聖女と呼ばれるゲーマー幼馴染は、家では自堕落で俺に依存してくる

あまたらし

本編

 うちのクラスには、一人だけ“聖女”がいる。


 窓際二列目、前から三番目。

 黒板の文字がちょうど見やすいその席で、久野日向くのひなたは今日も完璧に「久野日向」をやっていた。


 腰のあたりまで伸びた黒髪ロングをゆるくまとめて、肌はやたらと白い。背も女子にしてはすらっと高めで、細いくせに制服のシルエットだけでスタイルの良さが分かるタイプだ。同じブレザーのはずなのに、あいつが着てるとだけ、ちょっと高級品に見える。


「久野さん、ここってこういう意味かな?」


「えっと……この公式を使うと分かりやすいですよ」


 優しい声。丁寧な敬語。崩れない微笑み。

 ノートには綺麗な字とマーカーのライン。

 男子も女子も、あいつのことを「すごいな」とか「さすが久野さん」だのと言っている。


 俺――早野千尋はやのちひろは、その様子を教室の隅からぼんやり眺めていた。


 窓際の一番後ろ。教室の列から頭ひとつ分くらい飛び出すくらいには背が高くて、シャツの上からでも肩や腕の筋肉が分かる……らしい。家での筋トレの成果だとは思うけど、自分では「ちょっとガタイがいいだけの一般人」だと思っている。


 教科書を広げているふりをしながら、心のどこかで時計の針を待っている。


 チャイムが鳴り、担任がホームルームを締める。


「じゃ、今日の連絡は以上。気をつけて帰れよー」


 バタバタと椅子が引かれ、教室が一気に騒がしくなる。

 片付けもそこそこに、隣の席の相沢悠斗あいざわゆうとが振り向いた。


「よう早野。今日もまっすぐ帰る感じ?」


「ああ」


「どうせゲームだろ」


「どうせとか言うな。俺にもいろいろ予定がある」


「はいはい。……にしてもさ」


 悠斗が前の方を、ニヤッとしながら顎で指す。


「久野さん、今日も“聖女”してたなぁ。お前、同じクラスなのに全然話さないよな」


「話す用事がないだけだろ」


「いや、俺には“元カノと別れた後”くらいの距離感に見えるんだけど?」


「付き合ってもねぇよ」


 即答すると、悠斗は楽しそうに笑った。


「だよなぁ。まあ、あのレベルは俺ら庶民には眩しすぎるわ」


 そう言いながら、カバンを肩にかけて立ち上がる。


「んじゃ、俺は玲奈と駅前寄ってく。お前は?」


「……俺はとっとと帰る」


 玲奈っていうのは、悠斗の彼女だ。同じクラスの女子で、落ち着いた雰囲気なのに、なんだかんだ悠斗に振り回されてるタイプ。廊下でよく二人まとめて見かける。


「はいはい、リア充爆発しろって言うなよ?」


「言ってねぇよ」


 適当に手を振る悠斗を見送り、俺も席を立つ。


 教室の前では、まだ日向が数人のクラスメイトに囲まれていた。

 何かを頼まれ、微笑みながら頷いている。


「久野さん、今日も委員の仕事ありがとうね」


「いえ、私でよければ、いつでも。……あ」


 ふと、その視線がこっちを向いた。


「お疲れさまです、早野くん」


「……お疲れ」


 それだけ。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 周りから見れば、顔見知り同士の、ただの一言。

 彼女は誰にでも“さん付け”で話すし、俺も教室では彼女を“久野さん”としか呼ばない。


 そういう距離感だ。

 そういう距離感で――いい。はずだ。


 俺は視線を逸らし、教室を出た。


     *


 私立星乃宮高校は、そこそこ名の知れた進学校だ。

 学力も家計も、ある程度余裕がないと入れないらしい。


 俺は、成績だけはどうにか基準を越えた。

 その代わり、中学の同級生は一人もいない。ここでは、全員が新しい顔だ。


 ……それが、正直、助かっている。


 中学の頃、“めんどくさいこと”があった。

 その話を知っているやつが一人もいない、というだけで、かなり気が楽だ。


 十分ほど歩くと、見慣れた住宅街が見えてくる。

 その中に、うちの家と――そのすぐ隣に、白い壁の二階建て。


 表札には「久野」と書かれている。


 まずは自分の家に入る。

 キッチンには、母親の走り書きが貼ってあった。


『今日は残業。カレー作ってあるから温めてね。

 ついでに日向ちゃんにも持っていってあげて。 母』


「……ついで、ね」


 ため息を一つついてから、鍋の蓋を開ける。

 案の定、三〜四人前はある。


 皿を二枚用意し、ご飯とカレーを盛る。

 スプーンを二本乗せて、慎重に持ち上げる。


 うちの母は、「千尋=日向の家に飯を運ぶ係」だと思っている節がある。

 否定できないのが腹立たしい。


 玄関を出て、隣の家のインターホンを――押さない。


 慣れた手つきで門を開け、勝手に上がり込む。

 靴を脱ぎながら、一応声だけはかける。


「お邪魔しまーす」


 返事はない。想定の範囲内だ。


 階段を上がり、右奥のドアの前で立ち止まる。

 中から、わずかにゲーム音と、ボタンを連打する音が聞こえた。


 ノックはしない。

 そもそも、したことがない。


 そのままドアノブを回して、部屋に入る。


「日向。カレー持ってきたぞ」


「ちーくん、おそーい!」


 開いた瞬間、ソファから飛び出してきた日向が、勢いのまま俺の腹に抱きついてきた。片手で皿を持ち上げていなかったら、盛大にカレーを床にぶちまけていたところだ。


「おい、待て。カレーが死ぬ」


「カレーより私でしょ?」


「どんな優先順位だよ」


 腰に回された腕を片手で引きはがしながら、なんとか皿をテーブルに避難させる。


 家では、日向は俺のことを名前で呼ぶ。

 普通のときは「千尋」、テンションが高いときと甘え倒す気満々のときだけ、「ちーくん」になる。大体ろくなお願いの前フリだ。


 ジャージ姿でソファに寝転がっていた“聖女”は、今日もTシャツよれよれ、髪も適当に結んでいる。

 テーブルの上には、飲みかけのペットボトルとポテチの袋と、開きっぱなしの攻略サイト。


 ……これが、学校で「聖女」とか呼ばれてる久野日向の、もう一つの姿だ。


「さっきまで“早野くん”って敬語で喋ってた奴とは思えねぇな」


「え? だってここ千尋んちみたいなものでしょ。今さら他人行儀とか無理」


「お前んちだよ、ここは」


 俺は皿を机の端に置いて、散らばったリモコンや漫画を片付ける。

 ゴミをまとめて、テーブルの上を一旦リセットした。


「ほら、飯先にする。ポテチとエナドリで夕飯済ますな」


「はーい、千尋ママ」


「誰がママだ」


 スプーンを渡すと、日向は「いただきまーす」と言ってカレーを一口頬張る。

 その顔が一瞬で緩む。


「やっぱ千尋んちのカレーおいしい……。これであと十時間は戦える」


「何と戦うつもりだよ」


「世界と。あと、ランキング勢と」


 日向はニヤッと笑って、俺の横にぴったりくっついて座り直す。

 細い腕が、当然みたいに俺の腕に絡んできた。


「近い」


「え? だって千尋、でかいから安心するんだもん。壁、壁」


「人を家具扱いするな」


「じゃあ頼れるクローゼットってことで」


「それもどうなんだよ」


 画面には、オンラインゲームのログイン画面が映っている。


 日向は、ほとんどのゲームで上位一%に入る変態だ。

 俺は、その横で延々と付き合ってきた結果、それなりに強くなっただけの凡人――のはずなんだけど、「千尋も普通に上位勢だよ?」と本人は平然と言ってくる。


「今日さ、新しいイベント来てるんだよ。ランキング上位百位以内入ったら限定称号もらえるやつ」


「はいはい。で、もちろん狙うんだろ」


「当たり前じゃん。千尋、私の相方なんだから、逃げるとか許されないよ?」


「相方って便利な言葉だよな」


 苦笑しながら、俺もコントローラーを手に取る。


「ねえねえ、今日さ」


「なんだよ」


「イベント終わったら、久しぶりに一緒に寝よ?」


「は?」


「小さい頃みたいに。千尋の腕枕で寝ると、めっちゃ熟睡できるんだよね〜」


「高校生になってまで幼馴染と添い寝してるやついたら、それはもう事案だろ」


「大丈夫だよ、鍵閉めとくし」


「そういう問題じゃねぇからな?」


「ケチ」


 日向はふてくされたように頬を膨らませると、俺の肩にもたれかかった。

 ゲームを始める頃には、さっきの添い寝話なんてなかったかのように、いつものテンションで敵を蹂躙し始める。


 学校ではほとんど話さないくせに。

 家に帰れば、こんなふうに同じ部屋で飯食って、ゲームして、抱きつかれたり、添い寝交渉までされて。


 俺たちの関係は、他人から見ればきっと、よく分からない。


 ――いや。


 “他人から見られないように”している、の方が正しいか。


     *


 中学の頃、俺と日向は、今よりずっと普通に話していた。


 クラスも同じだったし、幼馴染だと周りにも知られていた。

 一緒に登校して、一緒に下校して、席替えのたびに微妙に距離が近くなって。


 そういうのを見て、冷やかすやつも、からかうやつもいた。


 女子の一人が、ふざけて聞いてきたことがある。


『早野ってさ、久野のこと好きなの?』


 あのとき、俺はちゃんと笑って誤魔化せなかった。

 自分でも、日向をどういう感情で見ているのか、うまく言葉にできなかったから。


 そこで意地悪な男子が混ざる。

 ある日の放課後、日向が呼び出され、告白されて――丁寧に断った。


 それは別に、珍しい話でもない。

 問題は、そのあとだ。


『どうせ早野がいるから、誰とも付き合わないんだろ』


 フラれた男子は、そう言って俺に詰め寄ってきた。


『お前のせいで、久野は誰とも付き合えないんだよ』


 そんなこと、あるわけがない。

 日向はただ、その男子のことが好きじゃなかった。それだけだ。


 でも――その「言葉」は、クラスの中で、思った以上に簡単に広がった。


『久野ってさ、早野のこと好きらしいよ』


『だから誰とも付き合わないんだって』


 根拠のない噂話。

 本人たちが否定しても、面白がるやつは勝手に盛る。


 日向は、表向きは笑っていた。

 俺も「気にすんな」と言った。けど――


『ごめんね、千尋。なんか、巻き込んじゃったみたいで』


 帰り道で、少し俯きながらそう言った日向の横顔を、俺は忘れられない。


 あのとき、ちゃんと言えればよかったのかもしれない。


『気にしてねぇよ』じゃなくて。

『俺は、お前の隣にいたいから、気にしないでいい』って。


 でも、あの頃の俺には、そのくらいのことも言えなかった。


 だから、代わりに――もっと安い言葉を選んだ。


『高校入ったらさ。学校では、ちょっと距離置くか』


『え?』


『お前、目立つし。俺がそばにいると、また変なこと言われるだろ。

 だから、学校じゃ他人ってことで。家は今までどおりでさ』


 今思えば、それは俺の自己保身でもあった。


 噂の矢面に立つのも、注目を浴びるのも、もううんざりだった。

 目立つのが怖かった。

 でかくてガタイのいい男が、聖女みたいな美少女といつも一緒にいる――それだけで、余計な想像をされるのは目に見えていた。


『……千尋がそうしたいなら、いいよ』


 日向は少し黙って、それから笑った。


『でも、家では今までどおりね。ゲームも、宿題も、手伝ってくれるんでしょ?』


『……当たり前だろ』


 その約束を守っているだけだ。

 それだけの話だ。


 ――はずだった。


     *


「千尋、今日また告白された」


 ある日の夜。

 日向はカレーを一口食べてから、唐突にそう言った。


「ふーん。何人目だよ、今年」


「数えてない。……五人くらい?」


「十分だろ」


「下級生の子でさ、すごく頑張ってくれてて。

 ちゃんと誠実に断ったけど、なんかちょっと申し訳なかった」


「お前が悪いわけじゃねぇよ。好きになるのはそいつの勝手だ」


「千尋、ちょっとは心配とかしない?」


「何を」


「ほら、変な人とかもいるかもしれないし」


「変な奴に絡まれたら、すぐ言え。俺がぶん殴る」


「物騒。でも、ちょっと安心した」


 笑いながら、日向はもう一口カレーを食べる。

 白い頬が、ほのかに赤い。


 そんなやり取りを、俺たちは何度も繰り返してきた。


 日向はよく告白される。

 そして毎回、「今は誰とも付き合うつもりはないので」と断る。


 その度に、俺は「そうか」と返す。

 それ以上踏み込まない。


 踏み込めない。


 俺が何か言う権利なんて、どこにもないからだ。


     *


 ある日の掃除時間。

 黒板消しを叩いていたら、後ろから声をかけられた。


「あの、早野くん。ここの棚、ちょっと重くて……」


「ああ、持つよ。どこ置けばいい?」


「そこ、運ぶの手伝ってもらってもいい?」


 小柄なクラスメイトの女子だ。

 苦笑しながら棚を抱えると、「ありがとう」と嬉しそうに笑った。


「わ、意外と力あるんだね」


「意外とってなんだよ」


「頼りになるってこと」


 そういうのが、なぜか少しずつ増えている。


 壊れた備品を直したり、重い物を運んだり、ノートを見せたり。

 別に特別なことはしていないはずなのに、「助かった」「優しいね」と言われる。


 下心がないから話しやすいのだと、玲奈に言われた。


「千尋くんってさ、女子から見ても、あんまり怖くないタイプなんだよね。でかいのに優しい感じだから、余計に」


「褒めてる?」


「褒めてる。たぶん」


 そんなことを言われるたびに、何となく居心地が悪くて、目を逸らしたくなる。


 ある日の放課後。

 女子の一人に勉強を頼まれ、机を並べて解説していたら。


 教室の入り口で、日向と目が合った。


 一瞬。ほんの数秒だけ。


 すぐに視線を逸らされる。


「……?」


 胸の奥に、小さな違和感が残る。


 その日の夜。

 ゲームの待機画面で、日向がやけに親指ボタンをカチカチ言わせていた。


「今日、学校でさ」


「ん?」


「千尋、女の子と楽しそうに喋ってたね」


「……ああ。ちょっと勉強聞かれただけだよ」


「ふーん?」


 コントローラーを握る手に、微妙な力がこもる。


「なんで“ふーん”だよ」


「べつに? 背高くて筋肉あって優しい早野くんは、女子にモテモテでいいですね〜って思っただけ」


「褒めてんのか嫌味なのかどっちかにしろ」


「両方」


 その日は、日向のプレイがいつもより荒かった。

 普段は絶対ミスらないようなところでミスをして、敵に突っ込み、やられて。


 画面の前で「ちくしょー」と叫ぶ横顔は、どこか不機嫌そうだった。


     *


 季節が変わり、文化祭の準備が始まる。


 クラスの出し物は、ありきたりなカフェ。

 人手が必要だということで、日向は接客、俺は裏方の買い出しや準備を任された。


「早野、悪いな。こういうの得意そうだから」


「“得意そう”の基準がおかしくない?」


「いや、お前、頼んだらちゃんとやってくれそうだし。力仕事も任せられるしな」


 担任にうまく言いくるめられ、気づけばレジの配置やシフト表まで作らされていた。


 日向は、文化祭でも“聖女”だった。


 エプロン姿でトレイを持ち、「いらっしゃいませ」と微笑む。

 写真を撮りたがる奴もいて、教室の前には行列ができた。


「久野さん、似合ってるー!」


「天使かよ……」


 そんな声を聞きながら、俺は裏で材料の確認をしていた。


 途中、氷が足りなくなり、買い出しに走る。

 スーパーから戻ってきたとき、廊下で日向と鉢合わせた。


「あ、早野くん。お疲れさまです」


「そっちこそ。大変そうだな」


「でも、楽しいですよ。みんなで何かするの、好きなので」


 いつもの“クラスメイト用”の笑顔と敬語。

 その中に、ふと、ほんの少しだけ疲れが混じっているように見えた。


「無理すんなよ。しんどくなったら言え。交代くらい、何とかするから」


「……はい」


 短い会話。

 それだけなのに、日向の目が一瞬だけ、柔らかくなった気がした。


 その日の夜。

 ソファにぐったり倒れ込んだ日向は、エプロンの紐をぶん投げながら言った。


「足が死ぬ……。でも、千尋が裏で全部やってくれてたから、だいぶ助かった」


「別に全部じゃねぇよ」


「全部だよ。ほんと、千尋いなかったら、私、たぶん途中で逃亡してた」


「それはそれで見たかったな」


「ひどい」


 日向は膨れっ面でクッションを投げてくる。

 それを片手でひょいっと受け止めると、そのまま俺の胸にぐいっと額を押しつけてきた。


「ねえ、今日くらいさ。このまま寝てもいい?」


「ここで?」


「うん。千尋ソファの背もたれになって。私、クッション」


「お前、逆だろそれ」


「お願い〜。頑張ったごほうび」


 結局、ゲームを起動しながら日向は俺の肩にもたれ、半分寝落ちしながらクリアしていた。


 俺がいなくても、日向はどこでもうまくやっていける。

 そう思ってたはずなのに。


 実際は、少しは役に立てているのかもしれない――なんて、甘いことを考えてしまう自分がいた。


     *


 秋が過ぎ、冬が近づくころ。

 日向の母親から、唐突な爆弾が投下された。


「ねえ千尋くん。今度の日曜、日向をどこかに連れてってあげてくれない?」


「……は?」


 夕飯の後。久野家のリビングでテレビを見ていたときだ。


「最近、あの子、休みの日もずーっと部屋でゲームでしょ。

 たまには外の空気も吸わせないと。買い物でも映画でも、なんでもいいから」


「いや、俺、その日も特に予定ないけどさ……」


「じゃ、決まりね。はい日向、聞いた? 日曜、千尋くんとデートしてきなさい」


「で、デートって言わないでよお母さん!」


 ジャージ姿でバタバタしていた日向が、真っ赤になって抗議する。


「じゃあお出かけ。ほら、前から欲しがってたゲームも発売日なんでしょ? 二人で買いに行ったら?」


「…………」


 日向が、ちらっとこっちを見る。


「……千尋は?」


「別に、暇だし。いいけど」


「やった!」


 その瞬間の笑顔が、少しだけ眩しかった。


     *


 日曜。

 駅前で待ち合わせた日向は、制服でもジャージでもなかった。


「ど、どうかな……変じゃない?」


「いや」


 パーカーにスカート。スニーカー。

 いつもより髪を丁寧に巻いていて、シンプルなイヤリングが白い肌の横で揺れている。


 どこからどう見ても、普通に可愛い女の子だった。


「似合ってる」


「……ありがと」


 日向が耳まで赤くなりながら、視線を泳がせる。


 ゲームショップで新作を買い、アニメイトでグッズを眺め、

 フードコートでポテトをつつき合う。


「千尋、このセットの方がコスパいいよ」


「お前、その言葉の意味ちゃんと分かって使ってんのか」


「なんとなくお得そうって意味でしょ」


「ざっくりしすぎだろ」


 そんなくだらない会話をしながら過ごす時間は、思っていた以上にあっという間だった。


 俺たちは、これを“デート”だとは思っていない。

 少なくとも、表向きは。


 いつものゲームの延長。

 外に出ただけで、やっていることは大して変わらない。


 ――はずだった。


「ここ、空いてるじゃん。座ろ座ろ」


 日向がトレーを持って席に向かい、俺もその後ろに続く。


 そのとき。


「あれ? 千尋?」


 聞き慣れた声に顔を上げると、目の前のテーブルに悠斗と玲奈がいた。


「……え」


「わ、久野さんも一緒なんだ。二人で?」


 玲奈が、少し目を丸くする。


 テーブルの上には、食べかけのクレープとドリンク。

 二人は完全にデートの途中らしい。


「いや、その、その……」


 変に言い訳する前に、日向がぱっと笑った。


「こんにちは、相沢くん、椎名さん。偶然ですね」


「うん、偶然だねぇ」


 玲奈の目が、じっと俺たちを観察してくる。

 俺のトレーから、日向のトレーへ。

 その間の距離へ。


 日向が、無意識に俺のポテトを一本つまむ。


「千尋、これ一本もらっていい?」


「好きにしろ」


「ありがと」


 玲奈の視線が、さらに鋭くなる。


「…………」


 そのあと、少しだけ一緒に喋った。

 どこを回ったとか、文化祭お疲れ様とか、そんな他愛ない話だ。


 けれど別れ際、玲奈がぽつりと呟いた言葉だけが、妙に耳に残った。


「ねえ千尋くん」


「ん?」


「“普通のクラスメイト”にしては、距離近すぎない?」


 俺は、うまく返せなかった。


     *


 月曜日。

 教室の空気が、ほんの少しだけ違っていた。


「昨日さ、駅前で見たんだけど……」


「久野さんと早野くん、一緒にいたよね?」


「え、マジ?」


 ヒソヒソ声。視線。

 俺たちの席の周りで、目に見えない何かがくすぶり始めていた。


「早野」


 悠斗が、休み時間に近づいてきた。


「昨日は悪かったな。お邪魔だったか?」


「別に。俺たち、ただの――」


『ただの幼馴染』


 喉まで出かかった言葉を、飲み込む。


「……ただの、クラスメイトだよ」


 その嘘を、誰が信じただろう。


 日向の方を見ると、彼女もまた、少し困ったような笑みを浮かべていた。


「久野さん、昨日、早野くんといたの?」


「えっと……その、たまたま買い物が一緒になって」


「え〜、仲いいんだね〜」


 冗談半分の声。

 本気じゃないからこそ、余計にタチが悪い。


 胸の奥に、嫌な汗がじわりと広がる。


 ――まただ。


 中学の教室が、頭の中によみがえる。


『久野は早野が好きらしいよ』

『お前のせいで、久野は誰とも付き合えないんだよ』


 同じことを繰り返したくなくて、この高校に来たはずなのに。


 同じような構図が、じわじわと形を取り始めている。


     *


 その日の夜。

 日向の部屋でゲームを起動しながら、俺は言った。


「なあ日向」


「ん?」


「……悪かったな」


「何が?」


「昨日のこと。クラスで、変なこと言われてただろ」


「別に。そんなに気にしてないよ」


 日向はコントローラーをいじりながら、あっけらかんと言う。


「“仲いいんだね〜”とか、“もしかして付き合ってるの?”とか、そのくらいだし」


「それが面倒なんだよ」


「またそれ?」


 日向の声が、少しだけ冷たくなった気がした。


「中学のときと一緒にしないでよ」


「同じだろ。俺と一緒にいるせいで、お前のこと変な目で見られて――」


「違う」


 小さく、でもはっきりと日向が遮る。


「千尋が一緒にいる“せいで”なんて思ったこと、一度もない」


「でも――」


「でもじゃない」


 日向は、ゲームの画面から目を逸らして、俺を見る。


「中学のとき、私が悲しかったのはね。

 変な噂が立ったからじゃなくて、千尋がそれを“自分のせい”だって思ってたこと」


「……」


「高校でも同じこと言うの、ずるいよ。

 私がどうしたいか、何も聞かないで、勝手に決めないで」


 胸の奥が、ぎゅっと掴まれたような感覚がした。


 俺は、日向のことを守ってるつもりだった。

 少なくとも、自分ではそう思っていた。


でも、それはただの自己満足だったのかもしれない。



 それでも。


「……それでもさ」


 情けない声が、喉から漏れる。


「俺、お前の隣にいる資格なんて、ないだろ」


「資格って何」


 日向は目を細めた。


「聖女って呼ばれてる、お前の隣にはさ。

 もっとちゃんとした奴が――」


「私が決めるよ、それは」


 その一言に、思考が止まる。


「私の隣にいてほしい人は、私が決める。

 千尋の自己評価とか、関係ない」


「……なんで、そこまで」


「なんでだと思う?」


 日向は、わざとらしく首を傾げる。


 答えは、喉まで出かかっているのに。


 それを認めたら、今まで守ってきた距離が音を立てて崩れる気がして、怖かった。


 結局その夜は、そのままゲームを始めて、どちらも本音の続きを口にしなかった。


     *


 しばらくのあいだ、俺は少しだけ日向の家に行く頻度を減らした。


 行かない、という選択はできなかった。

 母親からのカレーやシチューやハンバーグの配達があるし、洗い物もたまり放題になるからだ。


 それでも、前みたいに毎日長時間入り浸るのはやめた。

 飯を運んで、さっと片付けて、少しだけ話して、すぐ帰る。


「もう帰るの?」


「テスト近いしな」


「私も勉強するから、一緒にいればいいのに」


「お前が“する”って言って、ちゃんとした試しないだろ」


「ひどい。……ちょっとくらい添い寝で充電させてくれてもいいのに」


「なんで勉強に添い寝が必要なんだよ」


「千尋の隣だと集中できるの」


「それ集中じゃなくて安心して寝てるだけだろ」


 そんなやり取りをしているときの、日向の横顔が、妙に寂しそうに見えることがあった。

 袖をそっと掴んできて、けれど強くは引き止めない。そういう距離感のまま、玄関まで見送られることも増えた。


 俺の方も、別に楽になったわけじゃない。


 帰り道、窓の灯りを見るたびに、「今あいつ何してんだろ」と考えてしまう。

 ゲームにログインすると、いつものフレンド欄に日向の名前が光っている。


 招待を送れば、きっとすぐに入ってくるだろう。

 それでも、送る指が止まる。


 自分で距離を取っておいて、何を迷っているのか。


 そんな日々が、何週間か続いた。


     *


 転機になったのは、冬の終わりのゲーム大会だった。


 俺たちがずっとやってきたオンラインゲームで、年に一度の大規模イベントがあった。

 全国の上位プレイヤーが集まる、オフラインの決勝トーナメント。


 会場は、思った以上に人が多かった。

 派手な照明。観客席。実況用のステージ。


 スクリーンに映るゲーム画面には、俺のハンドルネーム「Sen」と、日向の「Hinatan」が映し出されていた。


 予選で何度も見てきた文字列が、今はたくさんの知らない人に注目されている。


「すげー、人多っ」


「ね。……ちょっと手、汗かいてきた」


「お前が緊張すんの、珍しいな」


「だって、こんなに見られるの、学校の発表より恥ずかしいもん」


 そう言いながらも、日向の目は楽しそうに輝いていた。

 俺の袖を、さっきからずっと掴んだままだ。


「離れろ。歩きづらい」


「やだ。人多いし、千尋はガタイいいから盾」


「また家具扱いかよ」


 試合が始まると、いつもの感覚が戻ってくる。


 画面の向こうの敵。

 その動き。

 日向のクセ。


 俺は、自然とその全てを計算していた。


「日向、左側任せた」


「オッケー。右はちーくんに全部投げる」


「雑だな」


 冗談を言い合いながらも、操作は正確だった。

 何度も一緒に積み上げてきた連携が、そのまま形になっていく。


 気づけば、会場がどよめいていた。


『さあ、トップランカー“Sen”と“Hinatan”、このまま決めるか――!?』


 実況の声が遠くに聞こえる。


 最後の一撃を決めた瞬間、横から日向が抱きついてきた。


「やった! ちーくん、やったよ!」


「うお、ちょ、画面、見え――」


 観客席から拍手が起こる。

 ステージの上で、知らない人間たちが、俺たちのプレイを見ている。


 その真ん中で、日向は俺の腕にしがみついて、声を上げて笑っていた。

 細い体が、全力でぶつかってきても、俺の体はびくともしない。


 ――そのとき、俺ははっきりと自覚した。


 俺は、こいつの隣にいるのが、嫌じゃない。

 むしろ、誇らしいとさえ思っている。


 「資格」なんて言葉で、自分の気持ちをごまかしていただけだ。


     *


 大会が終わって、帰り道。

夜の駅のホームは、人が少なくて静かだった。


「楽しかったね」


「ああ」


「やっぱり、ちーくんが隣にいると、安心する」


「お前、誰にでもそんなこと言ってんじゃねぇだろうな」


「言わないよ。千尋だけ」


 日向は、当たり前みたいにそう言って笑う。

 白い頬が、照明に照らされてほんのり赤く見えた。


 心臓が、うるさくなった。


「なあ、日向」


「ん?」


「……俺、お前の隣にいていいのかな」


「またそれ?」


「違う。そうじゃなくて」


 言葉を選ぶ。

 何度も飲み込んできた言葉を、やっと掴む。


「俺、さ。

 お前にとって“家族みたいな存在”でいたら楽だなって、どこかで思ってたんだと思う」


「楽?」


「幼馴染とか、保護者とか。そういうラベル貼っとけば、

 本当はどう思ってても、見なくて済むから」


 日向が、じっと俺を見る。


「でも、今日みたいなの見てたらさ。

 お前が嬉しそうに笑うの、隣で見てたいって思っちまうんだよ」


「千尋……」


「だから多分、俺は――」


 そこで、言葉が詰まった。


 好き、の一言が、うまく喉を通らない。


 そんな俺を見て、日向はふっと笑った。


「ねえ、千尋」


「なに」


「私のこと、どういうふうに思ってるの?」


「……」


 逃げ道を、ふさがれた。


 それでも、今度は逃げないと決めた。


「……好きだよ」


 ようやく、声に出す。


「幼馴染とか、家族とか、保護者とか、そういうのぜんぶひっくるめて。

 それでも足りないくらいには、好きだと思う」


 日向の目が、大きく見開かれる。


 すぐに、頬が真っ赤になった。


「……ずるい」


「何が」


「そういうこと、もっと早く言ってよ」


「すまん」


「……うん。許す」


 日向は、小さく息を吐いたあと、俺の袖をぎゅっと掴んだ。


「じゃあ、私からも言うね」


 駅のホームの照明が、彼女の横顔を照らす。


「私、多分最初から、千尋がいない毎日なんて想像できなかった。

 ずっと一緒にいるのが“当たり前”だって思ってて。

 それが普通だと思ってたけど――」


 一拍置いてから、言葉を続ける。


「“当たり前”じゃなくて、“そうであってほしい”って気づいたの、最近なんだ。

 だから、多分、私も千尋のことが、好きなんだと思う」


 風の音と、電車のブレーキ音が遠くから聞こえる。


 世界が少しだけ、静かになった気がした。


「……今さらかよ」


「お互いさまだよ」


 笑い合って、気づけば手を繋いでいた。

 日向の掌は、いつもゲームのコントローラーを握っているくせに、驚くほど小さくて柔らかかった。


     *

 

 まず、“学校では他人”ルールをやめた。


 クラスメイトたちは最初こそざわついたが、そのうち「やっぱり仲よかったんだね」で落ち着いた。


 いきなり教室で「ちーくん」と呼ぼうとした日向の口を、全力で止めた結果、


「おはようございます、千尋くん」


「“くん”付けにしただけでハードル上げないでくれ」


 みたいな会話が生まれた。

 それでも、以前よりはずっと自然に喋るようになった。


 悠斗は、「やっとか」と肩を叩いてきた。


「で、いつから付き合ってたんだよ」


「つい最近」


「嘘つけ。顔に“前から好きでした”って書いてあるぞ」


「書いてねぇよ」


 玲奈は、楽しそうに笑った。


「ねえ久野さん。

 “ただのクラスメイト”って言ってたの、本気で信じてた人、誰もいないと思うよ」


「うぅ……」


 日向が耳まで赤くして俯く。

 その肩を、そっと支える。


 放課後。

 隣の家の玄関を開けるとき、もう「お邪魔します」と言う必要はない気がした。


「ただいま」


「おかえり、千尋」


 日向が、ゲームのコントローラーを片手に、いつもの笑顔で振り向く。


「今日の晩ご飯なに?」


「カレー」


「やった! じゃあ今夜はオールで周回しよ?」


「なんでそうなるんだよ。せめて睡眠を検討しろ」


「じゃあ途中で一回だけ添い寝タイム挟もう」


「選択肢の中に“普通に寝る”を入れろ」


 そんな他愛ない会話が続いていく。


 学校では、ほどほどに。

 家では、今まで以上に。


 “聖女”と“片隅の男子”は、

 幼馴染で、ゲームの相方で――そして、恋人になった。


 きっとこれからも、面倒なことはあるだろう。

 噂も、視線も、ゼロにはならない。


 それでも。


「ねえ千尋」


「ん?」


「これからも一緒にゲームしてくれますか?」


「当たり前だろ」


 隣で笑うこの人を、

 俺はきっと、ずっと好きでいるんだと思う。


 そう思うくらいには、俺も少しは自分を許せるようになったのだから。

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聖女と呼ばれるゲーマー幼馴染は、家では自堕落で俺に依存してくる あまたらし @Lizzzu

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