第7話 アヒルに混じる白鳥

「……以上をもちまして、サンクタム・リボーン・オーダー講演会を終了させて頂きます。リゼ様の声に賛同して下さる方は、そのまま座ってお待ち下さい。なお、お手洗いは……」


 アナウンスと共に講堂の電気がつけられ、怪しげな雰囲気に包まれた空間は白い壁に囲まれた部屋に戻る。

 リゼは俺が呆然としている間に壇上からいなくなってしまった。


 多くの客は興味を失ったのか、ぞろぞろと帰っていっていた。

 特に剣を見せられたあたりからは、鼻で笑う声も聞こえ、立ち上がって出口に向かっていく人が多かった。

 入口に立つスタッフは笑顔で扉を開け、彼らを止めない。


 だが、わずかに残った十数人の男たちは、自分の席から立ちあがらずにそのまま残っていた。

 リゼがいた白い壇上を見つめて、ぼんやりとしている者もいれば、うつむいて顔を覆っている者もいる。


 隣にいた、スマホでゲームをしていた青年は既にいない。

 だが、左側の席にいる小柄な男は、俺と同じように残っていた。

 彼もまた、リゼのいない演台をぼんやりと見つめるひとりで、興奮か悲しみか、荒い鼻息を止められずにいる。


 みんな、自分の意志で残っているというよりは、帰れない、というような目をしていた。

 ここにいることだけが正解なような……帰ってもここよりいい場所はないと分かっているような。


 俺は──どちらかというと、うつむいて自分の両膝を見つめる側の人間だった。

 

『私はあなたのことを知っています。あなたがどれほど努力してきたか。誰にも気づかれず、見捨てられてきたか。どれほどたくさんの大切なものを諦め、泣いてきたか……』


 リゼの声が、頭の中でエコーのように反響する。

 俺が苦しんでいることなんて、誰しもが唾を吐きつけてきただけだったのに、美しいリゼはまっすぐにそれを認めてくれた。

 


    ・ ・ ・



 人生が狂った原因はなんだったのだろう。

 

 オタクになったから? コミュニケーションが下手だから? 忘れっぽいから? 前向きになれないから?


 それのどれもが正解だとしても、まず一番最初に俺の人生の汚点になったものは「ブス」だろう。

 いつだって俺は親からもご近所からも「目つきが悪くて不愛想ね」と言われ続け、鏡を見るたび肌の汚さやアトピーのゴワつき、剛毛でボサボサの髪や眉毛に心を折られていた。

 幼稚園の頃はそれでよくても、小学校に入ると自分より肌が綺麗で髪がサラサラで目が大きな男子がこれほどいるのかと思い知らされた。


 父親はいつの間にかいなくなっていた。

 母親は「もう雪人だけのお父さんじゃなくなったらしいから」とぶっきらぼうに言い放ち、俺と同じアトピーで荒れた肌を掻きながら文句ばかり言っていた。

 知らない女との間に俺の知らない弟か妹を作ったことで家を出た父親は、それ以来一度も会っていない。


 好きなものはあった。漫画やゲーム、アニメといったサブカルだ。

 幻想の世界ではなんでもできる。何にだってなれる。どこまでも強くなれるし、どこまでも輝ける。仲間たちと一緒に戦える。

 だけど現実では机にかじりついてノートに剣や勇者の絵を描くことしかできず、ドッジボールでは動きが遅くて狙いやすいからと集中攻撃を食らい、仲間と共に戦うどころか敵扱いだった。


 体育で戦えない者同士、同じ漫画が好きな仲間ならいた。

 みんなで絵や漫画を描き、それを読み合い、自分がもしゲームの世界の主人公ならこうなりたい、という理想の設定をノートに書いていた。


 だが、周りの陽キャな男子たちのいい遊び道具になったのか、絵をノートに描いている途中に横から奪われ、回し読みされては「へったくそー!」「こんなん俺でも描けるよ」「この女胸でかすぎだろ!」「これお前? 自分のつもり?」と笑われ、ぐしゃぐしゃになって返された。

 皺だらけのノートを見て、俺ができることは、呼吸をすることだけだった。


 勉強もできず、運動もできず、話も下手で、流行には興味がない、チビでブスでオタク。

 そんな俺でも人並みに彼女は欲しかったが、できるわけがなかった。どうすればできるのかさえ知らなかった。


 それなりに片思いをしていたこともあったが、オタク友達と話しているところを別の女子に聞かれ、本人の耳に入ってしまったことが地獄の始まりだった。

 女子全員からは気持ち悪がられ、男子からは笑われ、本人は俺の見ていないところで親友を相手に泣いていた。


 俺に父親を重ねてイラついてばかりの母親から逃げ、第二志望の大学に受かると同時に一人暮らしをしてから、実家には一度も戻っていない。


 成績も悪く、ろくな資格も持っていない俺でもどうにか拾ってくれた会社では、勤続十年が経っても何も役職をもらえていない。


 元々の忘れっぽさや要領の悪さ、マルチタスクが一切できない、突然予定を変更したり仕事を増やされたりするとパニックになる……そんな上司の俺を追い抜いて、部下ばかりが昇進していった。

 毎日のように怒られる俺は、ただ日々の仕事をこなすだけで精一杯で、家に帰って寝ることが何よりの至福のゆとり世代だった。

 

 そして、一ヶ月前の企画書盗作。

 その夜に起きた、咲優輝さゆきの事故。


 立って生きているだけでギリギリだった俺を救ってくれたのは、俺の部屋の優しい本棚に並べられた異世界転生ものの小説たちだった。


 本の背表紙に手を伸ばす時だけ、俺は幸福な勇者でいられた。


 今度は、その異世界からやってきたという美女の方から、俺に手を差し伸べてくれている。


 思うことはいくらでもある。

 だが、これまで誰からも求められなかった俺のことを、本気で来てほしいと願っているリゼの話を、もう少しだけ聞いてみようと思ったのだ。


 ここで帰っても、またあの本棚に俺から手を伸ばさなければ、優しく楽しい幻想の世界はやってこない。

 文字の中に救いを求める生活が繰り返されるだけだ。


 ──俺に向かって手を伸ばしてくれている夢の手を、どうして振り払うことができるというのか?


 自分はアヒルに混ざった白鳥なのだと信じていたい。

 いつかアヒルたちの悔しがる顔を見ながら、美しい翼をはためかせて飛び立ちたい。

 貴方は白鳥だ、と教えてくれる人がいないと、いつまでも下を向いて濁った水の上を泳ぐだけだ。


 彼女の手を掴みたい。


 その先にあるのが透明な闇だとしても、俺が時間をかけて描いた漫画をしわくちゃにして笑うクラスの男子たちよりは、よっぽど信じてもいい相手のはずだ。


 俺は壇上の演台を見た。

 ぽつんと残されたマイクスタンドが、そこにリゼがいたことを思い出させてくれた。

 

 

    ・ ・ ・



 やがて再度アナウンスが流れ、俺たち残留者は一斉に立ち上がった。


「皆様には参加フォームにご入力頂くため、専用サイトにアクセスして頂きます。後方のテーブルにスタッフがおりますので、お見せするQRコードをお手持ちのスマートフォンでスキャンして下さい。なお、本日の講演会参加者以外のアクセスを防ぐため、撮影は厳禁とさせて頂きます」


 会場の後ろ側の壁に沿うようにして、入り口にあった事務テーブルが並んでいた。そこには同じスタッフたちが並んでいて、手にはQRコードが印刷された紙を持っている。


「参加者の皆様はこちらにお並びください! コードは同じなので、空いている列にお並びください!」


 声に応じて、男たちが戸惑いながら後方へ歩いていく。

 俺はなんとなく一番近い列に並んだが、その先にいるのが入り口で話しかけてきた男、ライナだと分かると、少しだけ高揚した。


 ひとりずつ、カメラでQRコードをスキャンしては去ってゆく。

 俺はじりじりと進む列の先で、ライナに話しかける準備をしていた。


「では次の方……ああ、ユキさん!」


 ライナは相変わらずの細マッチョぶりを見せるように、俺の腕を掴んだ。

 笑顔でそれをぶんぶんと縦に振られて、肘の関節が痛い。


「途中で帰らないでいてくださったんですね! うわあ、やばい、めっちゃ嬉しい! 僕たちの願いに賛同してくださってありがとうございます!」


 この底抜けに明るい陽キャが昔から苦手だったが、今は嫌な気分ひとつしない。

 むしろ、そんなに喜んでくれるなんて、と嬉しくなってしまう。


「まあ、俺みたいなのでよかったら、話聞くだけでもって……」

「とんでもない! あんな素晴らしい小説を書く人が、俺みたいなのなんて言っちゃ駄目ですよ! 『こんな異世界転生は絶対認めないので、最強になって早々に引退させてもらいます』はもっと世に出るべき傑作です!」

「いいいいいいいからほら早く後ろ詰まってるから」

「うわ、ごめんなさい、俺またやらかした!」


 ライナは大慌てで俺の手を離すと、QRコードの紙を俺に見せてきた。


「はい、これをスキャンしてください! 撮影しないでくださいね!」


 緊張しているように高鳴る心臓を抑えこみながら、俺はそれをカメラで読み取り、ブラウザアプリで開く。

 よく見かける個人情報入力フォームの画面が出てきて、いよいよ後に引けなそうな予感がした。


 だが、引けないところまで進んだのだとしても、それは前進のひとつだ。

 それに、引いて戻る場所なんて、元からないに等しい。


「出口はあちらです! 後日連絡が来るので、それまで待っててくださいね、ユキさん! また会いましょう!」


 ライナが相変わらず、尻尾を振り回す子犬のように俺に構ってくれる。嬉しいが、恥ずかしい。


 だけど、ライナが俺のことをどこまでも褒めてくれる言葉のひとつひとつが、リゼの言葉に重なってじんわりと肌になじんでゆく。


 入力フォームを下にスクロールしていきながら出口に向かって歩く。

 顔を上げると、出口の観音開きのドアのすぐ横で、きらりと輝く白いドレスが見えた。


 リゼだ。

 帰ろうとする参加者たちひとりひとりに声をかけている。


 俺は一瞬、戸惑いに足を止めたが、出口はそこしかない。

 苦し紛れに髪を手で整え、一歩を踏み出した。

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