実はリョナい、ソロ冒険者のダンジョン攻略 ―語られないはずの冒険譚―

病葉

第1章 《毒を秘める魔女見習い》フェリナ――胞子の海に沈む

 朝の迷宮都市リュミナスは、まだ眠気を引きずっていた。

 王都直轄の役人たちが行き来する貴族街では、たぶん上品なハーブティーの香りでも漂っているのだろうが、《迷宮口》に近い下層区画で鼻を満たすのは、まったく別の匂いばかりだ。

 昨夜の安酒が乾きかけた酸っぱい香り。

 屋台の串焼きから垂れた脂が、石畳の隙間で冷え固まったにおい。

 生ゴミと魔獣肉が仲良く同居している裏路地の湿った風。

 いろいろ混ざり合って、リュミナス下層区画独特の、そこそこ元気でそこそこ不健康な朝ができあがっている。

 その雑多な空気を、ひとりで切り裂く影があった。

 黒いローブをまとった少女だった。

 といっても、ローブの中身は、闇とは正反対に近い。

 フードの隙間からのぞく頭には、淡い蜂蜜色の髪。 陽を浴びる機会が少ないらしく、透明感を含んだ色合いで、肩のあたりでさらりと揺れている。湿った朝の空気を吸って、数本が気ままに跳ねていた。

 額から顎へ描かれる滑らかな輪郭とは裏腹に、目元の影だけが鋭く締まり、貧しさの中で培われた警戒心を目尻へと宿している。。

 瞳は紫がかった灰色。

 まっすぐ瞳を向けられると、たいていの人間は心の中を見透かされた気分になり、慌てて視線をそらした。

 下層区画の連中は、もう慣れている。あの目の奥には、誰に向けたものかもわからない苛立ちと、世界へ毒を吐くような荒んだ光が宿っていると知っていたからだ。

 肌は、あざとさすら感じさせるほど白い。腕や足首が動くたび、黒い衣の隙間から刃のように走る白がのぞき、周囲の視線を無意識のうちにさらってしまう。

 少女の名はフェリナ。

 別名、毒を秘める魔女見習い。

 「毒」とつくのは、貧しい暮らしの中で世界の不公平ばかりを見せつけられてきたせいで、彼女の言葉も薄い毒気が滲むから。

 「見習い」とつくのは、師匠が蒸発して初級魔法と独学の術しか手元に残らなかったから。そして、財布の中身も「見習い」の二文字が似合う程度に心許ない。

 魔力を帯びたローブは古く、ところどころ継ぎはぎが目立つ。

 師匠から譲り受けたそれは装飾もほとんどなく、襟も袖も実用一点張りだ。

 胸元には小さな護符が一枚。

 細い腰に巻いたベルトには、薬瓶を収めた細長いポーチと、乾いた固いパンや干し肉、小さな水袋や予備の薬剤を押し込んだ腰袋がぶら下がっている。歩くたび、白い肌と黒い布の隙間がかすかに覗き、そのたびにガラスと金具が控えめな音を立てた。

 さらにその上から、今日の稼ぎを詰め込む予定の採取用の革袋が二つ、左右の肩へ斜めにかかっている。中身は装備品の防塵マスクとゴーグルを除けば空っぽで、肩への重みもまだ気にならない。


(帰り道には、足取りが変わるくらい膨らんでればいいんだけど)


 フェリナは、自分の姿を、街角の曇った窓ガラスで確認した。

 鏡代わりに使うには、煤が多すぎる。けれど、輪郭とか目つきとか、おおまかにならわかる。


「……今日も貧乏顔」


 彼女は両手の人差し指をそえて、そっと自分の唇の端を持ち上げた。笑おうとしているのか、自嘲しているのか、自分でもわからない表情だった。

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