ファンファーレ

住吉スミヨシ

1. 千嘉

 子供の頃から絵を描くのが好きだった。

近所の河原にチョーク石がたくさん落ちていて、毎日それを拾って地面や塀によく描いた。トンボの目、葉っぱの筋、ヤカンの水滴……全体ではなく部位をクローズアップして描くのが好きだった。


 ある日、庭に咲いていた沈丁花じんちょうげを描こうとした。しかし花の色が手元にある色鉛筆の色と全く違うので「この花の色がほしい」と親にねだった。


「ピンクと白を混ぜながら描くといいよ」


言われた通りにやってみたものの、見ている花の色にはならず、むしろ白を入れるほど求めていた色からどんどん遠ざかっていき、嫌になって描くのをやめた。


 中学で美術部に入り、抽象画を描くようになると賞を獲るようになった。両親がすごく喜んで「将来、絵の道に進むのもありなんじゃないか?」と突然美術館に連れ回されるようになった。それまで絵なんて全然興味なさそうだったのに。


 絵を描くのが好きだ。描かずにはいられないくらい好きだ。でも描きたい色が、全然出せない。苦しくて苦しくて、絶望しながら吐き落としたクソのような絵を、周囲は評価しもっと描けと言ってくる。なんだこれは。地獄か。


 そんな息苦しさを抱えたまま迎えた、中学の終わり。家族旅行中に立ち寄った東京の絵画材料専門店で衝撃を受けた。淡い照明の中で壁一面に並ぶ色の洪水。地元の文具屋では見たこともない、繊細な色がひしめいていた。


 カプトモルツゥム、テールベルト、ポッターズピンク……自力では作れなかった沈丁花のあの色を見つけた時、目の奥から手元へ世界が広がっていくような感覚に打ち震えた。


 同日、駅ビル内の催場で『光を当てると色彩が変わる』というアート展示をやっていて、その出会いも大きかったと思う。


 ああ、これだ。と思った。

絵の具の種類を増やし、光の強弱を意識して描けば、自分の見ている世界が再現できるのかもしれない。初めてこの世界に救われた気がした。


 それから絵で食っていくことを目指し、美術学科のある高校に進学した。クラスメイトはみんな当たり前に絵が好きで、それぞれ絵に関わる夢を抱いていた。友人のたけるの夢は「ゲルニカくらいでかい絵を描く」だった。自分は夢という程ではなかったが「細部の細部まで色の世界を追求したい」という願望を語った。


「チカの絵って色がめちゃくちゃ綺麗で、しかも独特な構図でいいよな。おれ、チカの絵好きなんだ。お前はきっとプロになれるよ」


 たけるはいつも屈託ない笑顔で自分の絵を褒めてくれた。今まで他人に褒められても何も感じなかったが、たけるに褒められるのは素直に嬉しかった。自分もたけるの描く絵が好きだったからかも知れない。


「たけるの絵も迫力があっていいよな。いつも白と黒だけど色は使わないの?」


 たけるは少し言葉を詰まらせ、気まずそうな表情で呟いた。


「……金がかかるからな。一回色を使うと欲が出ちまう。うち父親の体調が良くなくてさ。最近仕事も辞めたんだ。だから、おれは大学の進学も厳しいかもしれん」


 たけるは笑って、透明な水で黒い筆を洗った。


 絵は金がかかる。その頃はあまり意識したことがなかった。金のことは、あまり語らない親だった。

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