第3話 第2781勇者物語ライン

 タブレットの画面が、ゆっくりと光を増していく。


 雨宮の指が滑るたび、ホログラムの線が組み替えられ、ひとつの図が立ち上がった。円や四角や矢印が入り乱れたそれは、フローチャートと時系列と、誰かの人生を全部まとめて可視化したような図だった。


「――これが、第2781勇者物語ラインの全体像」


 雨宮は、すこし誇らしげに言う。


「全部、ではないけどね。監査官補に見せていい範囲、ってやつ」


 タブレットを渡される。画面に指をそっと触れると、線の束が少しだけ震えた。


 そこには、はっきりとこう書かれていた。


『主人公:リアム・グランツ(アルシオン王国・田舎村在住)

 職業:鍛冶屋見習い

 年齢:十五

 属性:火/金属加工』


『主要登場人物:

 ミナ・ホルン(幼馴染ヒロイン・回復魔法素質あり)

 村人たち(略)』


 その下に、イベントログ一覧。


『イベント001:村の日常

 ――平凡な日々。鍛冶屋での仕事、ミナとの何気ない会話。読者好感度上昇フェーズ』


『イベント002:魔物の前兆

 ――森の異変、魔物出現頻度増加。緊張感導入フェーズ』


『イベント003:村焼き

 ――魔物大群襲撃。村、壊滅的被害』


『イベント004:幼馴染ヒロイン・ミナ死亡

 ――リアムの目の前で、ミナ死亡。絶望フェーズ』


『イベント005:決意と旅立ち

 ――リアム、勇者として旅立つ決意を固める』


 そこまで読んだところで、指が止まった。


「……ストレートに書きますね」


「ログはシンプルが一番だからね。修飾は後で物語エンジンが勝手につけてくれる」


 雨宮は、タブレットの別の場所を指さした。


「ここ、色が違うの分かる?」


 イベント003と004の文字が、ほんの少しだけ赤みが強い。


「『確定イベント』と『可変イベント』の違い? さっき言ってましたよね」


「そう。第2781ラインの場合――」


 雨宮は拡大ズームをかける。線がぐっと近づき、細かい注釈が読めるようになった。


『イベント003:村焼き(確定イベント)

 ――この世界線の物語構造上、初期の大きな『試練』として必須。

 ※これを除去するとNIT(物語一貫性閾値)を超える崩壊リスクあり』


『イベント004:幼馴染ヒロイン・ミナ死亡(可変イベント)

 ――高RSIテンプレ。悲劇度:8/10

 ※『重傷』『行方不明』などへの強度調整は理論上可能』


「……なるほど」


 村焼きそのものは、取り除けない。けれど、その中で誰がどの程度傷つくかは、まだ動かせる。


 監査官の余地は、そこにある。


「ちなみに、今のまま進めるとどうなるんですか」


 俺はスクロールを続ける。


『イベント006:闇堕ち一歩手前の怒り

 ――リアム、魔物と魔王軍への復讐心を強く抱く。読者の共感・カタルシス期待値高』


『イベント007:師匠との出会い(老練な剣士)

 ――復讐心を抱えたまま強さを求めるリアムに、剣技と『怒りの制御』を教える存在』


『イベント008:パーティ結成

 ――旅の途中で仲間たちと出会い、魔王討伐の旅に出る』


 テンプレのオンパレードだ。


 村焼き。幼馴染死亡。復讐心。師匠。パーティ結成。


 今まで読んできたファンタジー小説やゲームの冒頭が、ひとつの『ライン』として整理されている。


 そして、そこには『死ぬべき人』として、ミナの名前が印字されている。


「これ、読者満足度ってどのくらいなんでしたっけ」


「さっき言った通り、シミュレーションRSIで七二点。実績値も同じくらい。過去に似たラインが山ほど走ってるから、統計はそれなりに正確だよ」


 雨宮は、事務的に答える。


「村焼き→幼馴染死亡→復讐心→成長。このコンボは鉄板。泣かせて燃やして、読者の感情をガッと掴み、そこから先の旅に引っ張る。ある意味、一番コスパがいい起伏構成」


「コスパ」


「快楽曲線の話ね。リソース(犠牲・悲劇)に対して、得られる感情の揺れが大きい。だから量産されてきた」


 その説明自体は、理屈としてはよくわかる。


 問題は、『犠牲』に人間の名前が付いていることだ。


「……ミナは、死なないといけないんですか」


 自分でも驚くほど、声が少しだけ尖っていた。


「いけない、なんてことはない」


 雨宮は首を横に振る。


「ここはあくまで『高RSIを達成するひとつのパターン』にすぎない。変えようと思えば変えられる。悲劇度を下げても、別のところで盛り上がるように調整すればいい」


「じゃあ――」


「ただし」


 雨宮は、そこで言葉を切った。


「さっき見せたNIT、物語一貫性閾値って覚えてる?」


「世界が崩壊するライン、ですよね」


「そう。悲劇を極端に減らし続けると、物語が『起伏のない茶番』になるリスクが出る。読者は飽きて去る。ラインによっては、物語コアが『この世界線は打ち切りでいいや』って判断することもある」


 タブレットに、『物語コア強制終了』と書かれた真っ黒なログが一瞬映る。小さく『廃線』という文字も見えた。


「つまり、誰も死なない世界線は――」


「概ね、ウケない。少なくとも、このジャンルではね」


 雨宮はあっさりと言い切った。


「もちろん、『誰も死なない優しい物語』にもニッチな需要はあるよ。でも、今君が担当してるのは、『王道勇者ファンタジー』。ここでいきなり『誰も死なない』をやると、読者が求めてるものとズレてくる」


「読者が求めているから、誰かが死ぬんですか」


「厳密に言うと、『読者のある割合』ね。全員じゃない。でも、多数派」


 雨宮は肩をすくめた。


「君が今まで読んできた物語を思い出してみなよ。心に残ってる名作って、だいたい誰かが死んでない?」


 言われてみれば、そうかもしれない。


 少年漫画でも、ライトノベルでも、映画でも。クライマックスで誰かが死んで、自分の命を物語の燃料として差し出す。その犠牲のおかげで、主人公は前に進める。


 それは確かに、『ぐっとくる』瞬間だ。


 だからといって――。


「それを職業として量産してる、っていう自覚が、正直きついんですよ」


「きついと思うよ」


 雨宮はあっさり認めた。


「だからこそ、監査してるんだよ。何も考えずにテンプレ垂れ流してたら、もっとひどいことになる。悲劇が悲劇のふりして『消費される』ような未来ばっかり増える」


 彼女はタブレットの別のページを開く。


「見せたいものがある」


◇ ◇ ◇


 画面には、文章のテンプレートが表示されていた。


『物語倫理監査報告書(第27号様式)』


 一行目から、妙に具体的な項目が並ぶ。


『案件名:第2781勇者物語ライン・初期悲劇パート

 担当監査官補:神崎悠斗

 上席監査官:雨宮 綾(あまみや・りょう)』


「名前、もう入ってるんですけど」


「さっき採用手続きのときに登録したからね。便利でしょ?」


 便利かどうかの判断は保留したい。


 項目は続く。


『1. 当該物語ラインにおける初期悲劇の概要

 2. 登場人物への影響評価

 3. 読者満足度指標(RSI)への寄与

 4. 代替案および強度調整案

 5. 補正悲劇リスク評価

 6. 総合所見』


「監査官の仕事は、数字を見ることじゃない。『物語の犠牲』がどこに発生していて、それが本当に必要なものかどうかを、言葉にして残すこと」


 雨宮の声が、すこしだけ真面目になる。


「ただ流れていく物語の中で、誰が、どこで、なぜ死んだのか。なぜ別の選択肢を取らなかったのか。そこに『説明責任』を求める役割。私は、そう思ってる」


「説明責任、ですか」


「君たちの世界の会計監査も、そうでしょ? 不正がないことを保証するだけじゃなくて、『ここにリスクがある』ってサインを出す仕事」


 たしかに、そう教えられてきた。


 数字が正しいだけでは、不十分だ。その数字の裏で何が起きているのか、どんなリスクが潜んでいるのか。それを『見える化』し、必要があれば止める。


 ここで求められているのも、似たようなことなのかもしれない。


 ただし、対象が決算書ではなく、『物語』になっただけで。


「……わかりました」


 俺は小さく息を吐いて、画面に視線を戻した。


「まずは、この『幼馴染死亡』が本当に必要なのか、見極めます。村焼きは確定でも、その中で誰がどんな死に方をするのかは、まだ可変なんですよね」


「そう。そこが君の裁量範囲」


「それから、できれば――」


 口に出してから、自分が何を言っているのかに気づいた。


 けれど、一度言葉は動き始めると止まらなかった。


「できれば、死なせたくないです。少なくとも、『死なせてもいい』と思える理由を、自分で納得できない限りは」


 沈黙が、数秒。


 雨宮は、ふっと笑った。


「いいね。そういう監査官、嫌いじゃないよ」


 彼女は、タブレットの角を指で軽く叩いた。


「じゃあ、具体的な作業に入ろうか。ログを頭に入れつつ、どのイベントをどういじれるか、当たりをつける。さっきも言ったけど、村焼き自体は確定。でも、被害規模の調整や、個々の生死のラインはまだ動かせる」


「行方不明、重傷、タイミングのずらし……」


「そう。それから、君にはもうひとつ、武器がある」


 雨宮は、画面の上部にある小さなアイコンをタップした。


 そこには、『アバター降下』と書かれている。


「ログだけじゃなくて、実際に現場に降りて、登場人物たちに会ってくること」


 アイコンの横に、選択肢が表示される。


『アバター職種選択:

 村人(農民)

 村人(雑貨屋)

 旅の商人

 神官見習い

 その他(カスタム)』


「君が現場で何者として存在するかは、ある程度選べる。今回は初案件だから、あまり目立たないモブポジションがおすすめ。村の雑貨屋とかね」


「いきなり勇者の師匠とかは、ダメなんですか」


「やってやれないことはないけど、物語への介入度が高すぎる。新人に渡すには危険。あと、読者的にも『都合いい師匠』が出てきた感が増して、RSIが下がる可能性がある」


 そこまで考えてるのか、このシステム。


「モブとして入り込んで、でも監査官としての視点も持って、どこでブレーキをかけるかを決める。それが、君の仕事」


 雨宮はゆっくりと言った。


「覚悟は、できてる?」


 できているか、と聞かれれば――自信はない。


 それでも、タブレットを握る手に、少しだけ力を込める。


「……やるしかないんでしょう、どうせ」


「うん。そういうのを『覚悟』って言うんだよ、多分」


 雨宮は笑い、立ち上がった。


「じゃ、アバターの設定やろっか。アルシオン王国・某田舎村の『雑貨屋の兄ちゃん』としてのプロフィール、考えないとね。年齢、口調、得意なこと、苦手なこと」


「苦手なことは、『人を物語のために死なせること』でお願いします」


「そこは監査官補としてのスキルアップ課題だね」


 そんなやり取りをしながらも、画面の片隅では、『幼馴染死亡』の文字が、相変わらず赤く光っている。


 その赤に、どこまで黒い線を引けるのか。


 それが、俺の最初の案件であり――この世界での最初の『監査』だった。

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