4 制止

「な、なんだ」


 浦島は唐突に声を掛けられ、戸惑った。


「な、なんだも何もない……!」


 浦島が玉手箱を開けるのを阻止した老人は、息を整えるのも惜しいとばかりに言葉を続けた。その細腕のどこにあるのか強い力で、浦島の両肩をつかみ、言い聞かせるように訴える。


「若いもん、そんな、思いつめるな……! まずは、わしの話を、聞いてくれ。夜の海辺にいて、考え込みすぎると、悲観的な思いになることもあるだろうが、それでもこんな場所で……聞いておるか? いや、言葉が伝わってないか……?」


 息を切らしてとぎれとぎれだが、浦島にはこの老人が言いたいことははっきりとわかった。

 昼間の人間たちとは違い、老人の言葉は浦島には問題なく聞き取れた。浦島はそれに安堵を覚えた。

 知らない世界だと感じた不安感がうっすらと和らいでいくのと同時に、先ほどまで胸にあふれていた乙姫やかめ吉たちに抱いた怒りと諦念も、しぼんでいくのがわかる。


 老人がまっすぐに浦島の目をのぞき込んだ。


「おぬし、死ぬ気じゃ、ないだろうな?」


(ああ、道理で)


 真剣な瞳だ。老人の慌て具合に、浦島は合点がいった。浦島が、海のそばで思いつめた空気をまとっているから、この老人は浦島の身を案じたのだろう。


 確かに、玉手箱を開けようとした瞬間、浦島の心が死をも恐れない覚悟だったことを考えれば、老人の心配は当たらずとも遠からずだろう。しかし浦島はそんな素振りは見せないで、老人を安心させようと彼の背に手をやる。


「死ぬつもりはない。じいさん、大丈夫か」

「お、おう。通じるか。ありがとうな。わしの思い過ごじゃったか」

「ああ、そんなところだ」


 長く海で過ごしていたせいか、陸での話し方にかすかな違和感を感じる。それでも浦島はゆっくりと、老人に言葉を返した。


「心配させてわるかったな」

「……」

「……じいさん、どうした?」


 老人からの反応がないことを不思議に思った浦島が、再度問いかける。

 ぼうっとしていた老人は浦島の声にはっとした様子を見せる。気持ちを落ち着かせたあと、ゆっくりとかぶりを振った。


「い、いやすまん。おぬしが少し、知り合いに似ているような気がしただけじゃ……」


 浦島に笑いかけた老人の口からのぞいた歯は少し欠けていた。


「そうか」


 浦島も、老人の姿が興味深く、彼を眺めた。

 故郷では見ない服なのは、日中に見た人間たちと変わらない。ただ、老人の着ているものが特に高価な服なのは間違いない。窮屈そうな衣服に身を包んだ老人は、貴族なのだろうか。


(それも気になるところではあるが)


 浦島は、この老人にどこか懐かしさを覚えていた。特に、老人が口元を見ると、浦島の中にある記憶がくすぐられる。浦島が覚えていないだけで、この老人と……もしくは少年だった彼と、昔会ったことがあるのだろうか。

 ぼんやりとした遠い記憶の中で、誰かが笑っている。

 その記憶を掘り返す前に、息を整え終わった老人が再度浦島に問いかける。


「それで、おぬしはどうしてこんなところにいる? ここは穏やかな海だが、夜に近づくのは感心しないぞ」

「実は……」


 浦島は、老人への懐かしさから思わず事情を話しそうになったが、踏みとどまった。


(話したとして、信じてもらえるわけがない)


 竜宮城で過ごしていたなどといえば、何を夢物語を、と笑われること必至だった。浦島ですら、あそこでの出来事は夢だったのではないかと思いたいのだから。


「いや、いい。どうせ信じられないだろう」


 浦島は、少しだけひとを頼ることがおっくうになっていた。


「言いかけておいて、話を切るんじゃない。さあ、言ってみなさい」


 老人に再度促されるも、浦島は口を開く勇気が出ない。老人の目がまっすぐ浦島を見つめている。瞳に反射した浦島は、迷子になった子どものような顔をしていた。


「いいんだ、本当に」


 行く当てもないのにこの場から逃げ出そうと体の向きを変えた浦島を、老人は腕をつかんで引き止めた。


「ほれ、どこへ行く。教えなされ、このままじゃ気になって、今際の際でも死にきれなくなるだろう」

「しかし……」


 長い人生のうちのたった一晩、それも一瞬すれ違っただけの浦島を、老人が気にする理由はないだろう。

 浦島がそういう前に、老人が強引に浦島を連れてどこかへ向かおうとする。


「近くにわしが借りてるホテルがある。そこで酒でも飲みながら、話を聞かせてもらおうじゃないか」

「あっ、おい! ちょ、じいさん力強いな」

「さあさあ」

「わかった、わかったよ」


 浦島は老人の勢いに負け、引きずられるように浜を歩きだす。


「あ、待ってくれ……」

「忘れ物か?」

「まあ、な」


 浦島は、砂浜放り出したままだった玉手箱を拾い上げた。箱にかぶった砂をはらう。

 あれほど憎らしかったはずなのに、いまの浦島は、この玉手箱を手放そうと思えなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る