第2話 指輪の秘密

 可能な限り人目を避けながら、私とオズワルドはとにかく逃げ続けた。私はドレス姿、オズワルドは礼服、否が応でも目立ってしまう。なので、助かる道は人がいない場所まで走るしかなかった。


「どう、これで私の頭が壊れてしまったのではないと分かったでしょう」

 誰もいない裏路にたどり着き、やっと立ち止まることのできた私は、息を切らしながら言葉を絞り出した。


「……はい、しかし、どうして事前に王妃が毒殺されると分かったのですか? まさかアメリア様が本当に毒を?」


「まさか。私ではないわ。なのに、犯人にされてしまっている。これは誰かに仕組まれている罠なのよ」


「誰がそんなことを」


「わからないわ」


 正直、誰の仕業なのかまったく心当たりがない。『聖女伝説』では、アメリアが犯人として投獄されると、彼女の登場シーンはまったく無くなってしまう。そして、次の登場は、民衆の前で斬首刑に処せられる時だけだ。そういえば、処刑されるときにアメリアはこんなことを叫んでいた。


「私は無実よ! これは誰かの陰謀よ!」


 小説を読んでいたときは、アメリアの単なる悪あがきだと思っていたが、あの最後の言葉は本当だったのだ。


「今からどうされますか。とりあえずは、グランデ伯爵家の屋敷に戻りましょうか」


「駄目よ。そんなことをすればすぐに捕まってしまう」


「では、どうするおつもりで」


「しばらくの間、姿を隠します。宿を転々とするつもりよ」


「お金は持っておられるのですか」


「ないわ。だから今から道具屋へ行くの」


 自分自身が転生者だと気づく前は、こんなことが起こるなどまったく予想もしていなかった。そのため、当然なのだが、持ち合わせのお金などなかった。けれど……、私は亡くなった母の言葉を思い出しながら歩き続けた。

 街はずれにある道具屋にたどり着くと、私とオズワルドはさっそく店の扉を開き、中へと入っていった。店内の壁には装飾品が飾られ、棚には宝物らしき調度品が並べられている。カウンターの向こうでは、小太りの中年男性が笑顔を向けてきた。商売人らしい、ややもすると少しずる賢そうな笑顔だった。


「買い取って欲しいものがあるの」


 そう言いながら、私は左手小指にはめていた指輪を抜こうとした。子供の頃は中指にはめていた指輪だが、成長するごとに細い指に付け替え、今では小指につけているがそれでもかなりきつい。

 この指輪は母から頂いたものだ。

 母はこう言った。

「この指輪は簡単に外してはだめよ。いつもあなたの指につけておきなさい。何があっても外したらダメだからね」

 母はその言葉を何度も繰り返した。そのため私は、今までずっと、指輪を肌身離さず付け続けてきたのだ。その母も、私が十五歳の時に亡くなってしまった。亡くなる三日前、母は急に私を呼び出し、こんなことを話し始めた。

「あなたの命に関わるようなことが起こった時は、この指輪を外しなさい。指輪を外していいのは、命に関わる時だけよ。そして、生活ができなくて、本当にお金が必要なら、この指輪を売りなさい」

 もともと私の家系は聖女の末裔でもある。なので親戚たちは魔力に長けている者が多いのだが、母は一切魔法を使うことのできない女性だった。そのためだろう、子供の頃から魔法の天才とまで言われていた私を見る母の目は、どこか冷たいものがあった。おそらく魔法が使える私のことを、本音では疎ましく思っていたのだろう。

 そんな才に満ちた私だったが、母の遺伝が影響したのか、ある日突然魔法が使えなくなってしまったのだ。落ち込む私を、母はこう言ってなぐさめた。

「魔法が使えなくなっても、アメリアの価値は何も変わらないのよ。魔法など使えなくなった方が、幸せな場合もあるの。アメリアの人生にとってはその方がずっといいのよ」

 なぐさめているのか何なのかよくわからなかったが、とにかく母は自分と同じように魔法が使えなくなった私を、好ましく思っているようだった。

 ……同類の哀れみね。

 当時の私はそう思っていた。

 そんな母からもらった指輪を、今私は売ろうとしている。母の遺言通り、今は私の命に関わるような時だ。このまま逃げ切らなければ、私は斬首刑になる運命なのだから。

 十数年ぶりに指輪を完全に外し、道具屋のカウンターに置いたとき、不思議なことが起こった。私の手から指輪が離れ、接触しなくなった瞬間、何かすーっと風のようなものが体の中に流れ込んできたのだ。

 なんだろう⋯⋯。なんとなく懐かしい感じのする風だった。ただ、今はそんな不思議な感覚に付き合っている暇はない。ただでさえ目立つ格好の私たちは、一刻も早くお金を手に入れ、逃げ出さなければならないのだから。


「ご主人、この指輪を買っていただけませんか?」


 小太りの男は、指輪をルーペで覗き込んだ。

「ほう、これは」

 しばらく指輪を眺め続けると、おもむろにこう言った。


「残念ですが、これは単なるガラクタです。五百ギールですね」


「ガラクタ?」

 母があれほど高価な物だ言っていた指輪が、実はガラクタだったというのか。


「魔道具の偽物です。価値はありません」


「でしたら……」

 ガラクタでも、母の形見に変わりはない。五百ギールなら、売らずに持っていた方が……。


「では、売るのをやめておきます」


 私の言葉を聞いた瞬間、店主の顔が固まった。


「お金が必要なのですよね。人助けだと思って高く買いましょう。五千ギールでいかがですか」


 すぐさま値段を十倍にしてくれるなんて。よほど私が、お金に困っている顔をしていたのだろうか。意外と良心的な店主なのかもわからない⋯⋯。五千ギルなら数日で使い果たしてしまいそうだが、何もないよりかはましだ。なんだか拍子抜けするような金額だったが仕方がない。


「分かりました。では指輪を買い取ってください」


 硬かった店主の表情が、急ににこやかなものに変わった。


「では五千ギールで」


 店主とのやり取りの中、気のせいかもしれないが、私の左手が一瞬白く輝いた気がした。この光は……。


「では売買は正式に成立しましたね」


 そう言って店主は、カウンターに置かれた指輪をさっと取り上げた。

 あとは少しでも早く店を出て、もっと遠くへ逃げるだけだ⋯⋯。そう考えていた時、私の後ろにいたオズワルドがカウンターまで進み出た。


「ちょっと待ってください」

 いつも穏やかなオズワルドにしては珍しく強い口調だった。

「売るのはやめておく。その指輪を返してくれ」


「……もう売買は成立しています。お返しすることはできません」


「何だと!」


「どうしたのオズワルド、今はお金がいる時なのよ」


「アメリア様、この指輪はお母様の大切な形見、はした金で手放すものではありません」

 いつもは私に指図することなどないオズワルドが、今回ばかりは私をたしなめるような言葉を吐き、厳しい顔で店主を睨みつけながら腰に携えた剣を抜いた。そして、剣先を店主に向けた。


「怪我をしないうちにその指輪を返すんだ」


「は、は、はい」


 剣先が顔のすぐそばまで迫ると、店主はぶるぶると体を震わせながら、指輪をカウンターに戻した。


「オズワルド、なんてことをするの! その物騒なものを早くしまいなさい!」


 オズワルドは私の言葉を聞くと、カウンターからさっと指輪を取り返し、剣を収めた。

「さあアメリア様、こんな店、さっさと出ましょう」


「どうしたのオズワルド、店主を脅すなんて、あなたらしくないわよ」


「申し訳ありません。少し思い当たることがございまして、どうしても指輪を取り戻したかったのです」


「思い当たること?」


「はい、ご説明いたしますので、まずはここから離れましょう」

 早口で述べたオズワルドは、私の手を引き出口の扉へと足を進めた。

 せっかく苦労してたどり着いた道具屋なのに、このまま指輪を売らずに出ていっていいのだろうか⋯⋯。少しでもお金が必要な時なのに⋯⋯。そんな心残りな思いを抱きながら、私は道具屋を後にしたのだった。

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