第31話 文化祭前半

文化祭当日。


朝の校舎は、いつもとまるで違う音に包まれていた。廊下を歩くたびに、笑い声や呼びかけ、どこか浮ついた空気が肌に触れる。普段は静かな教室も、今日は朝から人が多く、机の配置もすっかり変わっていた。


俺は教室に入ると、まず視線を巡らせる。


装飾はきちんと仕上がっている。看板も問題ない。昨日までの準備が、形としてちゃんと残っているのを見て、少しだけ安心した。


「おはようございます、宮下くん」


背後から声がかかる。


振り返ると、委員長がそこにいた。今日は私服ではなく、クラスで決めたエプロン姿だ。色は落ち着いているのに、不思議と目を引く。


「おはよう。早いな」


「準備がありますから」


当然のように言う。


「シフト表、確認しましたか?」


「一応」


「では、午前中は予定通り動きます」


予定通り、という言い方がすでに強い。


「開店前の最終チェックを一緒にお願いします」


「了解」


俺がそう答えるのを、最初からわかっていたような顔だった。


開店前の教室は、少しだけ緊張感がある。飲み物の準備、テーブルの配置、動線の最終確認。委員長はそれらを淡々と見て回りながら、必要なところだけ的確に指示を出していく。


「ここ、もう少し椅子を詰めてください」

「そのメニュー表、入口側に」


一つ一つが無駄なく、迷いがない。


俺はその隣で動きながら、自然と彼女の指示を補足していく。二人でやると早い。言葉にしなくても、何をすればいいかわかる。


「やっぱり、助かります」


不意に委員長が言った。


「何が?」


「こうして一緒に動いてもらえるのが」


視線は前を向いたまま。声も淡々としている。


でも、それは昨日までの「仕事だから」とは少し違って聞こえた。


開店時間が近づくと、クラスメイトたちもそれぞれの持ち場につく。


「委員長、いよいよだね」


ひかりが軽い調子で声をかける。


「ええ。想定通りに進めましょう」


「宮下もよろしくね」


「ああ」


そのやりとりを、みなとが少し離れた場所から見ていた。


「悠斗、あとで少し話せる?」


「今?」


「ううん、落ち着いたら」


曖昧な言い方。


委員長はその会話を聞いていたが、何も言わない。ただ、次の指示を出すとき、自然と俺の近くに立った。


開店。


外から人が入ってきて、教室の中が一気に賑やかになる。笑顔で接客するクラスメイトたち。写真を撮る人たち。思った以上に忙しい。


「次、こちら案内してください」

「注文、今受けます」


委員長は常に全体を見ながら、俺にだけは短く、的確に指示を飛ばしてくる。


「宮下くん、あちらのテーブル」

「補充、お願いします」


名前を呼ばれる回数が、やけに多い。


みなとが一瞬、こちらを見る。


「忙しそうだね」


「まあな」


「委員長とずっと一緒じゃん」


その言葉に、委員長が視線を向ける。


「役割分担です」


きっぱり。


「今は、そういう時間ですから」


言い切ると、みなとはそれ以上何も言えなかった。


昼前。


少しだけ客足が落ち着いたタイミングで、委員長が俺に声をかける。


「五分ほど、休憩を取ってください」


「佐伯は?」


「私は大丈夫です」


その言い方は、遠慮ではなく判断だった。


「じゃあ、すぐ戻る」


休憩スペースで水を飲みながら、教室の様子を見る。


委員長は、誰かと談笑するでもなく、淡々と全体を回している。でも、その視線は時折、こちらを確認するように向けられていた。


目が合うと、すぐに逸らされる。


だが、完全には切れない。


「宮下くん」


今度は京香が声をかけてきた。


「忙しそうですね」


「まあ、それなりに」


「委員長も頼もしいですね」


「そうだな」


京香は少しだけ笑ってから、続けた。


「でも、近いなって思いました」


「何が?」


「距離、です」


それ以上は言わない。


俺が返事に迷っていると、京香はそれで十分だと言うように、軽く会釈して戻っていった。


昼が近づく。


忙しさの中で、自然と俺は委員長の隣に戻る。


「大丈夫ですか?」


「問題ない」


短いやりとり。


だが、ふと、委員長が小さく言った。


「今日は、逃がしませんから」


「何を?」


「あなたを」


声は低く、冗談めいているようで、冗談じゃない。


「文化祭ですから」


そう付け足す。


俺は何も言えなかった。


文化祭当日、午前。


表向きは、ただのクラスの成功のための配置。


でもその裏で、委員長ははっきりと主導権を握り、確実に距離を縮めてきていた。

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