幼なじみの伯爵令息が草むしり担当の私に突然プロポーズしてきたのですが!?【カクヨムコン版】

平瀬ほづみ

第1話 草むしり担当と伯爵令息 上

 青い空に白い雲が流れていく。サンドラは額の汗を拭いながら、広大な庭園の隅で黙々と草むしりを続けていた。

 栗色の髪の毛を無造作にお団子にし、大きな帽子の中に押し隠している。他の庭師と同じ作業服を着ているが、十八歳のうら若き乙女だ。

 しかし女の身であるばかりに、任されるのは草むしりと水やりだけ。庭師の祖父が「造園業は女の子には向かない」と言って、仕事をさせてくれないのだ。


「また今日も草むしりか」


 サンドラは溜息をつきながら、頑固な雑草を力任せに引き抜いた。

 本当は花壇の配置を考えたり、季節ごとの植え替えプランを立てたりしたいのに。そんな彼女の不満を知ってか知らずか、庭に植えられた薔薇たちは今日も美しく咲き誇っている。


「サンドラ!」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、金髪の青年が息を切らしながら走ってくるのが見えた。ユリアン・ローゼンベルグ、十八歳。ローゼンベルグ伯爵家の跡取り息子で、サンドラの幼なじみだ。


 サンドラは小さい頃から庭師に憧れており、祖父にくっついて祖父が庭を管理しているローゼンベルグ家に出入りしていた。

 ローゼンベルグ家の庭はとても広くて、美しくて、大好きな場所だ。

 そのお屋敷の一人息子であるユリアンと顔なじみになるのに、そう時間はかからなかった。


 心優しいユリアンは父親や家庭教師に怒られるたびに、隠れてべそべそ泣くタイプだった。そんな姿を見てしまっては無視もできない。

 サンドラはよく、泣くユリアンの横に座って話を聞いたものだ。

 話の内容はだいたい理不尽で、どうしてそんなことでユリアンが怒られなければならないのだろうと思うものが多かった。自分は貴族でなくてよかったなぁとも思ったし、そんな理不尽な世界でずっと生きていかなくてはならないユリアンに同情もした。


 そんなユリアンも成長し、十二歳の春には王都の学校に進学。

 夏休みと年末年始に帰省してくる以外では顔を合わせなくなったものの、不思議なことに二人の身分差を超えたゆるい友情は続いていた。


「どうしたのよ、そんなに慌てて」


 サンドラは立ち上がって手についた土を払った。ユリアンは相変わらず優しげな顔立ちで、どこか頼りない雰囲気を漂わせている。

 王都の学校を卒業して戻ってきてから、以前にも増して繊細な印象になったような気がした。


「父上と言い合いになってさ。例の見合いの件で。それで、サンドラの顔を見たくなった」

「私って、あなたの精神安定剤なの? まあ、でも、マーガレット嬢との話ならしかたがないわね」


 マーガレット・ベルクハイム伯爵令嬢。美しい外見と由緒正しい家柄を持つ、誰もがうらやむ令嬢だ。しかし、サンドラには彼女のことを素直に認められない理由があった。

 実は、一時期、このマーガレットがユリアンを泣かせる理由第一位だったことがあるのだ。


 子ども同士で親交を深めるお茶会にて、ユリアンはよくマーガレットにいじめられていたのである。

 いじめられていた時には我慢して、屋敷に戻ってから庭に隠れてぴーぴー泣くのがユリアンだ。それを見つけて慰めるのがサンドラ。

 だから、サンドラはユリアンを嫌な目に遭わせた人間をわりと覚えている。


「父上いわく、好きな子の髪を引っ張ったり、服を汚したりすることはよくあることらしいんだ。もう子どもじゃないからそんなことはしないだろうから、そろそろ許してやれってさ」

「えー、なんでいやなことをしてきた人を許さないといけないのよ。というより、なんであなたもいやならその見合い話を断らないのよ」

「家のことを考えると、そう簡単には断れないんだよ」


 眉毛をハの字にするユリアンに、サンドラは額に手を当てた。比喩でなく頭が痛い。


「好きじゃないどころか、そこまで苦手意識が強い人と結婚したら、きっと苦労するわよ。嫌ならビシッと断りなさいよ、ビシッと。男でしょ」

「だから、それができたら苦労しないんだってば」


「ユリアン様、こちらにいらしたのですね」


 そんな二人の会話を遮るように、凛とした声が響いた。

 振り返ると、そこには栗色の髪を優雅に結い上げた美しい女性が立っていた。上質そうなデイドレス。背後にはおつきのメイド。


「マーガレット嬢。わざわざこんなところまで?」


 ユリアンが呼び掛けたので彼女が件の「好きだからいじめちゃった」令嬢だと知る。名前だけは昔から知っていた。

 十八歳とは思えないほど大人びた雰囲気を持つマーガレットは、サンドラに冷ややかな視線を向けた。


「平民の小娘と何をお話しになっているのですか」


 マーガレットの声は表面的には丁寧だったが、明らかに不快そうだった。


「婚約者となる私を差し置いて、このような身分の低い女性と親しくなさるなど、言語道断です」

「マーガレット嬢。まだ婚約していませんし、サンドラは幼なじみなので」

「だからこそ問題なのです」


 ユリアンの言葉を遮り、マーガレットは一歩前に出た。


「使用人に対してもそのような軟弱な態度では、伯爵家の跡取りとしての威厳に欠けるというものです」


 ――軟弱ですって?


 聞き捨てならない言葉だ。

 ユリアンの優しさは彼の最大の美徳なのに、それを否定するなんて。


「ユリアン様は軟弱なんかじゃありません。それは思いやりというものです」


 サンドラは思わず口を開いた。


「黙りなさい。平民の分際で貴族の会話に口を挟むなど、身の程知らずにもほどがあります」


 マーガレットは氷のような視線をサンドラに向けた。


「マーガレット嬢!」

「ユリアン様、平民には平民らしい振る舞いをさせることも、貴族の仕事です。あなたは貴族としての仕事を放棄しているとも言えます。私と婚約した暁には、あなたのことも貴族としてしっかり再教育するつもりです」


 諫める声をあげたユリアンを遮るとそう言い残し、マーガレットは踵を返して立ち去った。

 後に残されたサンドラとユリアンは、しばらく無言で彼女の後ろ姿を見送った。


「ごめん、サンドラ。マーガレット嬢があんなことを言うなんて」


 しばらくして、ユリアンが申し訳なさそうに呟く。


「いいのよ。言われ慣れてるから」


 サンドラは無理に笑顔を作った。

 ユリアンがサンドラと親しくしていることは、一部の令嬢令息は知っているし、それを快く思わないユリアンのもいるのだ。

 ユリアンがマーガレットと結婚することになったら、もうこうして気軽に話すこともできなくなるのだろうか。


***


 マーガレットと遭遇して数日が経った。

 サンドラは相変わらず庭で草むしりをしていたが、ユリアンが顔を見せることはなかった。きっと父親や婚約者候補から、平民との交際を控えるよう言われているのだろう。


「まあ、仕方ないか」


 サンドラは諦めたような溜息をつきながら、しつこく生えてくる雑草と格闘していた。

 不意に手元が翳る。

 なんだろうと顔を上げたら、マーガレットが立っていた。

 近付いてきていることにまったく気が付かなかった。


「あなたに話があります」


 マーガレットは単刀直入に切り出した。あたりに連れらしき人影もないから、一人でやってきたらしい。


「私にですか?」


 サンドラは手を止めて立ち上がった。


「ユリアン様から離れなさい。あなたがいるから、ユリアン様はいつまでも軟弱なままなのです」

「それは違います。ユリアン様は軟弱なんかありません。見かけに騙されないでください」

「見かけに騙されているのはあなたの方です。平民の分際で、貴族の本質がわかるとでも思っているのですか」


 マーガレットがぎろりとサンドラを睨む。美人が台無しだ。もったいない。


「私は、ユリアン様のことを子供の頃から知っています。失礼ですが、マーガレット様はおいくつの時からユリアン様と親しくされておりますか? 社交の場だけでの交流ではありませんか?」


 その言葉が、マーガレットの気に障ったらしい。彼女の顔が怒りで歪み、突然近づくとサンドラが持っていた草むしり用の熊手を掴んだ。


「何を……っ」


 サンドラが驚く間もなく、マーガレットはサンドラの手ごと自分のスカートに熊手を引っ掛けて、勢いよく引き裂いた。

 美しい水色の絹のスカートが大きく破れる。

 あまりの出来事に驚いて固まるサンドラを突き飛ばし、マーガレットが大げさに悲鳴を上げた。

 強い力ではなかったので、数歩、サンドラはよろめいて離れた。


 その声に、離れた場所で作業をしていた庭師たちが駆けつける。

 マーガレットは涙を浮かべながら、破れたスカートを押さえて震えていた。


「お嬢様、どうなさいました」

「この娘が、私に暴力を振るったのです。道具で私のスカートを破いて」


 マーガレットは震え声で言った。


「そんなことはしていないわ。あなたが自分で破いたんでしょう!」


 我に返ったサンドラは叫んだが、マーガレットのドレスは破れ、サンドラの手には熊手がある。状況的には、サンドラが襲ったようにしか見えない。

 庭師たちは困惑しながら、二人の娘を見つめた。


「お嬢様、怪我はございませんか」


 最後に駆けつけた年配の庭師――サンドラの祖父が――マーガレットにたずねる。


「幸い、怪我はありません。ですが、このようなことがあっては、安心して庭を散策することもできないわ」


 マーガレットは弱々しく答えた。


「サンドラ、おまえはしばらく庭の仕事を控えなさい」


 祖父はサンドラの言い分を聞くことなくそう決定を下した。

 なに、それ。


「これで少しは身の程がわかったでしょう」


 マーガレットは去り際に、誰にも聞こえないよう小さく呟いた。


 ――なに、それ……!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る