第3話 現場でのトラブル

「なるほど、こんなとこにもジムがあるんだな。」


「ええ、お金のない人なんかはここで鍛えています。」


朝を迎えたラッシュの道を、博樹を乗せたジャイロの自家用車が走っている。道の両端には多くの格闘技ジムがある中、時折野外のジムが見られて、立ち並ぶサンドバックに向かい合った若者たちが、サンドバック目掛けて何度も拳を振るっていく。


「お金がない人向けのジムか。」


「ええ、屋根も無ければコーチもいない。吹きさらしのジムですがサンドバックや筋トレ用具は揃っています。金のない若者も金を稼ぐためには鍛えなくてはいけません。だから、ここで鍛えています。」


ジャイロが言うように、このような屋外の公営ジムは無料で誰でも利用できる。お金のない男も女も子供も、ここで力を付け、戦いの機を逃さないように生きている。


「戦わないと、稼げないのか?」


「ええ、この国では力が無ければ稼げませんからね……さあ、着きました。」


公営ジムの話をしていると、そのまま彼らの車は発電所の工事現場に辿り着いた。


「ここが現場か。さあ、行くか。」


博樹は車を降り、ヘルメットを被って現場に向かった。 ラッシュの気候は日差しが強く暑いが、博樹は半袖のワイシャツにネクタイ、薄い生地のズボンという日本のビジネスカジュアルのままだ。一方、現地の作業員たちは長袖長ズボンの作業服を身に纏い、流れる汗をものともせずに作業に当たっていた。


「おお、アンタが日本から来たって男かい?」


そんな現場の様子を観察していた博樹に、歳は50程の作業員の男が声をかけてきた。彼は長袖の作業服を着ており、首元や額にびっしりと汗を滲ませていた。


「ええ、万津博樹です。よろしくお願いします。」


日本語で話しかけてきた男に、博樹は快く笑顔を見せ、深々とお辞儀をしながら自身の名を名乗る。


「ワシはオスカー・レイエス、ここの技術作業の主任をしている。1ヵ月の間よろしく頼む。」


「こちらこそ、お世話になります。」


「ウム、では他の者達の元に案内しよう。」


オスカーに案内され、博樹は他の作業員達に挨拶と自己紹介を済ませる。その後はオスカーら作業員達と事務所で打ち合わせをし、作業の流れを確認した。


「なるほど、1週間で作業をするのは4日間だけなんですね。」


作業の工程表を見て、博樹はある点に気が付いた。それは、1週間の内作業が行われる日が4日しかないという事実だ。週休2日で、平日は5日間働くのが当たり前である日本人として、博樹はその働き方に驚きを隠せない様子であった。


「月曜、火曜、木曜、金曜は働いて、後は鍛えて戦う。それがこの国の働き方じゃ。」


国民の多くにストームが根付いている。仕事がない日も休んでいるわけではなく、誰もが力を付け、戦いに備えて鍛え続けているのだ。


「戦う……皆さんもストームを?」


「ああ、当然じゃ。」


オスカーら作業員達は静かに頷く。


「ワシも昔はストームの名選手じゃった。居酒屋での戦いぐらいなら無敗だったが、今はまあ勝率5割保てればよい方じゃろう。」


「なるほど……」


身近な場所に現役のファイターや、元ファイターがいる現場に博樹は唖然とした。


「むしろ、こういう現場は仕事中に身体を鍛えられるということでかなり人気なんですよね。」ジャイロが捕捉する。


「なるほど、本当に格闘技が中心の国なんだな。」


博樹は静かに頷く。ストームが流行し、鍛える場所も戦う場所も多いなら、周りの人物の誰かが戦っていてもおかしくない。さらに、肉体労働は筋肉を育てるため、体を鍛えたいファイター達から人気なのも頷ける、といった様子だ。


「一先ず、作業を始めましょうか。安全第一でいきましょう。」


「「「はい!」」」


作業員達が現場での作業を始めて数時間程が経った。

博樹が事前に日本で用意した作業の指示書の下で作業を進め、その手順通りに作業をしているか博樹は確認しつつ、何かイレギュラーがあれば手順を変えて対処するように指示をしていく。


「おい、オスカー!そんなゆっくりやってたら日が暮れるだろ!」


作業が順調に進んでいると思われていた矢先だった。突如、作業場の方から怒号が聞こえる。


「なんだ?」


博樹はトラブルが起きたのかと、怒声のする方へと向かった。


「この配管は繊細なんだ、リカルド。日本の契約書にも安全手順が細かく記されているだろう。」


そこへ向かうと、オスカーとリカルド・マルティネスという若い男性作業員が口論をしていた。リカルドは体格が良く、オスカーよりも1回りほどマッシブな印象を受ける。


「こんなもんよお、力で押せばいいんだよ!技術者風を吹かせんな!」


「それじゃダメじゃ、慎重にやらなくては事故が起こるぞ!」


自分の体力と体の強さで作業をゴリ押しで進めようとする若手のリカルドに対し、オスカーはベテランらしく安全かつ慎重に作業を進めるべきだと主張している。現場の熱気とは裏腹に、2人の間には明らかな世代間の緊張感が張り詰めていた。


「あー!もう限界だ!アンタのやり方は毎回のろくて気に入らねえんだよ!こうなったら拳で決着だ!」


「やってみろ、若造。ワシはまだ負けんぞ!」


「あ、ちょっと、お2人共……ここは話し合いで……」


2人は作業をしていた場所から離れて、通路に出てくる。"拳で決着"という言葉に、2人が単なる喧嘩を始めるのではと感じた博樹が止めようとするが……


「止めるのはご法度ですよ。こういうのはラッシュ流のやり方で決めますから。」


そんな博樹のことをジャイロが手を引いて止める。


「おいおい、リカルド、遂にオスカーさんとやるのか?」


「マジかよ、俺らも準備しないと……」


2人がこれからストームで戦うのだと察した周りの作業員達は、地面にマットを敷き始めた。そして、彼ら自身がロープやポールの代わりになるように、素早く並んでマットを取り囲む。資材を置くための通路は、一瞬にして熱気あふれる即席のリングへと変貌した。


「では、これよりオスカー・レイエスとリカルド・マルティネスのストームワンマッチを開始する!」


この場で最も体格が大きい作業員が、ヘルメットを被ったままレフェリーとして即席リングの中心に立つ。


「ジャイロさん、これって……」


「この国ではあらゆる揉め事をストームで戦って解決します。地位を掴めるかどうか、お金を多く稼げるかどうか、それも全てストームで解決します。」


「リカルドの奴は、既にストームで勝ち上がってこの現場の作業員のリーダーをしてるんだぜ。オスカーさん以外のベテラン作業員を倒してな……」


ストームの勝ち負けで、物事の是非も出世街道も大きく変わってしまう。強いものが正義であり、力を持つ。そんなストームが根付いたラッシュの風土に、博樹は唖然としている様子であった。


「己の拳で権力を掴む。日本語話者の間では、そんな者達を"拳力者けんりょくしゃ"と呼んでいます。」


ジャイロが、そんな風土に相応しい言葉を博樹に補足した。


「拳力か……」


勝てば官軍、負ければ賊軍。正しさが知識や経験ではなく、拳の強さで決まる。博樹はそんな不条理な戦いに挑むオスカーとリカルドの二人を、じっくりと見つめた。 二人は作業服の上着を脱ぎ、上半身は汗で張り付いた白シャツ姿だ。下半身は作業ズボンだが、ポケットからは全ての工具が出され、靴と靴下を脱いで裸足でマットの上に立っている。彼らは常時、いつでも戦えるようにグローブを持ち歩いており、既に両手にオープンフィンガーグローブを装着していた。


「ファイトッ……!」


レフェリー役の作業員の一声と共に二人の戦いが始まるが、先に動いたのはリカルド・マルティネスだった。 若さ故のパワーでオスカーに圧力をかけつつ、オスカーのガードの上から腕をフルスイングしてパンチを当てていく。


「荒々しいな……」


リカルドのその戦い方は、技術やディフェンスを度外視した、まさに喧嘩の延長のようなものであった。


「けどこれ、オスカーさんが負けたら現場の責任者がリカルドになるのか……まずいな……」


荒々しい喧嘩スタイルでの戦いではあるが、リカルドはオスカーに圧をかけ続け、リングのロープ代わりとなる作業員達の方に徐々に後退させていく。博樹の頭には最悪のシナリオがよぎった。オスカーは日本の会社のやり方やルールを順守し、知識も豊富な技術者だ。しかし、リカルドはまだ若く、自分のパワーで押し切るタイプの雑な面がある。そんな人物に現場のトップを任せるということは、手順無視による事故のリスクが増すということだ。それは、この発電所プロジェクト全体の失敗に繋がりかねない。


「まずい……!」


オスカーに勝って欲しいという博樹の願望とは裏腹に、オスカーは徐々に押されていく。リカルドの無秩序な猛攻は、ベテランの技術でさばききれる限界を超えていた。


「オラァ!」


リカルドが右腕をオスカーの頭部目掛けてフルスイングする。その野太い一撃はオスカーのテンプルを正確に捉え、鈍い音を立てた瞬間、オスカーは糸が切れたようにマットの上に倒れ伏してしまう。 オスカーはこの一撃で脳が揺れてしまったのか、意識はあれど立ち上がることができない。レフェリー役の男がすぐに試合を止め、両腕を振るいリカルドのKO勝ちを宣告する。


「よっしゃあ!見たか、ジジイ!」


オスカーは他の作業員に介抱され、リングの外に運ばれ、リカルドはガッツポーズをして喜びを見せる。


「今日から俺がここのトップだ!これからは俺流のやり方でやらせてもらうぜ!」


この戦いでリカルドが勝ったこと、それは今後この現場を取り仕切るのがリカルドであるということを意味していた。


「…………」


「博樹さん……?」


それは即ち、博樹や博樹の会社の指示が通りにくくなり、意見を無視されてしまうリスクを孕んでいた。最終的には、現場での事故や発電所の故障を引き起こす可能性が増してしまう。そう思った博樹の身体は、もはや理屈ではなく、プロジェクトを遂行するというサラリーマンとしての本能で突き動かされていた。


「これがこの現場1位の戦いですか?」


作業員達の合間を通り抜けて、博樹はマットの上に立つ。未だネクタイを締め、日本の清潔なワイシャツを着たままの姿は、リカルドとは対照的だった。


「なんだ、テメェ?」


「俺がやってやりましょうかね。」


博樹は自身のヘルメットとネクタイをゆっくりと外して、リカルドを真っ直ぐに睨みつけて戦いの意思を示す。 まさかの参戦者に作業員たちも一瞬驚きを見せるが……


「ただの日本人だろ?こんな奴、すぐに終わらせてやるぜ。」


オスカーとのストームが早期決着で体力が残っていること、博樹がただの日本人のサラリーマンであり実力差があると考えていること、さらには勝った直後でテンションが上がっていることもあり、リカルドは連戦にも関わらず、博樹との勝負を即座に受ける。 ラッシュの工事現場で、ラッシュ人のリカルドと日本人の博樹のストームが始まろうとしていた。

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