十七本目:君と、稽古がしたい


 次の日。部活を休んだ。連絡は誰にも入れなかった。八咲にも、刀哉にも話せなかった。


 当たり前だ。僕の都合でみんなに迷惑を掛けながら部に滞在していたんだ。なら、向こうの都合で退部してくれと言われても文句は言えない。


 二人に見つかる前にサッサと家に帰った。電気なんか点けない。手も洗わなければうがいもしない。制服の学ランも脱がずにベッドへ飛び込んだ。布団を被った。目を瞑った。布団という扉に鍵をかけて世界との関わりを断絶した。僕の努力なんて何の意味もなかった。世界は変わらない。現実は変わらない。誰かに認めてもらいたくて頑張っていたんじゃないけれど、もうやる気が削がれて竹刀を握ろうとすら思えない。


 ごめん刀哉、ごめん八咲、ごめんなさい先生。僕がいくら頑張ってもダメみたいだ。僕はもう、立ち上がることができない──。


 ピンポーン、と。僕の思考を遮って、無機質な呼び鈴が鳴った。……誰だろう。宅配便か。何か頼んでたか。家には僕一人だが、出る気にならない。


 無視を決め込んでいると、再度ピンポーンと鳴らされた。無視する。

 ピンポーン。無視する。ピンポーン。……無視。ピンポーン。……。ピンポーン。


 いや、しつこいな。宅配便じゃない、誰だ。舌を打って玄関に向かう。

 不審者だったらマズい。覗き穴からしつこいピンポン野郎を確認すると、


「……刀哉」


 どうしてここに? いや、確かに僕の家を知っているけど。部活はどうしたんだ。

 出るべきか迷っていると、再度呼び鈴を鳴らされる。僕が出るまでずっと鳴らし続けるつもりだろうか。そんなことをされたらこっちの頭がおかしくなる。


「……クソッ」意を決して鍵を開ける。瞬間、待ってましたと言わんばかりにドアが勢いよく開け放たれた。素早く割り込まれる。ドアを閉じれなくなった。


「よう、剣誠。昼寝の時間は終わりだ」


 竹刀袋を肩に掛けて、気さくに敬礼してくる刀哉。そして──、


「やぁ達桐。良い夢は見れたかね?」


 八咲。刀哉の脇からすり抜けるようにして玄関に君臨した。

 刀哉が沈む寸前の夕陽を背負っている。そして、出来た影の中で八咲が腕を組んで仁王立ちになる。


 眼光だけは嫌でも分かった。三白眼の鋭い目付きで僕を射抜く。怒っているような、憐れんでいるような、そんな読むことのできない目だった。


 しかし、八咲の目を見て、僕の思考はようやく状況に追いついた。二人の行動は、明らかにおかしい。


「……なんだよ、二人とも。部活はどうしたんだ」

「休んだ。部活なんかしている場合ではなかったからな」


 ハッキリと宣言する八咲。呆れて笑いしか出てこない。


「ははは……意味が分からない。どうしてここまで僕に関わってくるんだ」


 もう放っておいてくれ。そんな意思を込めて八咲から視線を外す。

 しかし、それでも八咲は玄関から下がろうとしなかった。僕の弱さからも、醜さからも決して目を逸らそうとはしなかった。


 僅かに目を覗かせれば、見える八咲の貌はまるですべてを受け入れると言わんばかりの表情をしていた。なんだ、なんなんだよコイツは。


 やめろ、やめてくれ。僕の世界はこの家だけでいい。広げないでくれ。ドアをこじ開けてまで、この世界から連れ出そうとしないでくれ──。


「私たちには、君が必要だからさ」

「だからなんでさ。刀哉はまだしも、八咲はこれまで僕となんの関わりもなかったじゃんか。君は私を信じろと言うが、どうやって君を信じたらいいのさ」


「……それは」八咲が珍しく言い淀んでいる。言いたくても言えない、そんな様子だ。

「剣誠、沙耶は」刀哉が八咲を庇うように前に出るが、八咲が「刀哉、いい」と遮った。

 そして、無言で僕に近付いてきたと思ったら。




 八咲が、ゆっくりと、ゆっくりと、僕を抱きしめた。




「──は?」


 その疑問は、八咲の抱擁の意味不明さもそうだが、そもそもどうして僕は彼女の動きを止めることができなかったのか。それに対する疑問も含まれていた。


 何故かは分からない。分からないけど、八咲を止めてはいけないと思った。

 心音が伝わってくる。とくん、とくん、と。小さくも確と、八咲の鼓動が伝わってくる。

 八咲は、僕の体だけではなく、僕の心まで包み込もうとしているようで──。


「……夢が、あるんだ」

 そんな状態のまま、八咲が、ぽつりと言葉を漏らした。


「他人からしたら小さくて他愛のない、くだらない夢かもしれないが、私にとっては……いや、私と刀哉にとっては、大事な夢なんだ」


 『夢』。確かに八咲はそう言った。かつて刀哉と僕が、約束し合った舞台を目指して稽古を続けていたように、八咲にも、『夢』が──。


「な、なんだよ、それは」


 八咲が抱擁を解く。数歩下がり、身だしなみを整えた。


「なんだよ、言えよ」


 刀哉が手をピクリと動かした。八咲を庇うべきか、迷いが見て取れた。

 やがて、歯を食いしばるような表情を見せて刀哉が手を下げたのと、同時。




「君と、稽古がしたい」




 八咲が、ぽつりとそう言った。




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