第15話 帝国の実情

 議会の奥にある幕を通り、皇帝は小さな嘆息を生んだ。

 するとそこに、皇帝の唯一の理解者と言える、軍師オンダーが姿を現した。

 彼はサイズが全く合っていない青色の導師服をだらしなく垂れ下げながら、ぼさぼさの黒髪頭をぼりぼりと掻く。


「皇帝というのは大変ですねぇ~」

「会議くらい出席しろ、オンダー」

「いえいえ、私は大勢の前に立つと緊張して何も話せなくなってしまいますので、ご遠慮を」

「ふふ、まったくお前というやつは……」


 リヴァートンは張り詰めた空気をわずかに解し、笑みを見せたが、すぐに顔の筋肉を緊張に包む。

「ルミナが牙を剥いたぞ」

「ええ、そのようで……この三百年間、こちらから何も仕掛けることなく、見守り、自然弱体を願っていたのですがねぇ」


「その策はうまくいっていた。現に人口は激減。最盛期と比べるまでもなくな」

「はい……ですが、アルトは牙を剥いた」

「どういった心境の変化なのか。相変わらず、ルミナは読めぬな」

「面倒な存在ですなぁ」


「まったくだ」



 皇帝は高い天井を見上げて、さらに空の先を見つめるかの如く目を細めた。

「三百年前、我が父と当時最強と謳われた勇者アシロ。父はアシロを前に命を奪われんとしていた。その戦いの間に割って入ったルミナの王リヴュレット。奴の力の前にアシロは為すすべなく、我が帝国はその恩義をって小国ルミナに対して不可侵条約を結んだ」


「魔族統一を目指していた当時の皇帝グランデ様にとっては不名誉な出来事だったでしょう」


「そうだな。しかし、当時帝国は人間を相手に疲弊し、ルミナを敵に回せるほどの余力はなかった。ルミナの兵は帝国よりも少ないが、一兵卒ですら将軍クラスの精鋭たち」


 オンダーは力のない乾いた笑い声を上げてこう返す。

「あはは、は~……化け物の箱庭ですね」


「ああ。ゆえに、恩義という建前で不可侵条約を結んだ。幸いにしてリヴュレットに野心はなく、己の箱庭に理想を築くだけで充分だと考えていたからな」



「そのリヴュレットが魔族ではあり得ぬ八十代半ばという年齢で夭折ようせつし、詳しい事情を知らない当時十代のタイドが即位し、その彼は帝国の温情によってルミナが生き永らえたと勘違いしていた」

「本来ならば、あの砦も万の兵士を置いた要塞化したかったが、その勘違いを助長するために、あえて放置した」


「空城の計とも言いましょうか……虚勢のために裏口を無防備にしなければならないのは、恐怖とジレンマですなぁ」

「まったくだが、その策は功を奏し、タイドは勘違いのまま死に、それは次の代のアルトへと引き継がれたはずだったのだがな……」



 リヴァートンは見上げていた瞳を下ろし、現実へと据える。

「アルトは五龍を斬った。リヴュレットの孫の力は本物のようだ。そのアルトが率いるルミナが敵に回る。それだけは避けねば。今はまだ帝国の力を過大評価しているはずだ。それを利用して、こちらが優位な形で和平を結ぶ」


「そうして再び、緩やかな滅びを与えるのですね」

「まさしく。ルミナに危機を与えれば、必ず奮い立つ。平和こそがルミナの毒。だが、その前にまず……」


「四か国連合の相手ですね。こちらを先に整理しておかないと」

「そうなるな。最低限、膠着状態にとどめ、次にルミナとの交渉へ入る……」

「……人材が足りなさすぎますな」

「現在、帝国は歴代最弱と言ってもよい。五龍の名がつく将軍たちは歴代から比べれば粒のような存在。人材といえば、オンダー。貴様くらいのものだ」



 この言葉にオンダーは頭をぼりぼりと掻いて返す。

「いやはや、それは過大評価というものですよ」

「……オンダーよ、四か国連合を抑えてくれるな?」

「もちろんです、陛下。そのあとにはルミナとの交渉も私に? 言っておきますが、私コミュ障ですよ」

「ならば、貴様が良しとする者を推挙してくれ。問題はその間に、ルミナはどう動くかだが……どう予測する?」



 オンダーは一度だけ瞬きをした。

 思考に要した時間は、それだけ……。

「……私ならば学術都市ショアラインを落とすでしょうね」


 肩をすくめるように、軽い口調で続ける。

「あそこはじみ~に帝国の四方に睨みを効かせられる要所ですし。小勢でも、ルミナの精強さをもってすれば可能でしょう」


 一拍置き、しかしすぐに首を横へ振った。

「ですが、ルミナは自身の力をまったく理解していないはず。ですので、消極策に出るでしょう」


「それは?」

「人間国、カイリとの同盟です」


「……最悪だな。そうなれば、ルミナを止められぬ。同盟の妨害は可能か?」


「難しいですね。カイリはルミナを挟んで、さらに山脈の先にある国。工作員を送り込むには遠すぎますし、道も険しすぎます」

「ぬぅ……同盟成立の可能性はどの程度とみている?」


「女王制を敷くカイリ国とはあまり相対することなく、情報がほとんどありません。わかっていることは世継ぎがなく、女王ミカガミに病気の噂がある程度」


「病気か。ならば、女王の代理は?」

「現在、政務を取り仕切っているのは、カイリ国の勇者ミナヅキです」


「なるほど、カイリの内部事情は芳しくないようだな」


「はい、そのためどう転ぶか予測がつきにくい状況です。他の人間国から不興を買わぬよう同盟を蹴るのか、世継ぎ問題が解決するまでの繋ぎとして手を結び、他の人間国のけん制として使うのか」



 ここでリヴァートンは思考を数巡した。

「……帝国にとってみれば、同盟成立の方がよいかもしれぬな」

「ほう、それはまた……なぜでしょうか?」


「同盟が成立すれば、ルミナは同盟を利用して帝国と和平を結ぼうとするはず。なにせ、帝国は人間相手に忙しいからな。だからルミナはこう考える。後方の煩わしさを解消するために、帝国はルミナとの不可侵協定継続を受け入れると」


「なるほど、彼らの策に乗るわけですね」


「ああ、そうすれば、実際はルミナを敵に回したくないという、こちらの意図を隠せる」

「ならば、ここは静観でしょうか?」


「そうなるな。問題は同盟が失敗に終わったときに、ルミナがどう出るかだが……」

「それでも和平の交渉を行うかと。しかし、その場合、こちらの将官を説得する材料が乏しくなります」



「同盟相手もない小国。潰せと声が上がるだろうな。そうなれば、こちらにどれほどの被害が出るか……」

「ルミナの兵は百。二か所の要害を押さえられています。その百全てが将軍級とするならば……数十万の兵を喪失するかと……」


 この答えに、リヴァートンは無意識に奥歯を噛みしめた。その小さな音はオンダーにも届き、彼はただ小さく下唇を噛んだ。

「そこまでか……ルミナに勝てたとしても、その後、帝国は人間相手に戦うことすらできなくなってしまうな」


「……はい」



 皇帝リヴァートンは現実から目を背けるように瞳を下へ向ける。

「敵の同盟成立を願うしかないとは……我が代の帝国はなんとも情けないことか」

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