第38話 冷やす理屈と、閉じない箱
冷蔵庫――という言葉を、この世界でそのまま使うつもりはなかった。
だが、「食べ物を低温で保つ箱」という発想自体は、説明できる。
俺は、オルドの工房で、即席の図を机の上に描いていた。
木炭で引いたのは、単純な長方形。
「……つまり、箱か」
オルドが、腕を組んで覗き込む。
「はい。
ただの箱です。でも――」
俺は、指で箱の外周をなぞった。
「外側は木材。 内側に、金属の板を貼ります」
「金属?」
「冷えやすくて、汚れにくい。 それに、匂いも付きにくい」
オルドは、顎に手を当てる。
「……魔道具というより、家具だな」
「だから、家具職人じゃなくて、魔道具屋にも来てもらいました」
その言葉に、奥の扉が開く。
現れたのは、がっしりした体格の魔道具屋だった。
「話は聞いた。 冷やす箱、だって?」
「ええ。 構造は、こうです」
俺は、箱の上部を指差す。
「ここに、氷の魔石。 出力は、極弱でいい」
「弱くて?」
「はい。 凍らせたいわけじゃない」
次に、その横。
「ここに、風の魔石。 これも弱出力で」
魔道具屋が眉を上げる。
「冷やすのに、風?」
「冷たい空気は、下に溜まります。 上で冷やして、下へ流す。 それだけです」
俺は、指で矢印を描いた。
「上から下へ。 自然の性質を使う」
オルドが、静かに頷いた。
「……理屈は、通っているな」
---
試作は、その日のうちに始まった。
木材で作った、長方形の箱。
内側には、薄い金属板を貼り付ける。
上部に、氷の魔石と風の魔石を並べて設置。
「出力は、これでどうだ」
「十分です。 弱すぎるくらいでいい」
魔石が淡く光る。
箱の中に、ゆっくりと冷たい空気が溜まっていく。
手を入れた瞬間、はっきり分かった。
「……冷えてる」
魔道具屋が、感心したように言う。
「確かに、冷えるな」
俺は、胸の奥で小さく息を吐いた。
(よし……理屈は合ってる)
だが。
しばらくして、違和感が出始めた。
箱の蓋の縁。
そこから、微かに冷たい空気が漏れている。
「……あれ?」
オルドが、手をかざす。
「冷気が、外に逃げているな」
「隙間、か……」
俺は、箱の合わせ目を見る。
木材と金属。
どうしても、わずかな隙間ができる。
さらに――
「……水?」
箱の内側に、細かな水滴が浮かび始めていた。
「結露です」
「中が冷えて、外が暑い。 水になるのか」
時間が経つにつれ、問題は増えた。
冷気は、少しずつ外へ漏れる。
箱の外側が、ほんのり冷たくなる。
「……これは、駄目だな」
魔道具屋が、率直に言った。
「冷えてはいるが、保てない」
俺も、ゆっくり頷く。
「密閉が、足りません」
そして、決定的だったのは――翌日。
箱の底。
金属板の隙間から、木材が湿り、黒ずみ始めていた。
「……腐食、ですね」
「木が、水に負けている」
オルドが、腕を組む。
「構造は正しい。 だが……箱が耐えられない」
俺は、箱を見下ろした。
冷やすことはできた。
理屈も、魔法も、間違っていない。
(でも――)
「素材が、足りない」
その言葉を、はっきり口にする。
「冷気を逃がさず、 水を防いで、 柔らかく密閉できる素材が、この箱にはない」
魔道具屋が、苦笑する。
「そんな都合のいい素材、簡単には……」
「ええ。 だから、探します」
オルドが、少し驚いた顔で俺を見る。
「探す?」
「この世界に、あるはずです」
俺は、失敗した箱から視線を外した。
「畑だけじゃない。 牛舎だけでもない」
「森も、川も、全部です」
箱は、失敗した。
だが、失敗の理由は、はっきりした。
冷やす理屈は、もうある。
足りないのは――それを“閉じる”材料。
俺は、心の中で次の行き先を決める。
(机の上じゃ、答えは出ない)
(次は、現場だ)
冷蔵庫は完成しなかった。
だが、進むべき方向だけは、
はっきりと見えていた。
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