陰キャの俺がクラスの女子から恋愛相談をされるのだが

桐葉

第1話 陰キャの俺に、クラス一の美少女が恋愛相談してきた


 月曜の朝。

 俺は教室の一番後ろ、窓際という陰キャ御用達の座席で、そっと息を吐いた。


「今日こそ、誰にも話しかけられずに過ごせますように」


 自分で言ってて情けなくなるが、これが現実だ。

 クラスメイトとの交流は極めて希薄。むしろ絶無。

 雑談? 笑顔の応酬? そんなもの、この一年で一度も発生した試しがない。


 賑やかな教室の中心では、今日も日向ひかりが屈託なく笑っていた。

 明るくて、誰にでも分け隔てなく優しくて、しかも美人。

 そんな女子を、陰キャの俺が遠くから観察している図は、わりと虚しい。


「いや、別に見てるわけじゃないし。ただ、目に入るだけで」


 そう自分に言い訳しながら席にカバンを置く。

 いつものように誰にも話しかけられず、誰にも存在を認知されないまま、午前は過ぎていった。


 やがて放課後。

 下校ラッシュが始まり、教室が少しずつ空になっていく。


「よし、今日も無事に存在感ゼロで終われた」


 そう安堵した瞬間だった。


「宮下くん」


「え?」


 俺の名前を呼ぶ声。

 それも、聞き慣れない声音で。


 振り向くと、そこに日向ひかりが立っていた。


 え?

 なんで?


「ちょ、ちょっといい? 少し話したくて」


「は、話? 俺と?」


「うん」


 ひかりは微笑むでもなく、からかうでもなく、なんか妙に真剣な表情だった。


 俺の心臓は意味不明な速度で動き出す。


(落ち着け俺きっと何かの手違いだ。クラスの誰かと名前を間違えてるとか)


 そんな淡い希望は、ひかりの次の一言で粉々に砕かれた。


「宮下くん本人に、お願いがあるんだよ」


「お、俺に? な、なんの?」


「恋愛相談。聞いてほしいの」


「……………………は?」


 恋愛相談。


 クラスの中心にいる美少女が、陰キャの俺に?


 どう考えても、どう曲げても、理解不能だった。


「れ、恋愛相談?」


「うん。ちょっと相談に乗ってくれると、助かるなって」


 ひかりは視線をそらし、指先で髪をくるくるといじっている。

 その仕草が妙に繊細で、俺の心臓に悪い。


「い、いや、ちょっと待って。俺なんかに聞いても、なんの役にも」


「宮下くんで、ないとダメなんだよ」


「は、はぁ!? な、なんで!?」


「とりあえず、移動しよ? ここだと少し話しにくいし」


 ひかりはくるりと背を向け、廊下へと歩き出した。

 俺は思考停止したまま、その後をついていく。


 空き教室に入り、扉が閉まった瞬間。


「よしここなら大丈夫」


「だ、誰に聞かれたらまずいような相談なの?」


「まあ、恋愛だからね。ちょっと恥ずかしいし」


 ひかりは頬を赤くして笑った。

 近距離で見ると、やっぱり反則レベルで可愛い。


「で、相談って具体的に?」


「えっとね実は、好きな人がいるの」


 俺は息を飲んだ。


「そ、そうなんだ」


「うん。でも、その人とあまり話せてなくてさ。どうしたら距離を縮められるかなって」


「距離を縮める?」


「うん。アドバイスがほしいの。宮下くんから」


 まっすぐに見つめられて、俺は心臓をごっそり掴まれた気分になる。


 だが、ひかりの話は続いた。


「その人すごく真面目で、あまり自分のことを前に出さないタイプなんだよね」


「へ、へぇ」


「で、人の表情とか気持ちを読むのが上手いのに、自分では気づいてない感じで」


「……ん?」


 なんか聞いたことあるような特徴だ。


 いや、なんかどころじゃない。

 これ、ほぼ俺だ。


「でもね、その人自信がなくて、いつも教室の隅にいて」


(待って? 完全に俺じゃね?)


 俺の喉が鳴った。


 だが、違う。きっと俺じゃない。

 そんなわけがない。勘違いだ。これはただの偶然の一致だ。

 陰キャあるあるを羅列してるだけだ。


「どうしたの? 宮下くん、顔赤いよ?」


「いや、なんでも」


「でね、その人ともっと仲良くなりたいんだけどどうしたらいいかな?」


 ひかりは少しうつむき、上目遣いで俺を見つめてくる。


 そんな目で見られたら、誰だって勘違いする。

 だが、俺は冷静に判断する。

 これは他の誰かの話だ。俺じゃない。

 そう決めつけないと、心がもたない。


「え、えっと距離を縮めたいなら、まずは会話のきっかけを作るとか」


「会話かぁうまく話せるかな。緊張しちゃって」


「お、落ち着いて話せば大丈夫だよ。相手もたぶん、嫌がってないと思うし」


「ほんと?」


「うん。むしろ、嬉しいと思う」


「その人、喜んでくれるかな私から話しかけたら」


「絶対、喜ぶよ」


 ひかりは驚いたように目を見開いた。


「なんか宮下くんって、優しいんだね」


「そ、そうか?」


「うん。話してみて、ちょっと印象変わったかも」


 そう言って、ひかりは立ち上がった。


「ありがと。なんか、勇気出た」


「そ、そっかそれならよかった」


「また相談しても、いい?」


 その声音は、なぜか少し震えていた。


「も、もちろん。俺でよければ」


「ありがと」


 ひかりはゆっくり教室を出ていった。

 扉が閉まり、静寂が戻る。


 俺は椅子にもたれかかり、深く息を吐いた。


「なんで俺なんだよ」


 頭の中がぐるぐるする。

 けど、悪い気はしなかった。

 誰かに必要とされるなんて、今までなかったからだ。


 その日の夜。

 ベッドに寝転がっても、ひかりの言葉が頭から離れない。


「これ、勘違いしないほうがいいよな」


 自分に言い聞かせる。

 そんな都合よく、俺が誰かに好かれるわけがない。


 ただ。


 恋愛相談をきっかけに、俺の平凡な日常が静かに動き出していた。

 そのことに、俺はまだ気づいていなかった。





翌日の朝。

 俺はいつものように、教室の隅に腰を下ろした。


「昨日は、なんだったんだ」


 思い返すだけで、心拍数が跳ね上がる。

 日向ひかり、クラスの美少女が、俺に恋愛相談をしてきた。

 その事実は、いまだに受け止めきれない。


「いや、落ち着け俺。あれはきっと、一時的な気の迷いだ」


 誰かに相談できないだけで、たまたま俺が近くにいたとか、そういう理由だろう。

 あまり期待したらダメだ。痛い目を見るのは俺だ。


 そう脳内で必死に理屈を組み立てていると


「ねぇ聞いた? 昨日さ」


「うん、なんか日向さんが」


 近くの女子グループの会話が小耳に入る。


(……ん?)


「宮下くんと二人で話してたんだって」


「え、マジ? あの宮下と?」


「そうそう。日向さん、なんか相談してたらしいよ」


(…………は?)


 俺の背筋が冷たくなる。


 噂になってる!?

 うそだろ、おい。


「いやいや、なんで俺の名前が話題に」


 俺は机の上で頭を抱えた。

 一気に胃が痛くなってくる。


「お、おはよう宮下くん!」


「!」


 そのとき、ひかりが教室に入ってきて、俺のほうにまっすぐ歩いてきた。


 周囲の視線が一斉にこちらを向く。


(やめてぇぇ……!! 視線が痛い!!)


 ひかりはそんな周囲の反応を一切気にせず、軽く会釈してきた。


「昨日はありがと。すごく参考になったよ」


「あ、あぁえっと」


「また放課後、時間ある?」


「あ、ああ大丈夫だけど」


「よかった。じゃあ、またね」


 ひかりは微笑んで席へ戻っていった。


 その瞬間。


「え、日向さん、宮下と仲良くない?」


「ていうか、話しかけに行ってるし」


「これマジで相談相手ってこと?」


 教室の空気がざわつき始める。


(う、うわぁぁ最悪の展開だ!)


 俺は机に突っ伏しながら、心の中で絶叫した。


 そして、その日の放課後。


「宮下くん、ちょっといい?」


「うわっ!」


 思いがけず声をかけられ、俺は飛び上がった。


 振り向くと、そこには黒髪ストレート、無表情の文学少女黒瀬葵が立っていた。


「そんなに驚かなくても」


「い、いやごめん」


 黒瀬葵。

 普段は図書室で本を読んでいて、あまり人と関わらないタイプ。

 俺とはほとんど接点がない。


 そんな彼女が、なぜ俺の席に?


「あの宮下くんって恋愛に詳しいって、ほんと?」


「……………………は?」


 俺は固まった。


(ちょ、ちょっと待てさっそく噂が仕事した!?)


 葵は無表情のまま続けた。


「その私、恋愛小説を書いていて。男子視点の描写が苦手で。宮下くんが、女子に恋愛相談されてたって聞いてちょっと興味があるの」


「い、いや、あれはなんというか特殊で」


「だから、宮下くんにも相談に乗ってほしい。小説の取材として」


「と、取材!?」


「うん。今日、少し時間ある?」


 まっすぐに見つめてくるその瞳は、意外にも真剣だった。


 断ったら刺されそうとかじゃなくて、単純に断りにくい圧がある。


(まずいこれ、断れないパターンだ)


「わ、わかったじゃあ、少しだけ」


「よかった。ありがとう」


 そう言って、葵はほんの少しだけ微笑んだ。

 その笑みは儚くて、妙に胸をくすぐられた。


 二人はそのまま図書室へ向かった。



 静かな図書室。

 葵はノートを開きながら、真顔のまま尋ねてきた。


「じゃあ質問するね」


「う、うん」


「まず好きな人ができたとき、男子はどう思うの?」


「い、いきなり核心に来たな」


「だめ?」


「いや、いいけど」


 俺は少し考えてから答える。


「男子って案外、惚れた相手にはめちゃくちゃ臆病だよ。特に俺みたいな陰キャは、自分なんか相手にされるわけないって思って、積極的になれない」


「それ、わかる気がする」


 葵はコクンとうなずく。


「じゃあ好きな人が自分に話しかけてきたら?」


「そりゃもう、心臓破裂寸前だよ。絶対喜ぶ」


「喜ぶの?」


「当たり前だろ」


 葵は表情を変えずに、しかしどこか嬉しそうに小さく呟いた。


「そう、なんだ」


 その横顔を見て、俺は少しだけ胸がざわついた。


「じゃあ、もう一つ。もし、急に距離を縮められたら男子はどう思う?」


「ど、どう思うって」


 俺は、昨日のひかりのことを思い出してしまう。


 あの距離感。

 あの、上目遣い。


「正直、めちゃくちゃ意識する。『もしかして』って、勝手に期待する」


 葵はペンを止め、俺の顔をじっと見る。


「宮下くんも?」


「え?」


「昨日、日向さんと話してたとき期待した?」


「なっ……!」


 心臓が飛び出しそうになった。


「なんで、それを!?」


「噂だよ。教室にいたら聞こえてきた。日向さんが宮下くんに恋愛相談してたって」


「うぐ……」


「で期待したの?」


 無表情なのに刺すような目だ。


 俺は目をそらしながら、なんとか言葉を絞り出した。


「す、少しくらいは」


「そっか」


 葵はまた小さく微笑む。


 そんな表情を見せられると、こっちの心が落ち着かない。


「じゃあね最後の質問」


「え、もう最後?」


「うん。宮下くんは、今好きな人って、いるの?」


「……………………は?」


 突然の爆弾質問。

 俺は完全に固まった。


(い、いやなんでそんな核心を!?)


 葵は無表情のまま、俺の答えをじっと待っている。


 言葉が出ない。

 正直、誰かをちゃんと好きになったことなんて、一度もない。


「い、いないかな。たぶん」


「そっか。じゃあ、これから誰かを好きになる可能性はあるね」


「な、なんでそうなる!?」


「だって相談されて、話して、距離が縮まって。そういうのがきっかけになるんでしょ?」


「う、まあ」


「そっか。なら、よかった」


 葵はノートを閉じた。

 そして、ほんの少し照れたように視線を下げる。


「今日はありがとう。また聞かせて、ね?」


「あ、ああ」


 図書室を出た葵は、最後に振り返ってこう言った。


「宮下くん、優しいから。相談、しやすいと思うよ」


 その言葉が、妙に胸に残った。



 帰り道。

 俺は空を見上げて、深く息を吐いた。


「これ、どう考えてもおかしいよな」


 日向ひかり。

 黒瀬葵。


 二日連続で、クラスの女子から相談(?)されるなんて、今までの俺からは想像もできない。


「いやいやいや勘違いするな俺。絶対たまたまだ」


 そう言い聞かせながら歩いていると、スマホが震えた。


 差出人:星川みなと

 内容:『宮下って、明日時間ある? ちょっと話したいんだけど』


「………………は?」


 俺はその場で立ち止まった。


 どうやら、俺の相談相手としての人生は、もう後戻りできないらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る