第9話 気づくのは、ただひとり

翌日も、学園はのどかだった。


正門のアーチには新入生歓迎の横断幕が揺れ、

中庭では部活の勧誘が賑わっている。

フライパンを振る音、シャボン玉の魔法で風景を飾る者、

初々しい笑い声――平穏そのものだ。


静麻は、そのきらきらした光景の中心に立ちながら、

どこか遠い場所にいるような感覚に包まれていた。


「御影、聞いてる?」


玲花の声に、現実へ引き戻される。


「……ああ、悪い。なんだっけ」


「部活動の勧誘、断ったら?」

玲花はパンフレットを突きつけた。


《魔導対戦研究会》《詠唱短縮実験部》《鍛錬サークル》

どれも静麻には、悪夢のような名前だ。


「君ら、どんだけ戦わせたいんだよ……」


「人気者はつらいわね。自覚はないみたいだけど」


玲花の声は淡々としているが、皮肉よりも観察に近い。

静麻は肩をすくめ、パンフレットを机に伏せた。


その瞬間――

耳の奥で、糸を弾いたような音が響いた。


チリッ


髪が逆立つほど微弱な、魔力の震動。

無属性である静麻だけに反応する、異質な“揺らぎ”だった。


(……今のは――なにか、来た)


廊下の空気が、ほんの僅かに重くなった。

魔力量が増したわけではない。

魔法の“気配”が増えたのだ。


誰も気づかない。

玲花も、隣の生徒も、教師ですら日常に溶け込んでいる。


静麻は立ち上がり、窓の外へ視線を滑らせた。

何かが見えるわけではないが、空気が違う。


「どうしたの?」


玲花の問いが耳に入る。

静麻は答える代わりに、少しだけ息を潜めた。


「……喋らないで」


玲花の眉が動く。

ふざけた様子ではないと察し、黙った。


静麻は周囲の魔力を“聞く”。

聞き耳を立てるではなく、感じる。

音ではなく、匂いでもなく、空気の密度のようなもの。


(……誰かが、結界を揺らしてる)


この学院の防御結界は厳重だ。

内部の者が乱すなど不可能。

つまり――外部から侵入している。


静麻の指先が、わずかに跳ねる。

詠唱する気などない。

ただ、構える。


玲花は、その変化を見逃さなかった。


「敵?」


静麻は小さく首を振る。


「まだ敵かどうかも分からない。

ただ、何か“異常”がある」


「周りには伝えないの?」


「証拠がない。言えば混乱するだけだ」


それは正しい判断だった。

静麻は、戦わないために“準備”する。

いざという時に、最小限で終わらせるために。


それからの授業、静麻は一言も話さなかった。

黒板の音、椅子のきしみ、窓の外の風――

すべてが魔力の雑音に聞こえる。


玲花は隣の席で、静麻の異変に気づきながら、

ただ見守ることしかできなかった。


(努力では分からない領域がある……

でも、それを放っておくわけにはいかない)


授業が終わる頃、異常は薄れた。

だが、完全に消えたわけではない。


静麻は席を立つと、ぽつりと呟いた。


「……ここ、日常じゃないかもしれない」


玲花はその背中を見つめながら答えた。


「だったら、守らなきゃいけないわね。

私たちの“日常”を」


静麻は振り返らず、歩き出した。


その日常を守ることが、

自分の“静かに生きたい”という願いと同じ意味を持つとは、

まだ気づいていなかった。


だが、ささやかな生活を守るために、

無意識のうちに戦う覚悟だけは、静麻の中に芽生え始めていた。

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