Episode.11 凍れる刃を抱いて
ヘリコプターの中で、崇真は半兵衛と共に沈黙していた。夢幻は腕を組み、堂々と立ったまま外を眺め、静かにうなずいていた。
「ふむ……左様か。此れにて移動するとは。道理で遅き筈よ。
――小僧、答えてみよ。下に鎮座する厄介な構造物、何の効を為す」
隣の半兵衛が、肘で崇真を小突いた。言葉を促しているのだと察し、崇真は一つ、咳払いをしてから答えた。
「異形が現れる前、民は高層マンションで暮らしていました」
「成程……今は只、用を失せし
「はい……異形のいない世界になれば、民にとって帰る場所が必要となります」
「窮屈よの。
――吾が
夢幻の言葉に血の気が引いた。
「お待ちください。中に民がいる可能性があります!」
「成程、汝らすら掌握出来ぬと見える。
されば、放置も
……然らば、此の儘にて良かろう」
……夢幻が何を考えているのか、崇真には読み取れなかった。
「失礼ですが、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか」
夢幻がこちらに視線を向けた。
「名は無きもの。されど、不便なるは確か。
用ゐるには、やはり呼び名が要るか」
夢幻が目を閉じた瞬間、呼吸が止まった気がした。空気が凍りつき、そこだけ時が止まったようだった。音も思考も、皮膚に触れる空気さえ、身動きひとつしない。
呼吸が詰まり、胸が凍えた。思考の芯までも凍結したようだった。
「……夢幻、か」
そう告げると、夢幻は再び目を開いた。
「先に斯う呼ぶ者がおったな。
敗者の
よかろう、吾を呼ぶに『夢幻』とせよ」
「私は、信条崇真と申します」
「ほう、小僧にも名があったか。崇真――然れど、簡潔が佳し。
以後は其れで構わぬ」
「はい」
夢幻が視線を横へとずらし、半兵衛を見据えた。
「便宜を図りし礼と致そう。
汝の名も、記して
「俺は竹中半兵衛」
「半兵衛。汝の戯言、今回は聞き流して遣わす。
――されど、二度目は無きものと心得よ」
その一言は半兵衛に向けられたものの、なぜか崇真の胸元を鋭く貫いてきた。頭では理解できぬまま、背筋を氷柱が走った。
「夢幻、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
夢幻がこちらを見た。
「構わぬ」
「私を、どのように鍛えようとお考えなのでしょうか」
「吾は常に、隙あらば命を断つと申したな。されど、無益なる殺生は好まぬ。
崇真が手を抜いた刹那、不要なる手より斬り捨てよう」
……つまり、私の心を殺す、ということなのか。
「案ずるな。時と場所は弁えてやる。
故に、汝らの居城を破壊しても
奇妙な理性が垣間見えた。崇真は夢幻がただの狂気ではないことを、確かに感じていた。
半兵衛が、再び肘で崇真を突いた。この流れで肘を突くのなら、夢幻への説明を促しているのだろう。
――神州維新府の事情を伝えろ、と。
「夢幻、神州維新府は異形を退治する組織です。
準備が整うまで時間がかかります。
それまで、ひとりで出歩かれると困るのです」
「戦もまた一興。されど、吾が動くは汝らの備へあってこそ。
其れを妨げるは無粋の至り。しばしの間は控えてやろう」
夢幻は再び外へ視線を移した。崇真は声を落とし、半兵衛に尋ねる。
「半兵衛、司令部はどのように対応するのでしょうか」
「俺に一任されたよ。司令部もあの惨状を知っている。
司令部の誰かが口を滑らせて迂闊な真似をした瞬間、神州維新府は疎か要塞砦すら無くなる」
「案ずるな。無益なる命の狩りはせぬ。
吾は斬るべき者を既に定めておる。力無き者を屠っても価値は無い――半兵衛、故に汝は未だ生きておる」
夢幻の視線が、氷の刃のように肌を刺した気がした。
凍てつくような冷気が、言葉よりも早く胸の奥へと突き立った。
「崇真は別物よ。未だ未熟なれど、あの眼を見たとき、吾は悟った。
此奴は斬るに値すると。
――努々、吾を失望させるな」
返す言葉が見つからなかった。否、息すら詰まり、何も考えられなかった。
胸の奥に冷たい刃が突き立てられたまま、ただ身を凍らせていた。
「それは、どういう意味でしょうか?」
「ふむ……吾は自らの存在意義を、久しく
剣を抜けば即ち終焉。其れでは詰らぬ。
――吾は強者を求めて彷徨いしが、実力の隔たりに気付きし者の眼は、悉く
ゆえに価値無きものと見做した」
夢幻は、師匠に目を向けた。
「かつて、唯一、剣を振るえぬ者が居た。人にしては剛なる者。
二刀の術にも興あり。されど、木刀では吾に届かぬ。斬れぬ者では相手にもならぬ。
――崇真の名を聞き及びし刻、吾は見極めんがため、静かに時を待った。
汝の眼に濁り無く、剣は
「木刀の二刀流がいたのですか?」
「ふむ……名は、宮本武蔵と云うたか。今となっては交える術も無し。
――それが、吾が唯一遺せし未練よ」
機体が低く唸り、金属が軋む音とともに、地を踏む感触が伝わってきた。
夢幻は一片の迷いもなく、音も立てずに地へと降りる。
崇真は、意識より先に脚が動いていた。夢幻の背に、置いて行かれてはならぬと、ただそれだけが脳裏にあった。
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