第10話:FPSのランカーだろうが、リアルで躓けば死ぬ

 嵐のような騒動が去り、1年0組に奇妙な静寂が訪れた。

 俺は教卓に肘をつき、古びた出席簿をパラパラとめくる。


「さて。自己紹介も済んだし、授業を始めるか」


 俺がそう言うと、教室の隅から気だるげな声が上がった。


「パスで。俺、忙しいんで」


 声の主は、一番後ろの席でタブレットを操作している少年だった。

 目の下に濃い隈を作り、猫背で画面に齧り付いている。

 鏡(かがみ)ケイ。

 遠隔操作(リモート)魔法の使い手で、重度のゲーマーだ。


「このアカデミーの授業レベル、低すぎるんすよね。俺、昨日のシミュレーション演習で全国1位取ったし。実戦とかダルいだけなんで」


 鏡は画面から目を離さず、ガムを噛みながら言い捨てた。

 なるほど。現代っ子らしい合理主義だ。

 画面の中なら、指先一つでドラゴンも殺せるだろうよ。


「おい鏡! 先生に向かってなんだその口の利き方は!」


 意外にも、食って掛かったのはレンだった。

 彼女はさっきの一件以来、俺に対して妙に大人しくなっている。どうやら「強い奴には従う」というヤンキー理論で生きているらしい。


「うるせーな。事実だろ? どうせこのおっさんも、理論だけの雑魚……」


 ヒュンッ。


 鏡の言葉が途切れた。

 俺が投げたチョークが、彼の手元にあるタブレットの電源ボタンを、ミリ単位の精度で直撃したからだ。


 プン、という情けない音と共に、画面がブラックアウトする。


「あ……」


「画面ばっか見てると目が悪くなるぞ。外へ出るからついて来い」


 俺はチョークの粉を払い、教室を出た。

 背中で、鏡が「俺のセーブデータがあああ!」と絶叫するのが聞こえた。


 ◇


 校庭の片隅にある、第3演習場。

 そこは、荒れた岩場や泥道が再現された、障害物競走のコースのような場所だった。


「授業内容はシンプルだ」


 俺はジャージのポケットに手を突っ込み、生徒たちに向き直る。


「あそこのゴールまで、俺に一度も触れられずに走り抜けること。……それだけだ」


 距離にして50メートルほど。

 魔法もスキルも使用自由。

 彼らにとっては、赤子の手をひねるより簡単なゲームに見えるだろう。


「はっ、舐めるなよ」


 鏡が苛立ちを隠さずに前に出た。

 彼の周囲に、5機の小型ドローンが浮遊する。


「俺の索敵範囲は半径500メートル。死角はない。おっさんこそ、俺の弾幕を避けられると思ってんのか?」


「いいから行けよ。よーい、ドン」


 俺の合図と共に、鏡が駆け出した。

 意外に速い。身体強化の魔法を使っているのか。

 同時に、彼のドローンが一斉に火を噴く。


 バババババッ!!


 模擬弾の嵐が俺に襲いかかる。

 だが、俺は動かない。

 ただ、あくびを一つ噛み殺して、半歩横にズレただけだ。


 ヒュンヒュンヒュン!


 弾丸が俺の残像を貫き、虚しく地面を穿つ。


「は!? バグかよ今の動き!」


 鏡が焦って操作パネルを叩く。

 だが、彼は気づいていない。

 自分の足元に、小さな木の根が飛び出していることに。


「おっと」


 俺は呟く。


「ぐっ!?」


 鏡がつまづいた。

 視線が画面とドローンに釘付けで、足元の注意が疎かになっていたのだ。

 体勢を崩した彼の背後に、俺はいつの間にか回り込んでいた。


「画面の中じゃ、地面の凸凹までは再現してくれないか?」


「なっ……いつの間に後ろに!?」


 俺は彼の襟首を掴み、ひょいと持ち上げる。


「いいか、小僧。ダンジョンは舗装道路じゃない。泥もあれば、死体の骨も転がってる。お前の『最強のシミュレーション』には、腐った肉の匂いや、足に絡みつく蔦の感触はなかったはずだ」


 俺は彼を、わざと泥水たまりの上に下ろした。

 バシャッ。

 高そうなスニーカーが泥まみれになる。


「うわっ、汚ねぇ!」


「死ぬよりマシだろ」


 俺はドローンのひとつを指で弾いた。

 クルクルと回転しながら墜落する最新鋭機。


「リアルじゃ、リセットボタンは効かないんだよ。……まずは『歩き方』から覚え直せ」


 鏡は泥の中に座り込んだまま、呆然と俺を見上げた。

 その目から、先ほどまでの生意気な色が消え、悔しさと焦燥が滲む。


「……チッ。クソゲーが」


 彼は悪態をついたが、その手はしっかりと泥の地面を掴んでいた。


 俺は満足げに頷き、他の生徒たちに向き直る。


「次は誰だ? 定時までなら付き合ってやるぞ」


 全員が、一斉に一歩下がった。

 どうやら、少しは「先生」として認められたらしい。

 俺は空を見上げ、今日の一杯目のビールを夢想した。

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