十八本目:『夢』

「……え、」

「三人で、稽古がしたいんだよ。防具を着けて、一人が審判をして、代わりばんこで、思う存分、疲れ果てて道場に寝っ転がるまで。時間を忘れて、どこまでも……」


 八咲が自分の胸に手を当てて、心臓を掴むように拳を握った。切なそうに目を閉じて。微かに震えているように見えた。


「それも道場ではない。高校の部活で、だ。中学時代はあまり部活動ができなかったのでな。恥ずかしい話だが、そういう部活っぽさや青春っぽさに憧れがあるんだよ。その青春というものを──君たちと共に謳歌したかったのさ」

「なんで部活できなかったんだよ」


 一瞬だけ、八咲が目を細めた。何か心を固めるような表情だった。


「今ではほとんど回復しているが、幼少期から体調が優れない時期が続いていてな。思い切り剣道を楽しむことができなかったというところに、悔しさにも似た思いがあったんだ」


 胸に手を当てながら告白する八咲。確かにそれは、どうしようもないことだろう。


「そ、そうだったのか……」


 僕と刀哉といっしょに部活で稽古をすること──青春を謳歌すること。


 それが、八咲の『夢』。ありきたりな内容だった。当たり前で、どこにでもあるような、普遍的なものだった。確かに僕がトラウマを克服する必要はあるものの、特別な内容ではない。なのに、どうして、八咲はこんなにも──大事そうに語るのか。子どもが大事にしていた宝物を、見せるような。


「それだけじゃない。昔のことだ。君は忘れているが」


 続けて、八咲は語り出した。


「刀哉には既に言ってあるが、小さい頃、私は合同稽古で君たちを見ていた。さらには、短い期間ではあったが、一度会っているんだよ」


「え──」心臓が跳ねた。全く覚えていないからだ。


 しかし、やっぱり……出会った当初から抱いていた感覚は、間違ってなかったんだ。


「昔から体調が優れない時期が続いたと言ったろう? 幼少期は特にひどかった。しょっちゅう見学をしていた。もっと全力で剣道できたら楽しいだろうにな、ってずっと考えていたよ。しかし、そんな時だった。君たちの稽古があまりにも眩しく私の目に映ったんだ。キラキラと輝いていて、常に笑顔で、楽しそうで……」


 小学生の頃か。僕たちの『夢』の約束を交わす前で、同じ道場に通っていた頃。


「ハッキリ言って、当時は気に食わなかった。私は体が辛いのに、健康な体で楽しそうに剣道をしている君たちが、羨ましくて恨めしくて」


 だが、と八咲が胸に手を当てながら言葉を続ける。


「ある一件を境に考えが変わった。いつまでも希望を持って未来に突き進まんとする君たちが、私には持ち得なかった未来を教えてくれた──そのことに感謝しているんだ」


 八咲がぎゅっと自分の手を握り締めた。

 溢れ出す想いを、堪えるように。


 私は君に憧れている──かつて八咲はそう言った。あれは、こういう意味だったのか。


 僕の忘れてしまった記憶の中で、僕たち三人は、出会っている。

 そこで、僕は八咲に何かを伝えたのかもしれない。


「他の誰かじゃダメなんだ。霧崎 刀哉と、達桐 剣誠──私は、君たちと稽古がしたいんだ。あの時と同じ輝きを、感じさせてほしいんだ」


 八咲が僕の方に手を伸ばし、優しい笑顔を浮かべた。


「だから君が必要なんだよ。君じゃなきゃダメなのさ、どうしてもね」


 だから、八咲は僕にトラウマを克服してほしいと願うのか。刀哉を従えて、暴君となって剣道部に入り、先輩にも反抗しようとした。


 すべては、描いた『夢』のために。どこにでもあるような光景を、現実にするために。


 八咲は自分と刀哉の掲げた『夢』へ向かって、ただひたすら純粋に進んでいるだけだった。だから、部長に剣道部を辞めてくれと言われてすごすご引き下がった僕を説得しに来たんだ。そんな姿が、中学の頃の僕を見ているようで。


 刀哉と全国を懸けて戦うという約束を、何よりも大事に胸に抱きしめていた、僕。


「剣誠、沙耶の言っていることは本当だ。おまえのことをよく話してたからな。ある時沙耶が言ってくれたんだ。『私たち三人で稽古できたら、それはとても楽しいだろうな』、ってよ。まぁぶっちゃけ、俺も沙耶と会ったことがあったのをすっかり忘れてたんだけどさ」


 刀哉が恥ずかしそうに頭を掻きながら補足してくれる。


「いつ、だ」


 縋るように、僕は刀哉に這い寄る。


「僕たちは、八咲といつ出会った」



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