夏 百群 2
家に帰ると、指輪が待ち構えていた。
「鈴蘭さま、明日はやはり僕も連れていっていただけませんか。僕は外で待っていますから。」
「しつこいなあ。紫苑ちゃんのおうちだから大丈夫だって言ってるでしょう。それより何度いったら鈴蘭さまって呼ぶのやめてくれるの。」
邪険に言う。指輪に着いてこられたら明日の計画がおじゃんだ。
指輪は風生家の書生だ。鈴蘭にとっては兄のような存在だが、指輪は鈴蘭のことを妹というよりも、守るべき主君とでも思っているようだ。やたらとどこにでも着いてこようとするし、何でも口出ししてくる。おそらく父から鈴蘭のボディーガードをやるよう申し渡されているのだろう。風生家は情報を売り買いしている。識字率が低かった時代から、風生家の者は読み書きに堪能で、かつ人脈が広かった。地域で起こる様々なことを何代にもわたって記録し続けた結果、風生家は情報がほしいとやって来た者に対し、対価として金銭や情報を要求するようになった。情報屋の始まりだ。情報はますます集まり、風生家はどんどん裕福になった。IT業界にも早くから参入している。
情報の中には、誰かにとって不都合なものもある。それを売られると困る人間が風生家の者を害しようとしても不思議はない。鈴蘭などは格好の標的だろう。誘拐して風生家を脅迫すればいいのだ。父が鈴蘭にボディーガードをつけようと思っても不思議ではない。ただ、それにしても指輪は過保護すぎる。中等部までは、学校への送り迎えもされていた。高等部では勘弁してくれ、と頼み込んで、今は一人で通学できるようになった。「でも、それでは何とお呼びしていいのか分かりません…。」
「普通に呼び捨てでいいでしょ。」
「僕ごときがそんなこと恐れ多いです…。愛らしい鈴蘭さまのお名前を呼び捨てなんて、とても…。」
指輪がしゅんとした顔をする。
指輪は、背も高く全体に爽やかな外見をしているのだが、如何せん性格が油断ならないと鈴蘭は常々思っている。純真を装いながら、その実、鈴蘭の同情心をあおって、思い通りに動かそうとしている節があるのだ。
「ま、まあいいけど…。」
「ありがとうございます。」
今回も鈴蘭がたじろいだのをみてとるやいなや、指輪は満面の笑みを向けてきた。
「呼び方はともかく!明日は付いてきちゃ嫌だから。高校生にもなって保護者つきなんて、みんなに笑われちゃうよ。」
櫻子がきつめに言い渡すと、指輪も引き下がった。
「仕方ありませんね。終わったら真っ直ぐ帰ってきてくださいね?明日の夜は鈴蘭さまの誕生日のお祝いなんですから。」
なおも心配そうにする指輪を振り払い、自室に引き上げて明日の支度をする。みひろに変な子だと思われたくないけれど、普段着で来たと思われるのも嫌なので、鈴蘭が持っている洋服のなかで一番大人しい黒いミニ丈のワンピースを着ていくことにする。髪はいつもどおりに結んで、お気に入りの香水を着けていこう。鈴蘭は、すずらんの香りの香水をコレクションしている。明日の香水は、北海道のファームが作ったオードトワレだ。清潔感のある生花に近い香りが気に入っている。
明日の午前中は、水生家に集まって、各自調べたことを報告しあうことになっている。鈴蘭が調べられたのは、あの日現れた小さなおじいさんのことだった。彼はこの地域の総鎮守である
(なんで神社の一番偉い人がやって来て、私たちに婿をとれとか言ったんだろう。)
圧倒的に情報が足りない。風生家の書庫の中には、当主の許可がないと入室できない部屋がある。そこに何かヒントがないかと考え、父に頼んでみたが、あっさりと斥けられてしまった。
(新しい情報が見つかるかもしれないし、明日に備えてもう一度書庫に行ってみようかな。)
鈴蘭は、部屋着の上に大きめのストールを羽織って、書庫に向かった。風生家は日本家屋なので、初夏でも、夜になるとひんやりと肌寒い。書庫に行くには一度外にでなければならない。鈴蘭たちが生活している本館は木造だが、敷地内の少し離れた場所に石造りの蔵があり、そこが書庫だった。中に入ると、古い書物特有の香りが鼻をつく。鈴蘭にとっては、子供のころから慣れ親しんだ香りだ。ずらりと並んだ天井までの書棚にはびっしりと本や冊子、帳面がつまっている。書棚の間をぶらぶらと歩いていると、おかしなことに気づいた。構造上もっとスペースがあるはずの場所が壁になっているのだ。
そのあたりの本をどかしてみると、書棚の後ろの部分に継ぎ目が見つかった。触ってみると、継ぎ目部分が動き、中から回転式のダイヤル錠が現れ、壹、貳、參、肆、伍、陸、漆、捌、玖、拾、零の文字が環状になった文字盤が四つ並んでいる。
(旧字体の大字ってことは、明治時代のものかな…。文字盤が四つあるから、鍵となる数字は誰かの誕生日だろうか。年代から考えて、設定したのはひいおじいさまの可能性が高い。そうすると、ひいおばあさまの誕生日かも。)
曾祖母の誕生日は鈴蘭と同じだ。つまり明日である。試しに数字を合わせてみると、あっさり開いた。こんなに簡単な暗号でいいのだろうか。
中に入ってみると、まず目についたのが、大きな黒い置物だった。床に作りつけられており、高さは人の背丈よりも大きい。水が流れる仕様のようだ。書物の品質保持のために昔作られた装置だろうか。その周りには外と同じような書棚が放射状に並んでいた。手近にあった一冊を手にとってぱらりとめくってみる。変色した紙に、墨で人の名前と数字が書き付けてある。
現在、風生家が売り買いしている情報は、データで管理しているはずなので、ここにあるのは、とうの昔に忘れ去られ、商品としての価値がなくなった情報たちということだろう。商品としての価値がなくなったとしても、学術的な価値がないとは限らないし、困る人たちがもういないとは言ってもそこらに放り出しておくわけにもいかないので、こうして隠し部屋に保管しているのに違いない。奥の方に机が置いてあり、古い新聞記事の切り抜きや、戸籍謄本が積まれてあった。部屋のすみには、桐でできた大きな茶箱があった。なぜこんなところに茶箱があるのか、もっと調べたいが、夜も更けてきて鈴蘭は眠気を抑えきれなくなっていた。明日は四家の集まりと、みひろと会うのをはしごしなければならないし、みひろに初めて会うのに寝不足は良くない。茶箱は後日調べることにして、鈴蘭は隠し部屋を元通りにし、こっそり部屋に戻った。
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