第8話 エレーナの講義

「エレーナ……」

「ジョークよ、大丈夫よ。今日は安全日?それ。ピルも飲んでいるから、赤ちゃんはできないわ」

「お、驚かすなよ」


「本気にしたわね?でも、祝福されない子供じゃお互いイヤでしょ?さすがに、ロシア軍は早速ベイビーを作れなんて言わないわよ。少子化対策じゃないんだから」

「やれやれ。しっかし、これ、どうなってるんだ?敵国の女性兵士とセックスしてしまった……」

「お互い合意の上でしょ?ヒロシが無理やり私を犯したわけじゃないもん」


「これがバレたら……」

「そうよねえ……この軍事行動が終わって、私が日本のゴシップマガジンに取材されたらどうしましょ?『戦時下で敵国同士の軍人がセックスしてしまったのをどう思いますか?』なんて聞かれたら?」

「エレーナ……」

「あることないこと?喋っちゃおうかしら?『ヒロシが私に淫らなことを強要しました』とか、『強引に私は犯されてしまいました』とか、『公に言えないような行為を何度も何度もさせられました』とか言ったらどうなっちゃうのかしら?『もう、私はお嫁にいけない体になってしまいました。鈴木三佐には責任を取ってもらいたいと思います』ねえねえ、それ、楽しいと思わない?ねえ、ヒロシ?」


「エレーナ、少佐、止めてください!」

「ヒロシ、覚悟することね。四百人の日本人と私の部下二百人にここに来るのを見られているんだから」

「俺をどうしようっての?」

「あら、言ったでしょ?私と結婚すればいいのよ。私、そんなに悪くないでしょ?」

「それで?俺をロシアへ亡命でもさせるのか?」

「それも言ったでしょ?私は日本に残って、ヒロシと幸せな結婚生活を送るの。ディズニーランドに言ったりして!裸エプロンって好き?そういうのもやってあげる」

「頭がおかしくなりそうだよ」


「大丈夫よ。なんなら、私、自衛隊に入隊してもいいわよ。ロシアの軍事情報の宝庫なんだから。通信士官だし、サイバー情報にも詳しい。スーパーバイザーとして市ヶ谷のSDF(自衛隊情報保全隊、陸、海、空自衛隊共同の防諜部隊)で採用してくれないかしらね?そうしたら、ヒロシと同じ自衛隊で共稼ぎ?共稼ぎできて、リッチじゃん!」

「よく知っているね?しかし、調査第二部(情報収集担当、隊員・家族の身上調査)で外国籍の配偶者に関する隊員の個人情報の把握で調査される。ハニートラップ対策で」


「ヒロシの妻ですもの、日本国籍を取得すればいいこと。ハニートラップって、こんな馬鹿馬鹿しいハニートラップがあると思う?」

「そういやぁ、そうだ。あけっぴろげのハニートラップなんてあるわけがない。わけがわからん。キミのところのジトコ大将は何を考えているんだか……」


 エレーナはヒロシの胸に頬をすり寄せながら、満足そうにため息をついた。「織り込み済みなんじゃない?例えば、戦後を見据えて、私の部隊の何人かが日本に結婚などで残った時、日本政府、公安、自衛隊は私たちの身分調査、身辺調査をするでしょう。軍事情報の聞き取りも。ジトコは、それを手土産にして、日本と仲良くしたいんじゃないかしら?戦後のことを考えて。ジトコからの友好の合図よ」

「そうなのかなあ?」


「深く考えても仕方がないわよ。私たち、少佐でしょう?少佐程度じゃ、戦略的なことは理解できないわ。それはお偉方にまかせておきましょうよ。あ~、気持ち良かった」とエレーナはうつ伏せになって枕を胸にかき込んだ。


 しばらく、職員室に設置されたベッドで、放心状態のエレーナ少佐だった。「う~ん、久しぶりの日本人。やっぱり日本人は最高ね!インパクトドリルみたいに腰を振って身勝手に短時間で逝ってしまうロシア人男性とは違うわ」

「エレーナは日本人との経験があったんだ?」

「うん、私、モスクワ大学出なの。通信工学。同級生に日本人留学生がいて、彼と一時恋愛関係にあったわ。でも、ヒロシは彼よりも良いわね。しっくり来る。体の相性、バッチリね!ヒロシのが私のにぴったりフィットする」

「エレーナ少佐、その、表現が直接的で卑猥なんですが?」


「ええ?付き合っていた日本人留学生は喜んだわよ?エッチな言葉を日本語で言われるとゾクゾクするって。私にはピンとこないんだけどなあ。日本人が英語でエッチな言葉を聞いてもゾクゾクしない、そういうことなのかな?卑猥に感じないのよ。私、半分日本人だけど、残り半分はロシア人だから、日本女性のようなたしなみはあまりありません。覚悟してね」

「おかしな人だね、エレーナは。いろんな異質なものを内包している」

「そういう自己矛盾を抱えた人生だったから。父と母の故国の血のなせるわざかしら。さぁって、まずは抱いてくださったのだから、ご質問があればお答えしますよ、ヒロシ」


「そうだなあ、では、この佐渡ヶ島侵攻作戦の目的は?」

 エレーナはベッドの上で体を起こし、シーツを胸に巻きつけた。まるで恋人同士のような仕草だった。「あなた方の市ヶ谷、彼らははバカだわ。ロシア軍が北海道に侵攻するなんて想定を長年しているのだから。私たちが精強な旭川連隊に抗して、道北、道東に上陸する理由はないでしょ?得られるものは少なく、自衛隊は待ち構えている。まるで、市ヶ谷は、北海道の陸上自衛隊の既得権益を守るために、ロシア軍の北海道侵攻を言い続けているみたい」


「それは事実だよ。もうすぐ本州からも戦車部隊はいなくなる、北海道の戦備も縮小されている。だが、陸自は今まで日本防衛を司ってきたのは自分たちだという自負がある。ここで、北海道に防衛の意味がない、などと言えないじゃないか?北海道民だって、そう思うだろう?だから、北方四島の領土問題も定期的に騒いで、ロシアの軍備拡張が北海道水域に広がっている、なんてデマを定期的に流す必要があるのさ」


 エレーナは小さく舌を出して笑った。「じゃあ、簡単ロシアの北海道に対する見方を説明するわね。モスクワは相変わらず『北海道侵攻シナリオ』に固執してる。でも、東部軍管区の本音は違うの。ウクライナで消耗しすぎた東ロシアの若者はもう限界。モスクワは西部ロシアの兵士を温存して、東部の兵士だけを死なせてる。これ以上、モスクワの言いなりになると思うなよ、ってジトコは本気で思ってる」


 彼女は指でヒロシの胸をツンツン突きながら続けた。「だから、この佐渡ヶ島作戦は二重の意味があるの。一つは北京へのモスクワの『貸し借りの返済』。もう一つは、モスクワへの東部軍管区からの『実力行使のデモンストレーション』。もしモスクワが東部を切り捨てるようなら、極東は独自路線を取るって脅しよ」

「独自路線って……独立?」

「独立までいくかどうか、モスクワ次第ね。事実上の自治国家になる可能性はある。或いはプーチンの態度が悪ければ独立。ジトコはすでに沿海州・ハバロフスク・サハリンの三州で独自の経済圏を作ってる。中国マネーも取り込んでるし、日本とも裏で話がついてるって噂もある」


 ヒロシは思わず身を起こした。「日本と?」

「高市政権になってから、裏ルートで接触してるらしいわ。防衛省の別働隊がウラジオに来て、ジトコと会ってるって話よ。内容は『台湾有事になったら、ロシア極東は中立を保つ。その代わり、日本は北方領土問題を棚上げして、経済協力を約束する』って」

「そんな話が……?」

「信じられない? でも、2025年12月現在の日本の防衛力は、昔とは別物よね?」


 エレーナは指を一本ずつ立てながら、まるで授業をするように話し始めた。「まず、北海道の陸上自衛隊はもうロシアを仮想敵とした北方重視じゃないでしょ?2025年度防衛予算は過去最高の11.2兆円。うち南西諸島向けが4.8兆円。北海道向けは1.1兆円に激減したのよね?」


 彼女はロシア軍の暗号化端末のスマホを取り出し、防衛省の最新資料をスクロールしながら続けた。「旭川第七師団は定員9,800人だけど、実員は7,200人。戦車は90式がわずか48両。10式戦車は全国で120両しかなくて、ほとんどが南西に回ってる。旭川第2師団はもうロシアに対する『北方師団』じゃない。2025年10月に『機動師団』に改編されて、16式機動戦闘車と水陸機動団の訓練ばっかりしてる」


「つまり……」

「帯広第5旅団も同じ。札幌第11旅団も。北海道に残ってる戦車は全部で90両ちょっと。しかも冬期は整備で半分は動かない。昔の『北海道=戦車天国』は完全に過去の話」エレーナは得意げに笑った。「それに、空自も。千歳の第2航空団はF-15Jが24機だけ。残りは三沢と小松に移動済み。F-35Aは全国で72機あるけど、北海道には6機しかいない。残り全部、南西諸島と本土西側に集中配備よね」


「海上自衛隊はそれほどでもないはずだが?」

「護衛艦隊は52隻あるけど、佐世保と呉に38隻。北海道周辺は『おおなみ』級2隻と『もがみ』級FFMが数隻回ってくるだけ。潜水艦は22隻あるけど、常時北海道近海にいるのは2隻だけ」


 彼女は最後に、決め台詞のように言った。「つまりね、ヒロシ。もし今ロシアが本気で北海道に侵攻したら、自衛隊は『守りきれない』って結論が出てる。もちろん、我々ロシアは北海道に侵攻しても兵站の問題で『占領を保ち続けられない』ということだけど。だからこそ、市ヶ谷は必死に『ロシアは北海道に来る!』って言い続けてるの。北海道向けの予算を確保するためにね」


 ヒロシはエレーナに指摘されて、あらためて手薄な北海道の戦力に呆然とした。「じゃあ、佐渡ヶ島は……」

「そう、佐渡ヶ島はコストパフォーマンスが最高なの。距離はウラジオから783キロ。北海道の根室までより近い。補給線は短い。守備兵力はたった80名。しかもレーダーサイトだから戦闘部隊じゃない。占領すれば首都圏・関西までスカッドの射程に入る。そして、何より……」エレーナはヒロシの耳元でささやいた。「日本政府は離島防衛と言っても、佐渡ヶ島は優先順位が低い。与那国、石垣、宮古、尖閣……あっちに全部予算と戦力を取られてる。佐渡に即応部隊を出す余裕なんて、ないのよ」


「ロシア軍も同じく。ジトコ以外は北海道を考えているけど、北海道になんの意味があるの?あそこを占拠したって、面積が広いだけで、経済活動も本州ほどじゃない、資源があるわけもない。占領にコストがかかるだけよ。それに引き換えて、佐渡ヶ島は、あなた方空自が80名、駐屯しているだけ。佐渡ヶ島の離島防衛じゃなくて、アクティブレーダーの運用に駐屯しているだけ。だから、佐渡ヶ島。ウラジオの正面だし、北海道よりもはるかに近い。兵站も短い。今や、レーダーサイトがこっちのものだから、北朝鮮、中国、ロシアを監視していたレーダーが逆に首都圏、関西方面まで網羅している。自衛隊基地、在日米軍基地の動向までわかってしまう。だから、佐渡ヶ島占領なの。最低限の投資で、最大限の利益、これがビジネスの鉄則よ」


「うん、納得できるご意見だ。似たようなことを感じていたが、俺は空自、陸自の思惑を邪魔はできないし、たかが三佐だからね」

「お互い様。私だって参謀本部勤務じゃないもの。それと、佐渡ヶ島は、東京から550キロ圏。大阪もそうよね?550キロあれば、スカッドCなら射程距離でしょ?」


「スカッドCは通常弾薬だろう?Dは戦術核を搭載可能だが、射程は300キロ未満」

「でも、市ヶ谷は、CなのかDなのか区別できないでしょう?おまけに、射程を延伸させたDがあるかもしれないと疑心暗鬼になるじゃないの?」


「なるほど。それで、さっき言っていた東西ロシアの分裂の話って、なんなの?」

「知りたい?」

「知りたい」

「じゃあ、ちょっと教えてあげる。でも、もっとしてくれないと教えてあげないわ」


「ハイハイ、もっとしますから」

「オッケー。まず、この佐渡ヶ島上陸作戦は、モスクワの指示であって、ロシア東部軍管区は実行したくなかった。自衛隊と違って、ロシアの五大軍管区は一枚岩じゃないし、軍閥みたいなもので、モスクワの力が弱くなったら割拠も辞さないのよ。これは人民解放軍も同じ。ハイ、ここまで」


「え?何が?」

「一回抱いてもらった分は話したでしょう?もっと聞きたければ、二回戦目をお願いしたいわ。ほら、ヒロシのも元気になってきたことだし」

「エレーナ、話している間中、触られていたら元気にもなるよ」

「そうでしょう?これが欲しいのよ。ねえねえ、もっとする?」

「君たちロシア軍女性はみんなエレーナみたいなの?」

「あら、私はこれでも淡白な方。大多数は、悶々としているわ。だから、歩哨にたっているアンナだって、悶々よ。彼女、我慢できるかしら?私、声をあげちゃったし」


「あの美人さんが?」

「美人であろうとなかろうと、女性にも性欲があります、ヒロシ。軍務続きで、我慢できなくなるのよ。でも、あの子は駄目よ。ヒロシは私だけ。私と私の副官以外の部下は何人でもお試ししてもいいけど、あなたは私だけ。私もあなただけ」

「それは命令に入っているの?」

「いいえ、私が勝手に決めました。そのくらいは上官権限で決めていいじゃない?」とエレーナはジトコの指示なのに嘘を付いた。


「まったく、なんて女だ」

「まあ、いいじゃないの?さあ……もっと……」彼女はシーツを投げ捨て、ヒロシの上にまたがった。「さ、話は終わり。約束の二回戦目、始めましょうか?」

「ちょ、ちょっと待てエレーナ! まだ質問が……」

「ダーメ。もう話すことないもん。残りは……私の体に聞くしかないわ」


 職員室の外で歩哨をしていたアンナ軍曹は、顔を真っ赤にして立っていた。

(少佐……声がすごい……私、もう我慢できない……)


 同じ頃、体育館ではピンクリボンをつけたロシア女性兵士たちが、日本人男性に囲まれて、楽しそうに笑っていた。佐渡ヶ島占領から、まだ12時間も経っていなかった。

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