6 話し合い


 小さな子どもが、腰みのをつけ釣り竿を背負った青年に話しかける。


「ねー。にーちゃん」

「どうした、三郎太」

「今日も魚釣り?」

「ああ。どうせ釣れないけどな。ほしい魚があるのか?」

「ううん、それは期待してないけど……じつはね、海のほうでおっきな亀がいてね。あの悪ガキ衆がいじめてたんだ。でも、僕、止められなくって……」

「そうか。あいつら懲りねえな。――まだいじめてたら俺が止めてくるよ。なに、三郎太は心配するこたない」

「でもにーちゃんじゃ、ちょっと頼りないかも……」

「ははは。さすがの俺も、あいつらだったら体格差で勝てるだろ」


 そう言って、青年が子どもの頭を安心させるようになでる。そうして海へ出かけていった。


 青年は釣りが好きだった。いや、海が好きなのだろう。魚を取れずとも構わないと、海を眺めてばかりいたから。


 そうして家を出た青年はしかし、夜になっても、次の日になっても、次の満月がやってきても、家に戻ってはこなかった。

 砂浜には、青年愛用の釣り具が残されていた。それを見た村のものは、青年は暮らしが嫌になって家を出ていっただとか、海でおぼれちまったのだとか、好き勝手なことを言う。


「海が好きなにーちゃんが海で死ぬもんか」


 村人たちを前に、子どもは宣言した。


「にーちゃんは、帰ってくるよ。僕は待ってる、ずっと」


 いつしか子どもは、夜になると砂浜を一周するのが日課になっていた。青年がいつ帰ってきてもいいように、ずっと待っていた。

 そうして、本当に長い月日が経った――。


 

 浦島は上ずった声で、老人に問いかける。 


「三郎太なのか? 本当に?」

「そうだよ」


 浦島も椅子を降りて、しゃがみこむ老人――三郎太と視線の高さを合わせる。信じられない思いで、老人の頬を両手で挟んだ。


「こんな、じいさんになっちまって……」


 しわのある肌は、彼が生きてきた年月を思わせる。ただの通りすがりの人間を救おうとする気概や、年齢相応の落ち着きや振る舞い方は、彼がどう生きて来たのかを浦島の目に如実に映し出していた。彼の持つそれらはすべて、若いままの浦島がまだ得ていないものだ。


 二度と会えないと思った弟の存在を確かめるように、三郎の顔をべたべたと手で触れる。


「逆に、にーちゃんは……一回、手ぇ、はなして」

「すまん」


 三郎太の頬をつねっていた手を離す。次いで自分の頬をつねった。痛い。


「痛い……じゃあ、これは夢じゃないのか?」


 痛みだけじゃない刺激で、浦島の瞳がうるむ。


「あー、いたかった……ねえ、にーちゃんは、なんで若いにーちゃんのままなの?」


 三郎太は、浦島と再会したことで気持ちが高ぶっているのか、先ほどまでの老人然とした話し方が崩れていた。老人の見た目の三郎太の背後に、幼かった弟の影を見る。


「だから、それは竜宮城にいてだな……何でかこのままでな……」


 しどろもどろになった浦島を、三郎太がじとっとした目で見つめる。


「なんだその言い訳は! なんだよ、本当のこと言ったって怒んないよ! 家で仕事するの嫌になって出て行ったんだろ?!」

「はあ?!」


 あんまりな勘違いに、思わず浦島も声を張り上げる。


「それは違う! それに、竜宮城の話も本当なんだよ!」

「なんだとお!」


 取っ組み合いの喧嘩になりそうな勢いでお互い声を上げたが、ふたりはもう、小さな子供ではなかった。

 ひと呼吸分の時間をあけるだけで、お互いに今すべきことを確認する。


「……もう少し、詳しく話を聞かせてほしい」

「おう、よく聞け三郎太」


 それから、浦島は語り始めた。合間合間、奇跡的に再会できたことに思いが高まり言葉が詰まることはあったものの、浦島は話を止めなかった。行きずりの老人相手ではなく、血のつながった弟への精一杯の誠意で、先ほどよりも詳細に浦島の身に起こった出来事を語った。


「ふうん……本当に海の中でね……」

「まだ信じてくれないのか? ほら、この箱だってそこでもらったんだ」


 浦島が自分の持つ玉手箱を見せる。三郎太が、箱の価値を推し量るようにじっと玉手箱を見つめ、表面を触った。


「見たことがない素材だ……。にーちゃんが海で開けようとしていたものだね」


 三郎太は浦島と目を合わせると、苦笑した。


「さっきの浜辺で、にーちゃんが余りに深刻そうな雰囲気をまとっていたから、毒とか危ないものでも吸って死のうとしているのかと思ったんだよ」

「いや、毒では……」


 浦島は否定しようとしたが、蓋を開けようとしたときの煙が頭をよぎる。あの正体は浦島もわからない。


「……あの姫さんが、そんなものを託すかな」

 結果、変な間が生まれてしまった。三郎太がいぶかし気に首をひねる。


「そう? 僕には、そのお姫様がにーちゃんをどうしていたのか知る由もないけど、海と陸の時間の流れを理解したうえで引き留めてたんじゃない? そうだとしたら、僕はその人のこと許せない。だってこっちでは、七十年経ってるんだよ? 説明もなく、にーちゃんをそんな目に合わせたんだ」


 三郎太が憤慨している。それは現状わかっていることを踏まえればもっともな怒りだ。浦島は彼から視線をそらした。

 ただ浦島は、それでも、乙姫がそんなことをするとは思えなかった。海の世界を直接見た浦島にしかわからない感覚でもあった。


「……海には海の理屈がある。だから、知識として知っていたとしても、彼女が悪意をもってそうしたとは、思わない」


 言い切ったところで、言葉尻がしぼんでいく。


「うまく、言えないんだが……」


 手持ち無沙汰に、もうずいぶん前に空になった酒の器を持つ。


「ふーん」


 浦島の態度から何を察したのか、三郎太は少し意地悪気に口角をあげ、確信を持った声で言い放った。


「にーちゃん、その人に惚れちゃったんだ」


 浦島は、手に持っていた酒の器をあやうく滑り落とすところだった。慌てて机の上に器を置く。


「いやっ、それはな、その」


 慌てふためくもそれ以上言葉が続かない浦島にたいして、三郎太はおよよ、と泣くそぶりを見せる。


「釣りの最中海に落ちたのか、人買いにさらわれたのか、家が嫌になったのか、僕らずいぶん心配したのに……」

「すまん、本当に、すまない」


 浦島は何度目かの謝罪を口にして、できる限りの頭を下げた。

 そんな浦島の反応に、三郎太は軽快な笑い声をあげた。


「ま、今のはちょっといじわるだったね。……お姫様のことはわからないけど、これまでのにーちゃんは、孤独に生きていたわけじゃなかったんだね? それなら僕も、父さんたちも恨み言は言わないよ。絶対に」


 裕福とは言えなくても、浦島家は明るく生きていこうとふんばることができる家だった。そんな人たちだと浦島もよく知っているから、三郎太の言いたいことの意味がよくわかる。


 ただ、それで己が勝手に家を離れたことの罪悪感が薄れるわけではなかった。


「三郎太……」

「じゃあ今度は、陸の話をしようか」

「……たのむ」


 三郎太はそうして、浦島のいなかった間のことを教えてくれた。

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