに光が揺れていた。まるで、水面に映る月明かりのような、不思議な輝き。


「これが……入口?」


「ああ。ここを抜ければ、影の国だ」


浩さんは先に障子の向こうへ消えた。


リリアは私の手を引いて、笑った。


「大丈夫。怖くないよ」


「……はい」


私は、リリアの手を握り返した。


そして――


一歩、踏み出した。


---


暗闇に包まれた。


でも、それは恐怖ではなかった。


温かくて、優しくて、まるで羊水の中にいるような、不思議な感覚。


そして――


光が見えた。


私は、その光に向かって歩いた。


---


目の前に広がったのは、信じられない光景だった。


紫色の空。


二つの月。


そして、遠くに見える巨大な城。


黒い石で作られた、荘厳な城。その周りには、美しい街が広がっていて、無数の灯りが瞬いている。


「ここが……影の国……」


私は呆然と呟いた。


リリアは誇らしげに胸を張った。


「そう! 私の国! どう? 素敵でしょ?」


「素敵……なんてもんじゃ……」


私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


浩さんは私の隣に立って、静かに告げた。


「歓迎する。人間の少女。異世界へ」


その言葉に、私は震えた。


これは、夢じゃない。


本当に、異世界なんだ。


---


リリアは私の手を引いて、歩き出した。


「さあ、行こう! お城に案内するね!」


「え、あ、待って……!」


私は慌てて後を追った。


足元には、黒い石畳が敷かれている。でも、その石は不思議な光を放っていて、歩くたびに微かに輝いた。


道の両脇には、見たこともない植物が生えている。紫色の花、黒い葉、そして光を放つ果実。


「すごい……」


私は思わず立ち止まった。


浩さんが追いついてきて、説明してくれた。


「影の国は、地球とは魔力の流れが違う。だから、植物も動物も、全てが独自の進化を遂げてる」


「魔力の流れ……」


「ああ。お前も、少しずつ感じるはずだ」


そう言われて、意識を集中すると――確かに、何か温かいものが体を巡っているのを感じた。


「これが……魔力?」


「そうだ。影の国では、空気中に魔力が満ちている。人間でも、ある程度は感じ取れる」


私は、自分の手を見た。


確かに、手のひらが微かに温かい。


「不思議……」


「慣れれば、当たり前になる」


浩さんはそう言って、先を歩くリリアを追いかけた。


---


城の門に着くと、そこには見慣れた人物が立っていた。


ハイネ。


銀髪の執事は、私たちを見て、深々と頭を下げた。


「お帰りなさいませ、リリア様、浩様。そして――」


ハイネは私を見て、少しだけ微笑んだ。


「あかり様。ようこそ、影の国へ」


「あ、ありがとうございます……」


私は緊張しながら頭を下げた。


ハイネは門を開き、私たちを中へ案内した。


城の中は、荘厳で、美しかった。


黒い大理石の廊下、赤い絨毯、そして壁には無数の絵画が飾られている。


「すごい……」


私は、ただ圧倒されるばかりだった。


リリアはくるくると回りながら、嬉しそうに笑った。


「ねえ、あかり。今日は私の部屋に泊まっていきなよ!」


「え……泊まる……?」


「うん! お泊まり会! 楽しいよ!」


私は浩さんを見た。


浩さんは肩をすくめた。


「好きにしろ。まあ、明日には地球に戻してやるから」


「じゃあ……お言葉に甘えて……」


私がそう言うと、リリアは歓声を上げた。


「やったー! じゃあ、今夜は魔王城の特製ディナーだね!」


「ディナー……」


また、とんでもない料理が出てくる予感がした。


そして――私の予感は、間違っていなかった。


---


その夜、私は魔王城の大広間で、人生最高の晩餐を味わった。


影の国の食材を使った、浩さん特製の料理。


血の果実のサラダ、魔獣のローストビーフ、そして――エンペラーコカトリスのチキン南蛮の残りを、リリアが特別に取っておいてくれていた。


「美味しい……」


私は、ただ幸せに満たされていた。


リリアは満足そうに微笑んで、私の隣に座った。


「ねえ、あかり。これからも、ずっと来てね」


「……はい。絶対に」


私は、心からそう答えた。


この場所は、もう私の大切な場所になっていた。


浩さんと、リリアと、ハイネと。


この人たちとの時間が、私にとって、かけがえのないものになっていた。


---


その夜、私はリリアの部屋で眠りについた。


窓の外には、二つの月が輝いている。


不思議な世界。


でも、温かい世界。


「……おやすみなさい」


私は小さく呟いて、目を閉じた。


明日は、また新しい冒険が待っている。


そう思うと、胸が高鳴った。

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