第2話 王太子

 声がした方を見る。

 ソファには、誰かが座っていた。金髪碧眼、この場にそぐわない真っ白な衣装。長い足を組み、ゆったりと紅茶のカップを手にしている。


「こんな部屋なら、当たり前かな」

「……シオン殿下?」


 そこにいたのは、この国の第一王子であるシオン・アークライトだった。

 王太子でもある彼は、国民から絶大な人気を誇る王子。誰にでも優しく、慈悲の心を持って接する。だからこそ、次期国王としても一目置かれている人だった。


「ご無礼を。申し訳ございません」

「僕が勝手に押しかけたのでね、構わないよ。どうぞ、座って」


 シオンは、優雅に目の前のソファを指した。

 王太子にそう言われてしまえば、逆らうことはできない。ミレアは、そっとソファに腰かけた。


(殿下がいらしていると、教えてくれれば良かったものを)


 ちら、とグレン長官を睨む。

 グレンは、ただこちらにピースを返してきただけだった。呑気なものである。


「殿下、なぜこのような薄暗い場所に?」

「失礼だね、ミレア」

「長官は黙ってて」

「ははは。良い関係じゃないか」


 シオンは、声を上げて笑った。

 音は立てずにカップをソーサーの上に置き、足の上で両手を組む。

 

「そなたに、依頼したいことがある」

「依頼?」


 王子からの依頼。

 ミレアはこの魔術機関に勤めて数年が経つが、王族から依頼を受けたことはない。

 初めてのことに、思わず背筋が伸びる。

 

(結界魔法がかかってる。大事な話なのね)


 部屋には、グレンの結界魔法が張られていた。それだけ、重要機密の話なのだろう。ミレアは、緊張した面持ちでシオンを見つめる。


「僕の護衛をしてもらえないだろうか」

「……護衛でしたら、殿下の側近の中に騎士がおられますよね?」

「いいや、彼らはただ剣を振るうだけさ。僕がしてもらいたいのは、魔術師としての護衛だ」


 先日に暗殺されかけたのを知っているだろう? その言葉に、ミレアは静かに頷いた。

 確か一週間前のこと、王太子殿下が暗殺されかけたという情報を耳にした。魔法での攻撃を受け、落馬したらしい。痛ましいことではあったが、ミレア自身には関係のないことでもあった。


「その暗殺者の犯人を捕まえるためですの?」

「いいや、犯人は国王陛下の手下だ」

「え?」


 シオンは、にっこりと笑った。


「僕の考え方がお気に召さないらしくてね。殺そうとしてきたんだよ」

「実の息子であられますのに?」

「王族なんてそういうものさ」


 王太子は、肩をすくめた。

 その様子はどこか諦めているようなものだった。小さく笑みを零したシオンは、再び紅茶に口をつける。そして、ちらりとミレアを見た。

 青い澄んだ瞳。その奥に瞬く光を見て、ミレアは眉を上げた。


「それで、本来の依頼とは何ですの?」


 ぴくり、とシオンの指が動いた。

 カップから口を離し、じっとミレアを見つめる。


「本来とは?」

「護衛依頼とは、表向き依頼。本来は、別の目的がおありなのでは?」

「……さすが、グレンが見込んだ魔術師だ」

「そうでございましょう?」


 シオンがカップを置くと、グレンが誇らしそうに笑った。

 その笑いが収まると、部屋の空気がずっしりと重くなる。ミレアは、ぐっと両手に力を込めた。


「本来の依頼は、君の研究だ」

「え?」

「そなた、『法令違反』をしているだろう?」


 ドクン、と胸が跳ね上がった。

 頭に思い浮かぶ、自室の研究室。器具が並び、とある植物がずらりと育成されている部屋。そして、徹底的な施錠管理。誰かに見られたら首が飛ぶような、そんな研究なのだ。


「……なんの、ことでしょう?」

「あぁ、恐れるな。僕は、その研究を奪いにきたのだから」

「はぁ?」


 思わず、取り繕っていた顔の面が剥げた。

 怪訝そうに王子を睨むと、シオンは「おぉ、恐ろしい」とわざとらしく震える。


「奪う、とは言い間違えたな。その研究に協力すると言っているのだ」

「……それでは、殿下が法令違反になりますけれど」

「ははは、王太子の法令違反か。おもしろそうじゃないか」


 そう言って、シオンは立ち上がった。

 ツカツカと歩き、ミレアの隣に腰を下ろす。そして、じっとミレアを眺めた。


「そなたの体質が、此度の『書物禁止令』によって影響が出ることは調査済みだ」

「そこまでして、何をなさろうと?」


 ミレアの体質。それは、グレンと唯一の同期であるカイルしか知らないことだ。カイルはシオンと面識はない。とすれば、情報を漏らしたのはグレンで間違いないだろう。


(厄介なことをしてくれた)


 満面の笑みでピースしている長官を、後で一発ぶん殴りたい。

 力が入る拳を押さえて、ミレアはシオンの方を向いた。

 近くで見るほど、美しい顔立ち。しかし、その蒼穹の瞳には、暗い光が宿っていた。


「本を復活させたい」

「……」

「陛下がバカげた法令を出したおかげで、王国中が血で溢れている。この王国において、『本』がどのような役割を担っているか、そなたには分かるだろう?」


 そう言って、シオンは細い指を伸ばした。白い手袋をしたまま、ミレアの顎をくいと上げる。艶やかな美貌が、ミレアの視界をすべて覆いつくした。


「なぁ、『本づくりの魔術師』よ」


 ミレアは、グレンの次に力を持つ魔術師だ。その魔力量は底知れず、魔術学校を首席で卒業したほど。若くして魔術機関副長官に任命され、今に至る。

 そして、ミレアはとあるものを生成することで、己の体質と向き合ってきた。それが、『本』だったのだ。


「僕は、本を復活させたい。そうしなければ、この国は近いうちに滅ぶだろう。対して君は、本がなければ死んでしまう。こんなに良い条件はないだろう?」

「……異論はありません」

「この依頼を拒むようだったら、そなたを『法令違反』として牢獄に送ることもできる。どうする?」


 シオンの瞳は、真剣だった。

 彼は、第一王子として優秀な者。そんな王太子殿下からの依頼を拒めば、首を刎ねられても文句は言えない。次期国王の権力は、凄まじいものなのだ。


「……承知いたしました」


 ミレアは、静かに依頼を受け入れた。

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