第2話
「あなたの名前って?」
ホテルの部屋に入り、二人だけの空間になったところで奈美は口を開いた。
「ミナト。あんたは?」
「奈美。いくつ?」
「三十二」
相手は三つ年上だった。進也は二十八、綾香は確か二十七だった。
「私は二十九。年上なんだ」
「俺のことってさ、知ってたりした? 聞いたことってある?」
興味ないのか、ミナトは素っ気なく話題を変えた。
奈美は傘を立てかけ、靴を脱ぎながら首を振った。
「ない、知らないわね。私のことは聞いてた?」
「いや、聞いたことない」
「彼女のことを進也が話題にする時はあっても、彼女が浮気してるなんて話はなかったわね。ま、お互い浮気されてるなんて思ってなかったんじゃない? 自分が浮気してても相手はしてないって思うというか、信じたいじゃない」
「だろうな」
ミナトはジャケットを脱ぐと椅子にかけ、ワイシャツも脱ぎ、上半身をあらわにさせた。体も顔と同じように薄く日焼けした色を見せた。
ミナトはバスルームへと視線を向けた。
「先に入る?」
「いい。私はヤッた後に入るから。シャワーどうぞ」
「いや、俺もいい」
似ている。進也もそうだった。私と同じように、した後に体を洗っていた。
奈美は進也と会っていた頃のことを思い出し、そしてある考えをひらめかせた。
「ねえ。思ったことがあるんだけど……言って良い?」
霞色のワンピースを脱ぎ、下着姿となった奈美は後ろで結んでいた髪を解きながら言った。
「何?」
「これからするセックスなんだけど、お互いに相手を重ねながらしない?」
奈美は自身の薄青いブラジャーの前で、人差し指をミナトと自分へと交互に向けた。
「え?」
「私は進也をあなたに重ねるから、あなたは綾香さんのことを私へ重ねる。お互い、いつもの相手としている時と同じようにセックスするの」
ミナトは靴下とスラックスも脱ぎ終え、下着姿になると奈美に近づいた。
「いい趣味してるな」
「別に普段からそんなことしてるわけじゃないから。そうした方がお互い、相手を忘れられる気がしない? 最後のセックスってことで」
「……ああ、別にいいよ。あんたは進也に抱かれてる時と同じようにして、俺はいつもと同じようにあんたを抱けば良いんだろ」
薄暗りのオレンジ色の中、ミナトは奈美を見下ろしながら頷いた。
ミナトの指が奈美の肩に触れると同時に奈美は静かに目を閉じた。進也の顔を思い浮かべ、目の前にいる相手が進也であることを思った。
ミナトはどうか分からないが、少なくとも私は忘れられるだろう。互いに元恋人を重ねながらセックスをする。我ながら陰湿な人間だろうか。
いや、恋人ではなくセフレだと奈美は自笑した。
進也よりも重くわずかに長い体。薄暗い中でもいつもと違うことが分かった。細身ではない締まった体が筋肉を主張していた。
ミナトに乗られながら目を薄っすらと開き、奈美は見上げた。相手の顔は無表情だった。薄汚い欲望も背徳感も感じられない。
日焼けした肌。進也の肌が替えたばかりの電球の色ならば、目の前にある肌は替えてから五年くらい経った色味を連想させた。新鮮さはないけど、どこか落ち着いた馴染んだ印象を思わせた。
二の腕へと奈美は手をゆっくりと這わせた。
進也の肌は柔らかく、焼き立てのパンのようだった。けれど目の前の腕は似ているけれども違うと、如実に実感させられた。
奈美はまた目を閉じ、ミナトに体をゆだねた。
曲げられ、広げられ、丸められ、折られる身体。こねられて押しつけられる。自分が生地のようになるこの感覚が好きだった。
私ではなく物になる行為と感覚。嫌なことも面倒なことも全て忘れていられる瞬間だった。
横にされ、上になったり、下になったり、裏返しにされる。そして、膝を立て四つんばいになる。
進也が好きだった体位。身体の記憶が進也を思い出していく。
「――進也」
小さく声を漏らした。ミナトがその声を聞き取ったかは分からないが、動きは強くなった。
「進也、進也っ」
声に出し、続いて言葉にならない声を漏らす。
嬌声を出しながら奈美は息を吐き出す。ノリ良くやれていた頃のセックスの感じと同じだった。今この瞬間、後ろにいる男に進也を感じていた。
湿った声に進也との記憶を奈美が乗せ続けている中で、ミナトは奈美の後ろ首を右手で掴んだ。
懐かしい。進也も後ろから攻めている時に後ろ首を掴んでいた。一抹の気持ち良さと鈍い痛み。そして、その後は……。
ミナトは奈美の後ろ首へと舌を這わせた。
――そう。そうだ。
進也も掴んだ後にうなじから首筋を舐めていた。
同じ、同じだ。進也と同じようにミナトも舐めている。
自分が綾香になった気がした。
溢れ出る激情と情欲の波が一気に体内を駆け巡り、渦巻く。肺から熱い喘ぎを絞り出しながら快楽しかないセックスにすがった。何も考えず、ただただ快楽に従いながら進也のことだけを意識し続けた。
穿たれながらミナトが果てるまで奈美は浮かべ続けた。後ろにいる男が、タキシード姿の進也であると――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます