001 Let's Get It Started(開店祝い)

 レーザービーム付きのダイナマイトが爆発したような音が、鹿児島の街を包み込んだ。


 僕は爆発音にいざなわれるように、窓際へと移動し、窓の外を見た。


 桜島。鹿児島を象徴する火山。正式名称は御岳。そんな山が、怒り狂ったように巨大な噴煙を吐き出したところだった。


 季節はすでに春。下手すれば初夏。


 天気予報での今日の風向き予報は鹿児島市内を向いていた。つまり火山灰がこちらへ向かってくる。今日はもう外に出ることはできない。愛車のクラウンアスリートは昨日洗車したばかりなのに最悪だった。


 そんなことを考えながら空高く舞い上がる噴煙に見とれていたせいで、爆発音の前からずっと鳴っていた事務所の固定電話を思い出すのに、だいぶ時間がかかってしまった。


 もう数秒待ってみたが、電話が鳴りやむ気配はなかった。僕は立ったまま、その受話器を取った。


「はい、こちら名称未定探偵事務所」


『探偵になったの、本当だったんだ』


 電話の向こう側から、ケラケラと笑う女の声が聞こえてくる。


 電話の主は、高校時代からの悪友の市倉だった。


『変な事務所の名前。ダサ』


「迷惑電話なら切りますね」


『あー! ちょっと待ってちょっと待って! ダサくない! ダサくないから!』


 市倉の叫び声が鼓膜を刺激する。僕は思わず受話器を耳から離した。


「というか、なんで僕が探偵事務所開いたって知ってるの?」


『え、あんた自分で言ってたじゃん』


「いつ」


『先週、ふたりで飲んだときかな。べろんべろんになったあんたが自分で「探偵王に俺はなる」って』


「それは僕の真似か?」僕はため息をついた。「やっぱり迷惑電話なら、切ろうかな」


『だから待ってって。別にバカにするために電話したんじゃないんだって。普通にお祝いだよ。せっかく事務所開いたのに、花とか来てないでしょ?』


「さっき来たよ。喫茶店〈アクト〉から」


『ああ、それ、お母さんだ。あんたが天文館で探偵事務所開くって教えたら、「花のひとつくらい送りなさいよ!」って怒られて』


「市倉ママが送ったんだな」


『私は今からお祝いに行こうと思ってたの。コーヒー豆でも持ってさ。で、この電話は、あんたの在宅確認の電話』


「祝ってくれるなら、ありがとう」


 僕は時計を見る。時刻は十時半。今の時間なら、喫茶店〈アクト〉は混んでないだろう。


「僕がそっちに行くよ。店は開いてるんだろ?」


『というか、今客がいなくて暇だから、私がそっちに行こうと思ってた』


「じゃあ僕が客になるから、お前はそこにいろよ」


 僕は受話器を置いた。そして誰も見てないのにかっこつけて灰色のジャケットを大仰な仕草で羽織って、まるで依頼人に会いに行こうとでもいう勢いで事務所を飛び出した。


          *


 資本主義なんてくそくらえだ。


 大学時代にそう主張し始めてずいぶん時間が経った。


 出身は鹿児島県鹿児島市。なんてことはないサラリーマン家庭に生まれ、普通に育ち、高校は私立を除けば県内で一番の県立島津高校に行き、大学は運よく関西の最高峰の国立大学に合格し、そこで留年含め五年間過ごし、妹と弟が東京へ逃げたせいで長男として地元に戻ってこざるをえなくなって、鹿児島に戻ってきた。それがおおよそ七年前の話。


 就職は地元の銀行に入った。なぜ銀行かって、学歴で殴れば面接を楽々突破できる地元最強の企業だったからにほかならない。


 でも僕の基本的な考えは、学生時代からずっと「資本主義なんてくそくらえ」である。理由は、大学でたくさんの嫌な金持ちを見てきたから。この世界の才能や力はすべて金を得るためにあるのだと知ったから。その金も、金を生むための道具でしかない。そんな世界、この上なくつまらない。どうにか金の連鎖から解脱したい。というかこの世界そのものを変えてしまいたい。頭の中はそんなことでいっぱいだった。


 じゃあなぜ普通に就職したのか。生きていくためには金が必要。働くことは呼吸と一緒。労働に身を任せるのは動物的行為。そんな社会に迎合せざるを得なかったからである。働いて金を稼がなきゃ、好きな本だって映画だって音楽だって享受できないのだ。それは死ぬよりも嫌だった。


 地元じゃ最強の上場企業に就職し、心の健康を犠牲にわずか二年で当時最低賃金全国最下位の鹿児島県の平均年収を超えた。欲しかった型落ちのトヨタ・クラウンアスリートも難なくローンを組めて買えた。


 しかしパワハラに次ぐパワハラ、仕事のできない後輩、仕事のできない上司、ありとあらゆる銀行業務が同時に自分に降りかかってきた結果、延べ三度にわたる適応障害の発症により、これ以上は無理だと判断して、会社をやめた。適応障害自体は薬を飲み続けながら会社をやめたことで完全に寛解状態にまでもっていくことができた。やはりストレスは敵。働くことこそ敵だと思った。


 そして問題になるのが、何をやって、どうやって生きていくかということである。


 資本主義は嫌いだが、資本がなければ生きていけない。なんと悲しい世の中であろうか。


 少々悩んだ挙句、僕はサラリーマン時代のつてやコネをフル活用できそうな何でも屋を開業することにした。


 手に職をというのもそうだが、開業の最大の目的は『人との関わりを絶やさない』ということ。適応障害になってわかったことだが、やはり一番大事なのは人と関わることだと気づかされた。


 事務所を開業するにあたり、ありとあらゆるコネをフル活用し、南九州随一の繁華街である天文館の一画にある三階建てテナントビルの二階を見つけ、借りることができた。築三十五年・面積二十五坪、しかも一階の駐車場一台込で家賃は驚きの十五万円。坪一万が目安の天文館では、破格の賃料の物件に運よく滑り込めた。


 そんな事務所で営むのは、一時間三千円、二十四時間パック四万円、一週間パック二十五万円で何でも請け負う何でも屋。


 屋号は〈探偵事務所〉。○○は名称未定と読む。つまり、〈名称未定探偵事務所〉。


 何も思いつかなかったので、かっこいい名前を絶賛募集中。


 ちなみに開業したのはつい先週の話。客だの営業だのはとりあえず開業してしまってから考えればいい。銀行員時代の蓄えと、ちょっと手を出した投資が良い感じなのでなんとか生きていける。テナントビル二階の事務所は実質的な僕の棲み処も兼ねているので、家賃十五万に光熱費とマイカーローン返済と奨学金返済と食費で、しめて一ヶ月の運転資金は二十三万から二十五万円。なんとかなる数字だ――と思い込んでいる。


 まあ、なんとかなるだろう。最悪、ファイナンシャルプランナー一級の肩書を持っているし、退職して時間ができたから、勉強して国家資格の中小企業診断士でも取れば、食い扶持は見つかるはずだった。


 ちなみにこの話は両親、というか家族にはしていない。仕事をやめたことだけは言ったが、僕が何でも屋になったことは言っていない。両親は放任主義なので、たまに連絡を寄越しさえすれば何も言わない。いい家庭に生まれたものである。


 何でも屋になったこと――〈○○探偵事務所〉を開業したことは、今のところ、両親はおろか、近しい人間にはまだ誰にも言っていないつもりだった。しかし、どうやら悪友の市倉には喋ってしまっていたらしい。正直、まったく記憶に残っていない。あいつと飲み明かすときは、いつもどちらかが潰れるまで飲み、潰れなかったほうは潰れて死にかけている相手を肴に自分で勝手に潰れる。蛇口をひねると芋焼酎が出るとまことしやかに囁かれる薩摩隼人の血を引いているふたりだから、そうなるのも必然だった。


 市倉は、この鹿児島――天文館で、祖父から受け継いだ喫茶店〈アクト〉を経営するオーナーだった。アクトのスペルは小文字でa、c、t。


 電車通りから少し外れた一方通行の路地。そこのビル一棟が市倉の祖父の持ち物であり、その一階に喫茶店〈アクト〉はあった。二階はテナントになっており、僕は何でも屋の事務所としてそこを使うこともできたのだが、喫茶店の上に探偵事務所を構えるのはベタすぎて嫌だった。そもそも駐車場がないので論外である。


 そんな〈アクト〉の入り口の扉にかかっている掛け看板には、思いっきり『CLOSE』と書かれていた。


 二歩下がって、喫茶店の外観を確認。たしかに『CAFE act』と書かれている。


 なぜ平日のこんな時間に閉店してるんだ。とはいえ、オーナーが市倉ならしょうがないか。彼女は猫みたいなものだ。気まぐれなのだ。


 僕は普通に扉を開けて中に入った。カランコロンカラン、と鈴の音が響いた。


「遅かったね」市倉はカウンターの向こう側から僕に声をかけてきた。「せっかくだし、あんたの貸し切りにしといたよ」


「サボりたかっただけだろ」


「失敬な。私はいつだってあんたのことを思ってあげてるんだよ」


 市倉は顔を上げず、ただひたすらコーヒーカップを磨きながら、僕をカウンターへと誘導してきた。


「なんかちゃんと喫茶店の人間だな。動画投稿者には見えん」


 襟付きベストにネクタイをキメた長身女性。パンツスーツ。髪の毛はいつもと違う真ん中分けにポニーテール。まさに接客スタイル。よれよれのジャケットに糊のきいていないスラックス、ノーネクタイの僕とはまさに正反対だ。


「似合ってるでしょ? 天職だと思ってる」


「天職って、結局どっちが本業なん?」


「喫茶店が副業。動画のほうが本業よ。ってかこの話しなかったっけ?」


「したかも」


「あんたが探偵になるって話をしたのは覚えてないのに?」


「それはマジで覚えてない」


「『市倉ちゃーん! 助けてー! 探偵になるっていうのに何にも準備できてないよー! ぴえーんぴえんぴえん!』って泣いてたのに?」


「それは僕の真似か?」


「泣きながら私のおっぱいに顔をうずめてたのに?」


「お前、僕が覚えてないからって好き放題事実を作り変えるなよ?」


「本当だって。ちなみに閉店中の様子は、全部壁についてる定点カメラで録画してるからね。喫茶店のチャンネルも作ったの。『アクトの日常』って感じで編集して動画アップするから。もち声も入ってるよ」


「ふざけんな」


 僕はここに何をしに来たんだろうか。


 市倉はふふっと笑って、僕にコーヒーを出してくれた。百円ショップで買ったようなマグカップで。


「さっき近くの百円ショップで買ってきたマグカップだから大事に使ってよね」


 本当に百円ショップで買ったマグカップだった。


 市倉は喫茶店を引き継いでまだ一年かそこらだというのに、コーヒーの腕だけはやたらとよかった。だからマグカップで出されたコーヒーも、普通に一杯六百円は出してもいいクオリティである。いや、原価を考えると八百円でもいいところか。


「私が好きな探偵はフレンチ警部と刀城言耶」


「いきなりどうした」


「私が好きな探偵はフレンチ警部と刀城言耶。だからあんたも私と事件解決したいと思ったらそういう感じでお願いね」


「残念ながら僕が好きな探偵はフィリップ・マーロウと柚木草平なんだよ。相容れないな」


「えー。じゃあ百歩譲ってペリー・メイスン。私はデラ・ストリート」


「なんで僕がお前を雇う前提なんだよ。というかお前は助手なんてたちじゃないだろ。どっちかって言うとポール・ドレイクだろ」


「この喫茶店が潰れたら雇ってよ」


 市倉は真顔でそんなことを言った。僕が何も言わないと、市倉は肩をすくめた。


「そもそも探偵ってさ、あんた、殺人事件でも解決するの?」


 市倉はカウンター向こうでスツールに腰を下ろし、自分用の高そうなコーヒーカップでコーヒーをすすった。


「違うんだな。探偵事務所ってのは、何となくかっこいいから名乗ってるだけ。本当は何でも屋なんだ」


「何でも屋?」


「頼まれれば何でもする。基本的には人間の想像力で思いつくどんな依頼でも僕ができるものであれば受けつける。そんな何でも屋」


「へえ。いくらで?」


「一時間三千円。二十四時間パックで四万円、三万二千円お得。一週間パックで二十五万円、三万円お得。こんな感じ」


「その値段で本当に何でもするの?」


「マジで何でもする。NGなし」


「へえ。何でもするんだったら安いかもしれない。NGありのデリヘルが一時間一万から二万することを考えると」


「なぜ風俗で例える」


「伏線かもよ?」


 市倉はふっと笑い、自分のコーヒーをすすった。僕もつられてすする。マグカップなので量は多い。しかも市倉はなみなみと注いでくれたので、当分おかわりはいらない。


 こんな話をしに来たんじゃない。僕はわざとらしく咳払いをすると、市倉は急に真面目な顔になった。


「で、私はあんたを祝福するために呼んだんだけど、あんたの相談もあったよね」


「その酔いつぶれたときに話してたやつ?」


「探偵事務所のプロモーションを手伝ってくれ、ってやつ」


「それは――」


 プロモーション。僕がおそらく一番苦手なもののひとつ。事業を起こしたのに、最初に何をすればいいかわからない。無計画性が露呈してしまっている。


「――ぜひお願いします」


 そもそも市倉に対して恥じらいなんて一切ない。市倉は仮にも喫茶店オーナーで、それでいてその正体はチャンネル登録者数三十万人を誇るれっきとしたYouTuberだ。そんな人間の助けを借りることができるなら、借りたほうがいい。何でも屋のPVでも何でも作ってくれるなら作ってくれ。いくらでも金は払う。


「ひとつ思いついた」市倉は人差し指を立てて言った。「最初にどかんと大きなキャンペーンをかまして、それで話題性を作ればいいんだよ」


「大きなキャンペーン? たとえば?」


「できるだけ極端なものがいい。そうだね――『先着一名様限定、依頼料98%OFF』キャンペーンなんてどう?」


「九十八、だって――?」


 一時間三千円の九十八%オフは、六十円。一時間働いて売上がたったの六十円。衝撃の値段である。それは――


「――ありだな」僕は呟くように言った。


「え、一発採用?」


「普通にありだと思う。ネット通販のお祭りデーですら九十八%オフなんてやらないでしょ。話題性としては十分じゃない?」


「え、やった、なんか自分が褒められてるようで嬉しい」


 両手でガッツポーズをする市倉。こんなかわいらしい仕草するやつだっただろうか。すでにキャラ崩壊してないか――と思ったところで、この喫茶店には市倉の動画ネタ用のカメラが回っていることを思い出した。それならばこの違和感しかない仕草にも納得がいく。


「市倉、お願いなんだけど、そのキャンペーンでチラシとポスターも用意してくれないか? アイデア料も含めて、金は払う」


「いくら?」


「言い値を払う。さすがに高すぎたら、分割払いを許してほしいけど――」


 市倉は自分の顎に指をあて、天を仰ぐように天井を見た。うーん、と唸りながら何か考え事をしていた。


「ははあん。そうだよね」市倉は顎を上げたまま、目だけでちらりと僕を見た。「もうひとつ思いついた。今日の私、冴えてるかも」


「もう一つ? 何?」


「それはまだ内緒。ちょっと私の考えもあるから、さっきの九十八%のアイデア料は無料でいいし、何ならチラシとポスターも全部タダでデザインしてあげる」


「どういう風の吹きまわし?」


「友だち以上恋人未満の男の頼みを無下にできるわけないでしょうに」


「普通に親友って言えよ」


「私のこと親友って思ってくれてるんだ、へぇ」


 市倉はふふんと鼻を鳴らすと、手許に置いていたノートPCを開き、何やらすごい勢いでキーボードを叩き始めた。もうすでにチラシ、ポスターのデザインの作成に取りかかったらしい。仕事の早い女である。


 タダほど高いものはない。そんな当たり前の事実を、僕はこのとき、すっかり失念してしまっていた。そのせいで、最後の最後にしっぺ返しを食らうのだが、そんなこと、こんな序盤で知る由もなかった。

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