新世界の歩き方

橘樹

第1話 異変


『剣と魔法の世界』——幻想、空想の産物であるそれが現実に存在していたのなら、どんなに楽しかっただろうか。ゲームのように特別な力を用いてモンスターと戦いお金を稼ぐ、冒険者のような生活を送ってみたいと幾度となく考える。…ただ、退屈で仕方がないのだ。


 平穏でのどかな暮らしに不満があるわけではない。友達と過ごす時間も、それこそゲームで遊んでいる時間も退屈とは程遠い。だけど、何かが足りないように感じてしまう。充足感はあるのに、それに満足できない…もっと楽しいことがこの世界にはあるのだと、貪欲に求めてしまう。


 今の平和で退屈な日常なんてパッと吹き飛ばしてしまうような、そんな刺激的な何かが欲しいといつも思う。昨日も今日も、そしてきっと明日からも…平凡で退屈な日々が続いていく。


「…魔法使い、か…」


 教室の中、朝のホームルームが始まるまでの待ち時間、窓から外を眺めながらぽつりと呟いた。


 何か趣味があるわけでも、目標があるわけでもなく、ただ漠然とそんな幼稚な妄想をして過ごす毎日。

もう高校生だというのに俺、神崎雪兎かんざきゆきとはどうしようもなく、くだらない事ばかり考えていた。


「相変わらず退屈そうな顔してるねユキ君は…高校生活は始まったばかりなのにさぁ」


突然横から声を掛けられびくりとする。


「…なんだお前か、おはよう…ユイはいつも通り女の子みたいに可愛いな」


 当たり前だ、と誇らしげにニヤリと笑うこいつは神室結依かむろゆい。声も容姿も中性的な美少年で、誰もが女性と見紛うほどに綺麗な男だ。


 出席番号が近く、苗字に同じ『神』の字が入っているため妙に親近感が湧くのだが、中学生の時に俺を騙して弄んだ過去がある。その日以来、何が楽しいのか理解できないのだが、俺を揶揄い続けてくる。そうしていると話す機会が多くなり、今では親友と言えるくらいには仲良くなれたと思う。


「それで、今日は朝からどんな妄想をしていたのかな?」

「妄想とか言うなよ…ただ魔法が使えたら良かったのにって、考えてただけだから」

「それを妄想って言うんだけど…」


 くだらない話に花を咲かせながら暇を潰す。気づけば教室内には生徒が揃い始め、もう一人の友人が顔を覗かせる。


「二人共おはよう!今日も早いな、感心だ」

「おはよう、リンちゃん」

「また朝から稽古か?ほんと、お疲れ様だなリンカ」


 口調がどうも堅苦しいこいつは大神凛花おおがみりんか。今どき珍しい文武両道かつ大和撫子然としたポニーテールの美少女で、やや厨二病だ。実家は道場をやっていて、幼い頃から剣道などを修めている。怒るとかなり怖いそうで、中学の時はかなり噂になっていた。まぁ俺は怒り心頭な所なんて見た事ないんだが。


 彼女も苗字に『神』の字があり俺は勝手に縁を感じていたのだが、彼女も同じ思いだったらしく自然と話すようになった。俺と結依はテスト期間が近づくと彼女に勉強の面倒を見てもらっており、日頃から頼りにしている。


「なるほど、今朝は魔法使いの妄想をしていたようだな、雪兎」

「…何でわかるんだよ、おかしいぞ」

「おかしくないよ、僕もユキ君の顔を見れば妄想していることくらいはわかるからね」


 それはおかしくない根拠として、成立しないと思うんだが。


「はぁ…もういいや、美人に見つめられると調子が狂う」

「ふむ…そうか私は美人か、ありがとう」

「その通りだけどそうじゃない」


すると、結依が不貞腐れたように耳元で囁く。


「僕には可愛いって言ってくれないのかい?」

「それはもう言っただろ!」


 これ以上は危険だと判断し、切り替えて話題を逸らす。結依は中学の時から隙あらば俺を誘惑して揶揄う悪癖があり、顔が良いせいで本当に口説かれているのではないかと勘違いしてしまうのだ。このままでは新たな扉を開いてしまうぞ。


 三人で話し込んでいると、教室にはもうクラスメイト全員が揃ったようで、時間になり担任教師が入室する。


「席に着いてください、ホームルームを始めますよ!」


 その後、大して興味のない連絡事項が終わり挨拶も済ませ、授業の準備を始めた頃————それが始まった。


 突然の停電により困惑し、辺りを見渡す。その後、身体を苛む強烈な違和感と共に生じる天地を揺るがすほどの激しい地震。周囲から悲鳴が飛び交う。窓ガラスが割れ、破片の一部が頬を掠めた痛みで我に返ったが状況を理解するよりも先に眩暈に襲われ、不意に正体不明の声が何処かから響き渡る。


『…聞こえているか?私は、そうだな…神様とでも呼んでくれ。名は別にあるが、知る必要はないだろう』


 神を自称し、各宗教に喧嘩を売る何者かが語り始める。変声機でも使っているのか、声だけでは男なのか女なのか判然としない。


『どうやら人類はこの世界、地球での生活を退屈に感じる者が多いらしい、だから私は創り変えることにした』


 理解が追い付かず、ただその声を聞き続けることしかできなかった。


『君達が望んでいた剣と魔法のファンタジー世界を私なりに再現した、魔物が蔓延る命の軽い世界に…けれど安心して欲しい』


 声の主は続けて、にわかには信じ難い事を言い放つ。


『既に君達には素質や才能に合わせて戦う力を与えた、あとは好きにすると良い。それから、力の影響で肉体が変異した者もいるが気にするな、多少種族が変わるだけで生命活動に支障は無い。まぁ肉体が耐えられず、いなければ…だがな』


 その声が告げた内容はまるで他人事だ。楽しんでいる節もあり、例えようのない不快感が内から込み上げてくる。


『魔物化した者を除き、元の種族から離れるほど強力な力を手に入れる。当然例外もあるが、知識として気に留めておけ』


 眩暈が治まり身体の違和感も無くなり始めた頃、忘れていたとばかりに謎の声が告げる。


『そうそう…君達の文明の一部を制限させてもらった。特別な力を手にしたのだから、現代の科学技術で戦うなんて野暮なことは極力しないで欲しい。せっかくのファンタジーだ、楽しんでくれ』


戦うって何と…魔物と?


 謎の声が脳内に直接語りかけてくるという今までに経験したことのない現象は、俺にとっては確かに刺激的な出来事ではあった。しかし正常に事態を飲み込めず、困惑するばかりのこの現状は、ただ戦慄し恐怖や不安を煽るだけだった。



『それでは…ようこそ、"新世界"へ——君達の冒険は始まった』

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