夏 百群 5
意外と水生家での集まりが長引いてしまったため、みひろとの待ち合わせ場所に到着したのは時間ぎりぎりだった。金時計前は待ち合わせスポットなので、何人もが人待ち顔で佇んでいる。そのうち女の子は一人だけだ。彼女に違いない。そう思って声をかけようとしたとき、誰かに、結んだ髪の毛の先端を軽く引っ張られた。振り向くと、二十歳くらいの前髪の長い男が、鈴蘭の髪の毛を持っていた。
「
そう呼び掛けてくる。君影は鈴蘭のハンドルネームだ。なぜこの男が知っているのだろう。
「まだ分からない?俺がみひろ。」
鈴蘭はあっけにとられた。
「みひろって男だったの?」
「女だと思ってたの?悲しいなあ。」
軽い調子でみひろが嘆いてみせる。
ネット上のやりとりは、確かに性別が分かりにくい。しかし、物事の感じ方や言葉の端々から、みひろは自分と同年代の女の子だと信じ込んでいた。男だと分かっていたら、会おうなんて思わなかったのに。
「みひろ、ごめん、私」
と鈴蘭が話しはじめると、それにかぶせるように
「俺が男だから帰るなんて言わないよね?」
とみひろに言われてしまった。
(こんな風に言われたら、帰れないじゃない…。)
「君影は俺が思ってた通りだね。髪の毛もすごくきれいだ。」
まだ手にしていた鈴蘭の髪を見つめながらみひろが言った。
「っ…離して。」
慌てて頭を振って髪の毛を奪い返す。
「俺、お腹減った。昼ごはんまだなんだ。付き合ってよ。」
そう言ってみひろは歩き始めた。仕方なく鈴蘭も後を追う。みひろが向かったのはハンバーガーのチェーン店だった。慣れた様子で注文し、あっという間に出てきたトレイを持って席に着く。トレイを見ると二人前のハンバーガーが載っていた。
「君影も食べるかなって思って、買っといた。」
「あ、ありがと…」
ファーストフードのハンバーガーを食べるのは初めてだ。
ずっと食べてみたいと思っていたが、指輪が体に悪いと言って許してくれなかった。食べてみると、少し味が濃すぎる気はするけれども、とてもおいしい。
「君影ってほんとの名前はなんて言うの。名前だけでいいから教えてよ。」
「鈴蘭です…。」
「あー、鈴蘭のこと君影草ともいうもんね。」
「みひろは、本名?」
「本名は実弘。実弘って書いてさねひろって読むんだけど、みひろとも読めるでしょ、こっちの方が可愛くない?」
みひろは、言葉遣いも中性的で、感性もどこか鈴蘭に近いように感じられて、話しているとだんだん当初の警戒心が薄れてきた。ずっとSNS越しにやり取りしてきて、人となりは分かっていたはずなのに、男性だからという理由で話そうともせずに帰ろうとした自分が少し恥ずかしくなる。
みひろは、鈴蘭が食べ終えるのを待ってから、古本屋に行かないかと持ちかけてきた。
「そこなら、鈴蘭が探してるって言ってた辞典があるかもしれない。ずっと案内したいと思ってたんだよ。ここからそんなに遠くないしさ。」
古本屋くらいなら行ってもいいかもしれない。鈴蘭が何気なく呟いたことを、みひろが気にかけていてくれたことが嬉しかった。
ハンバーガーショップを出て、みひろの案内する方に歩き出した。R駅から十分ほど歩いたところで、かなり怪しいエリアに差し掛かったことに鈴蘭は気付いた。いわゆる夜の店が多く、細い路地にはごみが散乱している。路上駐車している車も多かった。
「みひろ、ほんとにこっちの方なの?」
不安になって尋ねたときだった。車道に停まっていたワンボックスカーの扉が開いたと思うと、横を歩いていたみひろが、鈴蘭をその車のなかに突き飛ばした。車のなかには男が二人いて、叫ぶ間もなく、鈴蘭の口と手足を押さえつけた。混乱しながらもばたばたと抵抗していると、みひろが助手席に乗り込んできた。
「とりあえず口だけ塞いでよ。それで車出しちゃおう。」
みひろがそう言うと、口を押さえていた男が、ガムテープを鈴蘭の口にぺたりと貼り付けた。運転席にいた男が、車を発進させた。
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