愉悦部の日常−君と僕は今日を何度も繰り返す−
@rrugp
第1話 大日方信一
九月十五日。
とある中学校の教室にて。愉悦部所属、中学二年、
『今日は、どんな愉悦に浸ってやろうか』
教室の片隅で、彼は思い浮かべる。
僕が、物語の主人公だったら、この世界を、どのように描くのだろう、と。
どうせなら、バトルものがいい。この世界には悪の組織が蔓延っていて、世界の終わりも近い。彼らは異能力を使い、僕らの日常を脅かしている。
異能力の存在は公に知られていなくて、実は、僕はその能力を授かっている。このことを、この教室のみんなは知らない。
みんなが、この平穏な日常を過ごしていられるのは、僕が影で暗躍しているからなのだ。その異能力の効果を開示するにはまだ、早い。だって。
「その力を発揮する時、既に決着がついているのだから」
その時までにとっておこう。
教室の片隅で、呟く彼は、友達がいなかった。
愉悦部の部員は一人、否、彼は帰宅部である。
登下校中は、ずっと孤独で空想に浸っている。
周りからは、なにを考えているわからない生徒という評価を受けており、関わり合いを控えるクラスメイトは少なくない。
彼は、時折り、世界の終末を想像する。
そこには、世界で二人しかいない。人類は滅んだのだ。彼女と彼は、手を握って、この世界の廃墟を探索する。いずれ、いらないものとなったものたち。
それを、見物することによって、心の平穏を保っていたのだ。退廃した先に、彼ら二人が残った。見上げた先の青い空も白々しい、未来を嘲笑うかのように思えた。
食べ物は、先人が遺した缶詰めで生きていける。それよりも、大事なのは、彼らが
なぜ、彼と彼女だけが人類として生き残っているのか。それには、どんな意味があるのか。その生の理由付けが、彼らには必要だった。何のために生まれて、何のために死ぬのか。
死んだら、僕らはどうなるのか。
そんなことを、考える暇もないくらい、彼と彼女は、愛し合っていたというのに。
ある時、彼らの前に宇宙人と名乗る人間が現れた。
自らを指し『宇宙からやってきた』と言った。
そして、残酷な真実を語る。
この世界の真実を。なぜ、この世界は滅んだのか。それは彼女の特異な能力によるものだと説明する。彼女の能力は
世界と、一人の少女の命。どちらを選ぶかと、彼は問われた。昔のことを覚えていない、故郷のことを忘れて、目の前の恋人のことしか考えられない彼は、少女の命を優先した。
彼は、彼女のことを、何も知らない。昔のことは、パズルのあった筈のピースが抜け落ちているように、欠けている。どうやって、彼女と知り合ったのかも、覚えていない。
宇宙人と名乗る存在は、未来のために、たった一人の愛する彼女を殺すように要求する。さもなくば、彼女を宇宙に連れて行って軟禁すると。宇宙人は、まるで、絶滅危惧種を保護するかのように、公然とした正しさを説いた。
やがて、地球人の生き残りの彼は、人類史として幕を閉じる最後の決断をしたのだ。愚直で、一途な、人類最後の愚かな選択。それを、咎めるものは、彼と彼女二人以外には存在しない。
こうして、儚くも、世界は終わりを告げた。
一人の少女によって世界は終わった。
歴史が繰り返されるように、過去も繰り返される。
つまり、僕が、生きているこの世界も、あの時代の生まれ代わりなのだ。あったかもしれない、パラレルワールド。
誰もが『彼』であり、『彼女』なのだ。加害者になれるし、被害者になれる。誰だって、誰かの代わり。代替品なのだ。
その真実を知っているのは僕だけ。
大日方信一は、教室の片隅でほくそ笑んでいる。
僕は、『全て』を手中に収めている。僕の能力にかかれば、
普段は、変哲のない学生をやっているが、まだ真の実力を発揮していないだけなのだ。
彼は、愉悦だった。しかし、なにかが足りない、と感じている。
『ふむ、愉悦には、人間の不幸が必要ではあるな』
足りなりなら、増やせばいい。人間の不幸を、想像するのだ。彼は、嗜虐心をそそるキャラクターを思い浮かべた。すると、ふと、隣りの席に座った
「……ふう。大日方くん。また、やってるの? 空想」
話しかけてきた女子は、太い眉と、大きな垂れ目がトレードマークのクラスメイト。
「話しかけているんだから、返事くらいしなさいよ。全くもう、ため息しかでないわ」
僕が彼女の顔をじっと見つめて、その次に、白いブラウスの袖からはみ出た手首に目を向ける。
なるほど。
「他人の不幸は、最大級の愉悦」
「はあ? 何言ってんだか知らないけど、次の授業まで、一緒に行かない? 私、友達いないんだよね。そっちもでしょ?」
友達がいない者同士、仲良くやろうということか。
まあ、わからないではない。彼は、愉悦に浸りながら、不遜な態度で胸を張り、腕組みをして、頷いた。
聖川ひじり。彼女の後を追いながら、僕は考える。彼女は、自分のことを友達がいないというが、彼女の周りには話し相手が結構な数いた筈ではないか、と。
「ねえ。大日方くん、お願いがあるんだ」
彼を振り返りもしないで、言った。
「る!」
しかし意味不明の返事しか彼はできなかった。大日方信一に、人とのコミュニケーションは難しい。
「私を、助けてほしいんだ」
「る?」
ようやっと、後ろを振り返る彼女。
「はあ。ため息しかでないわ。聞いてるの? 大事なことだから、一回しか言わない。聞いて。私、悪の組織から狙われているんだ。だから、助けて、信一くん」
「――」
それを聞いた彼は、ただ、彼女の真剣な眼差しを見ていた。
覚悟を決めた表情だと悟りニヤリと笑う。
「――ふん。その程度の愉悦なら、甘んじて受け入れよう」
あらゆる失敗も、台無しも、不誠実も、忘却も、諦めも、覚えていないも、理由も、意味も、描写も、ありきたりも、そして、絶望も、僕に任せておけ。彼は、心の中で、全てを承諾した。
「これから僕は愉悦を始める」
腕組みをして威厳を誇ったその声は、彼女の耳には届いていなかった。
彼は空想する。この世界に蔓延る陰謀論なんてものを、否定しておきながら、絶対悪がいるのだ、と。
奴らは、聖川ひじりに、傷を負わせた。彼女の手首にはリストカットの痕が残っていた。それを、ワルモノの仕業だと断定することによって、異なる種類の愉悦を彼は感じているのだった。
彼は、この世界に飽き飽きしていた。だが、今はそうではない。
自分より、可哀想な人がいることが、彼にとっての癒しだった。そして、その彼女が自分に助けを求めていることが、心地よかった。
さて、この世界の絶対悪とは、何者だろう。
彼は、空想する。ああ、わかった。彼女の、才能を、羨むものだ。彼女に最も重要な価値を置く人物。それ故に、消し去りたいと願いたい者。つまり、彼女は、悲劇のヒロインなのだ。
そう、決めつけて、一人で納得していた。
悪の組織に狙われているなんて、荒唐無稽な発言すら是とした。たった一人の愉悦部の部員。その活動内容は、未だ、不明だった。
それから、ことあるごとに、聖川ひじりは、大日方信一と接触を持つようになった。お互いが『友達がいないから』という理由付けで、移動教室を共にしたり、休み時間になると、二人で
「ねえ。聞いてるの、大日方くん」
「る!」
いつも馴れ馴れしく僕の苗字を呼んでくるなあとは思うけれど、別に、嫌ではなかった。
いつだって、彼は、自分の世界に没頭しているのだから、彼女の声が、ほとんど聞こえていないのだ。
興味のある事柄しか、認識できない。だから、人の顔や名前が覚えられない。唯一、悲劇のヒロインと認識して悦に浸れる相手である、聖川ひじりだけは覚えられた。
彼は、友達が作れないのは、実在する人間に興味がないからなのだ。
「もう、大日方くんって、本当に変だよね。いつも、何を考えているかわからないし、返事はいつも『る!』だし。まるで、宇宙人と話しているみたい」
と、言われるのも無理はない話しだった。
宇宙人と話してるみたい、といわれた大日方信一は、空想を膨らませる。宇宙人というのは比喩で、彼女と彼は、それを合言葉にしていた。別に、他の言葉でもよかった。地球外生命体でも、外人でもよかった。要は、二人が、共通認識できる『外の人』を分別できればよかったのだ。
そして、人類の生き残りである二人、というのも比喩表現だった。
本当は、彼らの目に価値のあるものとして、映らないだけで、実在していた。それを、なかったことにしたのは、彼女が嫌悪するからだった。
僕は、彼女の能力を
彼女は、この世界のありとあらゆるも嫌悪していた。だから、僕は、裏で工作して、排除してきた。いつも、彼女が安心して眠りにつけるように、世界を壊してきた。
いつか、僕の嘘を、彼女だけでなく、世界の住人が信じるようになった。彼女は魔女と恐れられ、僕は、彼らに打擲を受けた。彼女を、受け渡さなければ、世界は滅びてしまう。そんな妄言を吐いて、痛めつけられた。
彼女を、匿っていた僕は、彼女に真実を話さなかった。いつまで経っても退屈な日常に嫌気がさしていた僕に、ささやかな幸福と呼べるような時間を作ってくれた彼女と、共に居たかったからだ。
僕の考えは、世界に受け入れられるものではないだろう。この世界の終わりに、彼女をいじめた世界の終わりと共に、どこまでも、沈んでいきたい。
僕にとって彼女は大切な、存在だ。
彼女は僕にとって世界を意味する。
彼女は人類の最終兵器。全てを忘れさせることができる人造人間。夢とか愛とか、そういうものを、なくすために未来からやってきたんだ。嘘だけどね。
彼の、空想は、広がり続ける。それが、現実との区別がつかないのは、大切な想い出だからだった。
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