猿怪 ――猿にまつわる怖い話――
ノゾミイサム
『猿婿』
とある山あいの村にてのこと。
そこには古くから、『猿神さま』と呼ばれる神を祀る、小さな祠があったそうな。
むかしむかし、長く雨が降らず、田んぼはひび割れ、村人たちは作物の実らぬことに困り果てておった。
そのとき、一人の百姓が、猿神さまの祠にすがってこう願った。
「猿神さま。どうかこの田を水で満たしてくだされば、お礼に、うちの娘のひとりを嫁がせます」
その翌朝――田に出た男は、驚いた。
昨日まで干上がっていた田んぼが、まるで泉のように水をたたえていた。
と、その背後から、こう声がした。
「……今夜、娘っこ、もらいに行ぐぞ」
男は蒼ざめて頭を抱えたが、話を聞いた娘は、ふわりと微笑んで、それを承諾した。
その晩のことだった。
ドンドンドン――と、戸を叩く音がした。
男が戸を開けると、そこには誰の姿もなかった。
だが、家の中に戻ると、いつの間にか座敷の真ん中に、真っ白な白無垢が置かれておった。
男と娘は、「猿神さまからの贈り物だ」と言って喜び、娘は白無垢に袖を通した。
するとまた――
ドンドンドン、戸を叩く音。
男が戸を開けると、やはり誰もいない。
だが、家の中に戻ると、娘の姿はどこにもなかった。
それきり、娘は戻らなんだ。
猿神さまに見初められた娘は、神のもとへ嫁いだのじゃ――そう、村では語り継がれている。
さて、長い年月が流れたある年のこと。
村の若い衆のひとりが、ふとしたきっかけで「その娘の行方を確かめたい」と言い出し、山へ入っていった。
けもの道を辿って深山へ分け入り、やがて見つけたのは――
村で祀られているものと同じ、猿神さまの祠であった。
だがその祠は、苔むし、木は朽ち、誰にも顧みられぬまま忘れられていた。
若者が覗きこむと、祠の奥に、なにやら白い布のようなものがある。
手を伸ばしてそれを取ると、それは――ボロボロになった白無垢の切れ端であった。
その布には、かすれた文字が記されていた。
文字が読めた若者は、その文字を読んだ。
『わたしは、猿に嫁ぎました。でも、この猿は神様なんかではありません――ただ、飢えたものです』
そして、その末尾には、こんな文が添えられておった。
『わたしも、今ではすっかり山に馴染みました。今度は、あの村から"婿"を迎える番です』
――そのとき。
背後で、ずる、ずる……と、何かが這う音がした。
振り返った若者の目の前には――まだ白無垢を纏ったままの、猿のように、異様に長い腕を持つ女が立っていた。
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