第23話 「嘘だ、こんな力が……!」兄の敗北と逃走

玉座の間に漂うのは、土煙と焦げ臭い匂い、そして一国の王だった男の情けない命乞いの声だけだった。


「ひぃぃぃっ! わ、わしが悪かった! カイル、お前がそんなに強くなっているとは知らなかったのじゃ! 許してくれ! わしを殺さないでくれぇぇ!」


国王アルマン七世は、豪奢なマントを泥に汚しながら、カイルの足元に這いつくばっていた。

かつて冷酷に追放を言い渡した威厳など、見る影もない。

ただの死を恐れる老人だ。


カイルは、足元に縋りつく父親を冷ややかな目で見下ろした。


「……見苦しいよ、父上。一国の王なら、最後まで矜持を持ったらどうだい」


「きょ、矜持など食えぬ! 命あっての物種じゃ! そうだ、金か? 地位か? 何を望む? お前を軍の最高司令官にしてやろう! だから……!」


「いらないと言ったはずだ。僕には自分の国がある」


カイルは短く吐き捨て、視線を瓦礫の山へと向けた。

そこには、カイルの『破城鎚(パイルバンカー)』を食らい、壁にめり込んだ第一王子ゲラルトが倒れていた。


変身は解け、貧相な人間の姿に戻っている。

聖剣は折れ、胸に埋め込んでいた『魔神の心臓』は砕け散り、黒い欠片となって床に散らばっていた。

白目を剥き、口から泡を吹いているその姿は、完全な敗北を示していた。


「セリア、リリス。二人を拘束してくれ。……終わったよ」


カイルが踵を返そうとした、その時だった。


「……う、そ……だ……」


瓦礫の山から、地獄の底から響くような呻き声が聞こえた。


「カイルさん、危ない!」


リリスが叫ぶ。

カイルが振り返ると、気絶していたはずのゲラルトが、ゆらりと立ち上がろうとしていた。

体中の骨が折れているのか、その動きは操り人形のように不自然だ。

だが、その瞳には尋常ではない狂気の光が宿っていた。


「嘘だ……こんなことが……あってたまるか……!」


ゲラルトは血走った目でカイルを睨みつけた。

認められない。

認めるわけにはいかない。

自分は選ばれた王族だ。天才的な剣の才能を持ち、次期国王として約束された存在だ。

それが、なぜ。

あんな「小屋建て」しか能のない無能な弟に、手も足も出ずに負ける?

聖剣をへし折られ、プライドを粉々にされ、無様な姿を晒す?


「あ……ああ……俺は、王だ……最強なんだ……」


ゲラルトはブツブツと呟きながら、床を這った。

彼が手を伸ばしたのは、散らばった『魔神の心臓』の欠片だった。


「やめろ、兄上! それはもう壊れている!」


カイルが制止する声を、ゲラルトは無視した。

彼は震える手で、赤黒く明滅する宝石の欠片を鷲掴みにした。


「力が……もっと力が要る……。カイルを殺す力が……!」


「兄上!」


「俺を見下すなぁぁぁぁッ!!」


ゲラルトは絶叫と共に、鋭利な宝石の欠片を、自らの胸の傷口に強引にねじ込んだ。


ドクンッ!!!!


瞬間、玉座の間が漆黒の闇に包まれた。


「グガァァァァァァァッ!!??」


ゲラルトがのたうち回る。

砕けたはずのアーティファクトが、ゲラルトの負の感情――嫉妬、憎悪、絶望を糧にして暴走を始めたのだ。

彼の体から黒い触手のような魔力が噴出し、周囲の空間を侵食していく。


「キャァッ!?」

「主よ、下がってください!」


セリアがカイルの前に立ち、剣を構える。

リリスが防御結界を展開するが、黒い魔力はその結界すらも溶かすように音を立てていた。


「……失敗作の暴走か。厄介だな」


カイルは眉をひそめた。

『魔神の心臓』は、本来なら制御された状態で使うものだ。

だが、今のゲラルトは壊れた部品を無理やり体内に取り込み、人間としての形を保てなくなっていた。


黒い霧の中から、異形の怪物が姿を現した。

以前のような魔人化ではない。

右腕はドロドロに溶けて巨大な鉤爪となり、背中からは骨のような翼が突き出し、顔の半分は黒い肉腫に覆われている。


「カイルゥゥゥ……コロス……コロスゥゥゥ……!」


もはや言葉も不明瞭だ。

ただの殺戮本能の塊。


「ひぃぃぃ! ゲ、ゲラルト!? わしじゃ、父じゃぞ!?」


アルマン王が悲鳴を上げて後ずさる。

だが、怪物となったゲラルトは、実の父を巨大な鉤爪で無造作に薙ぎ払った。


「邪魔ダ……ゴミめ……」


「ぐあっ!?」


王は壁まで吹き飛ばされ、そのままぐったりと動かなくなった(かろうじて息はあるようだ)。

親殺し。

王族としての最後の一線を、彼は越えてしまった。


「オマエモ……カイル……オマエモ同ジ……ゴミにしてヤル……!」


ゲラルトが床を蹴り、人間離れした速度でカイルに迫る。

その爪には、触れるもの全てを腐食させる猛毒の魔力が纏わりついていた。


「【瞬閃】!」


セリアが迎撃に出る。

S級短剣が閃き、ゲラルトの腕を切り裂く――はずだった。


ガギィン!


「なっ……!?」


セリアの剣が、ゲラルトの黒い皮膚に弾かれた。

物理防御力が異常に跳ね上がっている。


「硬い!? オリハルコン並みか!」


「セリア、離れろ! 捕まったら溶かされるぞ!」


カイルが叫び、バスターハンドを構える。

至近距離からの魔導砲撃。


「消えろ! 『衝撃波(ショック・キャノン)』!」


ズドンッ!!


圧縮された空気がゲラルトの腹部に直撃する。

怪物は数メートル後退したが、倒れない。

それどころか、ダメージを受けた部分が瞬時に泡立ち、再生していく。


「再生能力まで……。完全に魔物化しているな」


カイルは舌打ちした。

倒すことは可能だ。だが、この狭い玉座の間で最大火力を出せば、城ごと吹き飛んでしまう。

それに、セリアやリリスを巻き込むリスクがある。


「チッ、面倒なことになった」


カイルが次の手を考えようとした、その時だった。


「グ……ウゥ……カイル……」


ゲラルトの動きが止まった。

彼の視線が、壊れた玉座の後ろにある『隠し扉』に向けられた。

そこは、王族しか知らない秘密の通路への入り口。そしてその先には、王家の宝物庫の最深部――『禁忌の祭壇』がある場所だ。


「ソコニ……アル……。真の……力が……」


ゲラルトの残った理性が、さらなる力を求めたのか、あるいはアーティファクトが彼を導いたのか。

彼はカイルへの攻撃を止め、隠し扉の方へと跳躍した。


「待て! 逃げる気か!」


セリアが追おうとするが、ゲラルトは背中の翼から黒い羽を散弾のように発射した。


バババババッ!


「くっ!」

セリアとリリスが防御に回る一瞬の隙に、ゲラルトは壁を破壊し、闇の奥へと姿を消した。


「ニゲテ……ナイ……。手ニ入レル……最強の……力ヲ……!」


捨て台詞のような咆哮を残し、怪物の気配は地下深くへと遠ざかっていった。


   ◇


静寂が戻った玉座の間。

残されたのは、半壊した部屋と、気絶した国王、そしてカイルたち三人だけだった。


「……逃げられました。申し訳ありません、主よ」


セリアが悔しそうに唇を噛む。

だが、カイルは首を横に振った。


「いや、深追いは危険だ。あれはもう兄上じゃない。ただの力の亡者だ」


カイルは、ゲラルトが消えた穴を見つめた。

【万能建築】の探知スキルが、地下へと続く深い空洞と、その奥にある異様な魔力反応を捉えている。


「リリス。この城の地下には何がある?」


「えっと、古い文献によれば……建国王が封印した『古代遺跡』があるとされています。かつて魔王が使っていた祭壇だとか……。でも、ただの伝承だと思っていました」


「伝承じゃないみたいだね。ものすごい瘴気を感じる」


カイルは確信した。

ゲラルトは逃げたのではない。

最後の賭けに出たのだ。

『魔神の心臓』ですら制御できなかった彼が、さらに強大な『古代の闇』に触れようとしている。

それは破滅への片道切符だ。


「カイル殿、追いますか?」


「もちろん。放っておけば、王都ごと吹き飛びかねない」


カイルは振り返り、倒れているアルマン王を見た。


「その前に、この人を保護しないとね。……ガルム!」


『はい、カイル様! 城門前に到着しました!』


通信機から元気な声が返ってくる。


「玉座の間まで来てくれ。怪我人がいる。あと、城内の残存兵力を制圧し、避難民の誘導を頼む」


『了解であります!』


指示を出し終え、カイルは再び地下への穴に向き直った。


「行こう。これが本当に最後だ」


「はい。カイルさんの行くところ、どこまでも」

リリスが杖を構える。


「あの怪物を討ち、この国に真の平和を」

セリアが剣を握り直す。


三人は、ゲラルトが空けた穴へと飛び込んだ。


   ◇


王城の地下通路。

湿った冷気が漂う暗闇の中を、異形の怪物が這いずり回っていた。


「ハァ……ハァ……痛イ……熱イ……」


ゲラルトの意識は混濁していた。

肉体は崩壊寸前だ。

『魔神の心臓』の破片が内臓を食い荒らし、全身の骨が悲鳴を上げている。

だが、止まることはできない。

止まれば、あの弟に追いつかれる。

あの冷ややかな、見下すような視線で見られる。

それだけは耐え難かった。


「俺ハ……王ダ……。誰ヨリモ……上ナンダ……」


ズルリ、ズルリと体を引きずりながら、彼は妄執だけで進んでいた。

かつて父から聞いたことがある。

この地下深くには、数百年前の戦争で使われた『禁断の兵器』が眠っていると。

国を滅ぼしかねないその兵器は、厳重に封印されているはずだ。


「ソレサエ……アレバ……」


カイルの空飛ぶ城も、古龍も、全て消し飛ばせるはずだ。

たとえ自分の命と引き換えにしてでも。


やがて、彼の前に巨大な青銅の扉が現れた。

幾重にも魔法の鎖で封じられた、『開かずの間』。


「ココダ……」


ゲラルトは溶けた右腕を扉に押し当てた。

強酸性の粘液が、数百年の封印をジューッという音と共に溶かしていく。


「開ケ……開ケェェェッ!」


ドォォォン!

扉が内側に倒れ込んだ。

中から吹き出してきたのは、カビ臭い空気と、肌を刺すような濃密な魔素。

そして、部屋の中央には、禍々しい輝きを放つ『黒い祭壇』が鎮座していた。


祭壇の上には、一本の『杖』が突き刺さっている。

いや、杖ではない。

それは、かつて魔王が世界を焼き尽くすために使ったとされる『終焉の鍵』。


「アッ……アァ……」


ゲラルトの口から、涎が垂れた。

本能が告げている。

あれに触れれば、もう人には戻れない。魂ごと食われる。

だが、今の彼に迷いはなかった。


「カイル……見テロ……。俺ガ……俺コソガ……最強ダ……!」


ゲラルトは、最後の人間性を捨て、祭壇へと足を踏み入れた。


背後から、カイルたちの足音が近づいてくるのが聞こえる。

だが、もう遅い。

ゲラルトの左手が、その禁断の鍵を握りしめた。


瞬間。

地下遺跡全体が、赤黒い光に包まれた。


「ギャハハハハハハハハハ!!!!」


王都の地下から、狂気の笑い声と共に、世界を揺るがすエネルギーの奔流が噴き上がろうとしていた。

兄の逃走劇は終わりを告げ、最悪の最終決戦(ラスボス戦)が始まろうとしている。

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