2 懐古

「よっこらせ」


 台車というものを持ってきた浦島は、それにかめ吉を乗せて移動をはじめた。


「俺の背に乗せてやれればいいんだが、なにぶんあんたは甲羅の大きな亀だ。家に着くまでに落っことしちまってはいけないもんな」


 と浦島は笑っていた。


 しかし、浦島としては台車という手段は好ましくなかった。

 台車が動いている間、ごろごろとした音とともにかめ吉の体に振動が響くのだ。上からは強い日差しが照り付けていて、かめ吉は上からも下からも責め苦を味わっていた。


(なんと居心地の悪い……)


 かめ吉は内心、陸の移動手段を嘆いた。

 揺れに耐えつつ、木々の間を抜けていく。そうして浦島に案内されたのは、砂浜から外れた場所にある浦島の住処だった。

 かめ吉は、住処の扉を開けた先にあった部屋にまで運ばれた。


「立派な家だな」

「そうか? これでも人間にとってはかなり狭い家なんだが……あの子どもらには小屋だと言われるし……まあ、独り身の俺には充分だろうと借りてるんだ。客人をもてなすにはちとせまいんだが……」


 かめ吉は、台車の上から見える範囲で小屋の中を見渡す。海の中とは全く違うが、これが浦島にとっては快適な住処なのだろう。


「なに、そんな風に言うが、亀の一匹や二匹は大丈夫だろう?」

「かめ吉だからなあ、どうだかな」


 浦島はそう言うものの、やはり人間が使っているものだ。大きな問題はないだろう。


「どこで話すか。居間に通すにしても、床でいいだろうか」

「十分だ」


 かめ吉が了承すると、浦島は小屋の中から布切れをとってきた。


「足だけ失礼するぜ。家の中が砂だらけになっちまうから」

「あいわかった」


 浦島が丁寧にかめ吉の足裏を布でふいた。

 人相は悪く口調もぶっきらぼうなやつだが、かつてかめ吉を子どもから助けたように、浦島は面倒見はいい男だった。

 それからかめ吉は、居間だという空間に体を下ろされた。


「海水を汲んできたが、ほかに何かいるか? 一応客人用になる、いい茶葉はあるんだが、亀の身には悪いかもしれないよな」

「水でいい。いただこう」

「じゃあこれで」


 海水を満たした器がかめ吉の前に差し出される。

 浦島は「少し待ってくれ」とその場を後にした。


 その間に、かめ吉は部屋の中に視線を走らせた。

 かめ吉にとっては、小屋の中のものすべてが興味深い。海の下では長く生きている亀でも、人間のことについては無知に近かった。

 家主のいぬ間にきょろきょろとあたりを見渡していると、居間の片隅に目がいった。

 黒くつやのあるそれは、浦島がちょうど腕に抱えられそうな大きさの箱だった。かめ吉は目を細め、その輪郭を確かめる様に見つめる。


(あれは……)


 独特な光沢感から、かめ吉はあの箱の正体に当たりがついた。ひもで縛られており、遠目で見たところで考えるなら、一度も開けられたことはないのかもしれない。

 しかし、かめ吉はそれからすぐに視線をそらした。


「待たせたな」


 そうこうしているうちに、浦島が戻ってきた。用意した茶を手に、かめ吉の正面に腰を下ろす。


「俺だけ湯呑ですまないな、熱いものを入れられる容器がこれしかないんだ」

「気にするな」


 かめ吉は、自身の前に置かれた平べったい器から海の水に口をつける。

 対面の、器から湯気の出るそれをうまそうに飲む浦島に、ふと思い出したことがあった。


「そういえばお前さん、今の名は浦島じゃないのか?」


 先ほど、砂浜で子どもが浦島を呼んでいた名は、かめ吉が知らぬ名だった。


「たしかシンカイと呼ばれていたな」

「まあな。人間の世も面倒なところがあってな……。適当にころころと、名乗る名を変えて生きている。浦島と呼ばれたのは久しぶりだ」

「そうか」

「かめ吉は浦島でいいぜ、どうせ他の名が馴染むほどには滞在しないだろ?」

「そうだな。今日には帰る」

「それは、気が早いな」


 かめ吉の目的は、浦島に再会したことで大きく前進した。

 かめ吉は彼の言う通り、目の前の青年をかつてと変わらず浦島と呼ぶこととした。


「ま、帰るまではうちでゆっくりしていきな」

「あいわかった」


 それからふたりは、ぽつぽつと言葉を交わした。

 浦島はいま夜に仕事をしていること、今日はかめ吉の件で子どもに起こされたが昼間は寝てること、たまに歌を歌うこと。

 かめ吉は竜宮城で起きたことを思い出せるだけ語った。浦島が竜宮城を訪れたときは、城には末娘の乙姫しかいなかったが、ここ百年はほかの子どもや乙姫の父である王もずっと滞在していることなども話した。

 浦島は、興味深そうにかめ吉の話を聞いていた。

 そしてやはり、同じときを過ごしたあの頃の話題になる。


「いやあ、あのときはありがとうな、浦島殿」

「前に散々礼は言われたんだ、もう充分だ」

「本当は浦島殿が帰るときも、私の甲羅に乗せていくはずだったんだがな? あの日にかぎって腹を痛めてしまっての。親族のかめ利に任せることになってしまったんだ。若いもんだったが、迷惑はかけなかったか?」

「そうだったのか。ああ、あいつの……かめ利の乗り心地も充分だった。あんたに似て大きな甲羅だったな、俺を楽々と運んでくれた。……少々道に迷ったが」

「おお……それはすまぬ」


 かめ利はおっちょこちょいなところがあることを、かめ吉は知っていた。あれほど大事な客人だ、粗相はするなと言い含めておいたのに。


「気風のいいやつだった。その迷子も、結果としては俺にとって都合がよかったからな」

「そうなのか?」

「こっちの話だ。だから、かめ吉が気にすることはない」


 お互い、気になることはもっとあるだろうに、確信に触れないままの会話が続く。しかしこうしてはいられない。

 浦島が湯のみに口をつけ、茶を飲み干したそのとき、かめ吉は意を決して口を開く。


「ところでな、浦島殿」

「おう」

「お前さん、どうして若いままなんだ?」


 浦島は、時が泊まったかのようにその場で動きを止めた。


「……」

「……」


 無言の時間が続く。

 じっと、かめ吉の真意を探る目つきをしていた浦島だが、じきにぽつりと言葉をこぼした。


「……今か」

「今だ」

「いや、触れるかどうか迷っているんだろうなとは思っていたんだが。長く生きる竜宮の民にとっても、俺の長寿は不可解か。……まいったなあ」


 さほど困っていなさそうな声色でごちた浦島は、ずずっと音を立てて茶をすすった。

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