第4話


あれから、晃哉とのやり取りは一度も途切れることなく続いていた。

短い言葉でも、ふざけたスタンプでも、その向こうに彼の存在が確かにあって――

それだけで一日の終わりが少し柔らかくなる。


仕事を終え、澄香と合流して、金曜日のsugarへ向かう前にふたりで軽く食事をしていた。


「この前来てくれてありがとうねぇ! 大輔ともいい感じでさ、本当に感謝だよぉ」


澄香の弾む声に、唯の表情も自然と緩む。


「いい感じなんだ。よかったじゃん。後ろから見てても、なんか…ふたり、空気が合ってる感じしたよ?」


「でしょ? ってかさ、唯だって! いつの間に晃哉さんと? なんか先に帰ってるし〜笑」


「え?」


箸を止め、唯は思わずぽかんとした顔を向ける。


「ああ、こうちゃんは保護者みたいな? 私アホだから心配なんだと思うよ」


本気でそう言う唯に、澄香は大げさなくらい目を見開いた。


「はぁ?! いい感じでしょどう見ても! 晃哉さん、唯のこと絶対好きだよ?

誰が見ても、あれは……好きの顔だよ?」


唯は驚きで瞬きを繰り返す。


「えー?! ないない。だってこうちゃん大人だし、お父さんみたいだし。仲はいいと思うけど…全然わかんないよ」


「ほんと…唯らしいわ。鈍感にもほどがあるの。晃哉さんかわいそ〜」


「うーん……でも、仲良しなのは嬉しいな」


その無自覚な笑顔は、澄香を呆れさせると同時に、少しだけ笑わせた。

唯が気づかない優しさや、無邪気さが時々とんでもなく罪深い――澄香はそんなことを思った。


気づけば時計は21時を回っている。


「そろそろsugar行こ? 大輔、もう来てると思う」


ふたりは店を出て、夜の街へ歩き出した。




sugarの扉を開くと、いつもの仲間たちが手を挙げて迎えてくれた。

薄暗い照明がグラスを鈍く照らし、低く流れる音が胸の奥を揺らす。


カウンターに腰を下ろすと、大輔が自然に澄香の腰を引き寄せ、耳元で軽く囁く。

その距離感は隠そうともしていなくて、見ているだけでわかる“恋をしている人の温度”だった。


人の恋の空気はこんなにもわかりやすいのに。

自分のことになると、急にぼんやりする。

唯はそんなことを思いながら、グラスの中で揺れる氷越しに、まだ掴めない自分の気持ちを眺めていた。


ふいに、横からグラスが差し出される。


「飲んでる?」


差し出されたグラスを受け取り、香りを確かめる。


「ありがと! これ美味しい。初めて飲んだ!」


「カシスと白ワイン。ねぇ、大輔の友達? 連絡先教えてよ」


軽いノリの声に、唯は戸惑いながらも携帯を取り出そうとした――その瞬間。


「唯。」


低く、抑えた声が頭上から降ってきた。


振り向くと、晃哉が無言のまま唯の腕を掴み、その目はまるで

『その必要ないでしょ』

と言いたげなほど、まっすぐだった。


「あ! こうちゃん。今日、仕事早く終わったの?」


来れないかも、と言っていたはずの彼がそこにいて、その意外さよりも嬉しさが先に込み上げる。


「仕事早く終わったんだ。……唯、煙草吸いたい」


それだけ言い、自然にデッキへ導かれる。

人混みを抜け、夜風がふわりと肩を撫でる。


火をつけた晃哉は、ふっと一息ついたあと、視線を上げて唯を捉える。


「……肩、出てる。風邪引くよ」


その声音は、叱るでも呆れるでもなく、ただ心配そのものだった。


「可愛い?! これ新しい服なんだよ。一目惚れして買っちゃった!」


唯がくるりと一周して見せると、晃哉はほんの一拍、言葉を飲み込んだように見えた。

そして、少しだけ目を細め、口元で笑う。


「……はいはい。可愛い、可愛い。」


「ひどっ!」


むくれる唯の手元にあるグラスを晃哉がすっと奪い、そのまま飲み干す。


「これ、強い酒。唯にはまだ早い。」


「またそうやって子供扱いする〜」


拗ねる声にも、晃哉は優しく目を細めるだけ。

その目には、言葉よりも強い感情が沈んでいた。


「仕方ないでしょ。八つ年下なんだから。

……今日はDJやらない。一緒に音、楽しも。……大人しくここにいて。」


言いながら、ふわりと唯の頭に手を乗せる。

ただ撫でるだけじゃなく、触れたあとも離したがらないような、そんな温度を持った手。


唯はまだ知らない。

その仕草一つひとつが、どれだけ彼を苦しめているかを。


静かな夜、音に溶けるようにふたりの距離はまた少し近づいていった。


ねぇ、こうちゃん。


あなたといるとき、私は本当に子供みたいに喜んでたね。

子供扱いされたくないと思いながら、

でも――そうされると、なんでか嬉しくて、安心して。


矛盾してる自分に気づくたび、

私はまだあなたの隣に立つには早いのかな、なんて思ってた。


ただ、こうして会える日々が当たり前だと信じてた。


ねぇ、こうちゃん。

もし、私がもう少しだけ大人だったら……

あなたが抱えた苦しさも、迷いも、

気づいてあげられたのかな。


あなたを傷つけるような無自覚さで、

あなたの優しさに寄りかかってたのは、私の方だったね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る